日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

 (291)渡良瀬遊水池  その2

2006年05月09日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

鉱毒の旧谷中村の跡地に立つ

連絡ノートから抜粋

1、 久しぶりに、父母の生地谷中へ来られた。何度来ても懐かしく良い所だと思う。公害がなかったらここでどんなに豊かな生活が営まれていただろうと思ってしまう。今も続く種々の公害に怒りを憶える。 岩波家、鈴木家の孫6人で来ました 。
余計な言葉はいらない。ただ歩くだけで当時の谷中村を想像し心を打たれます。いつまでも谷中村跡が残りますように、そして現代人が忘れている何かを思い出させてくれますように。

2、私達は強制立ち退きをした旧谷中村民の子孫です。もうすぐ百年、8月にみんなで墓参りにくる。下見にきました。

、正造さんの「山を荒らさず、川を荒らさず、村をやぶらず、人を殺さざるべし」の言葉、今環境破壊、学ぶべき言葉と思います。
昔の人は自分の体を犠牲にしても土地を守ったことを尊敬する。現在の人達は自分さえよければ悪いことをしても平気、困ったことです 
    
連絡ノート
  


資料映像

 
旧谷中村の遺跡を綴ったもの
公害の原点ここにあり


谷中村・延命院付近を行くハイカー    


谷中村村役場跡付近 


延命院付近
先祖伝来の石碑のみがその面影を残ス。


直感的に半鐘に思えた・・・・。
が、・・・しかし寺の境内に半鐘はあり得ない。

村人が訪れて、犠牲になった村民の鉱毒事件を思いつつ
先祖の霊にたむける鐘なのであろう。

草の根に染み入る鐘やあげひばり  (縄)

左側にハイカーがポストを開けている。この中には訪れた人たちが思い思いに
感じたことを綴る 「谷中村連絡ノート」 がある。  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

大きな犠牲の中に物事は進む

我が故郷・秩父の山奥に、東京の水がめ(ダム)が荒川上流に建設された。
多くの難問を抱え、いがみ合い、ののしりあい人間の醜さを見た。
自然が無造作に破壊され、地元には少しも恩恵はなく、多くの犠牲者が出た。
村の一部が水没し湖となって水を満たしている。
鉱毒事件の本を読んでいて、
次の文言とダム建設とがダブった。

『・・・・・・、明治政府は、足尾銅山の操業を止めるかわりに、毒の水をためる「渡良瀬遊水池」の建設を行うことにした。
・・・・・・強制立ち退きをくらったのは谷中村の住民である。
谷中村では村ぐるみ、土地の買収、住民の強制立ち退きに反対したが、
無視され、谷中村は法律上、消滅し、土地は不当に
安い値段で当局に買い上げられた。
鉱毒問題が、長い年月の間に・・・・・・・治水問題に
切り替わって世間の話題から消え失せた』

と、書き綴ってあった。
公共の福祉を隠れ蓑に、多くの谷中住民が故郷を追れた。
その先祖の石碑が草むらの中にあった。


 

 

コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする