大都市東京下水のゆくえ
(小菅水再生センター見学)
都市と下肥
下肥を運ぶ車
(昭和20年代、撮影者不明)
江戸の町から排出された人糞尿は、どのように取り引きされ、
どのように運ばれてきたのでしょうか。
大正時代の終わりには東京の人口がいっそう増え、
東京の人糞尿は近郊の農村で肥料として使うだけでは処理しきれなくなります。
東京を始め、日本の大都市では現代も使われている
下水道などの施設を使って人糞尿を処理することを研究するようになりました。
その過程で設立された葛飾区小菅の綾瀬衛生研究所の資料が、このたび発見されました。
こうした近代都市の衛生行政が下水処理として設備を持つようになった。
(葛飾郷土と天文博物館資料から抜粋)
特別展を示す垂れ幕
小菅水再生センターのパンフから
水再生センターの係官、お世話になりました。
デジブック
『小菅水再生センター』