ホタルの里
ホタルも良し、足元をとうとうと流れる水源は何処から?
航空写真で見つけた 『水源地』
この辺は、谷と谷が合わさって出来た森、低湿地、水田、畑で谷地と呼ぶ。
山麓を縫うように走る、コンクリートの水路を見た。
きっとこの水路が肥沃な田畑を潤し、農家の人達に豊作の恵みを与える貴重な水と思った。
この足底の下を流れる水路、田畑への大動脈と直感した。
道路脇を流れる豊富な水、いったい何処から来るのだろう。
水源は!?
蛍の里が広がる谷地
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この水路に沢山の蛍が飛び交うと言う。
トンネル出口に、大正13年4月完工とある
これだけの水量が何処からどの様にして通水されているのかと、頭は廻る。
葛ハイの行く足元に水路あり
水の恵みに頼った畑作が・・・。
アヤメがとてもきれいに咲いていた。
土地改良区記念碑から読み取れる先人達
記念碑の長文から
先人達が長い年月・・・・書き出しの2行から、樫山地区の背景が読み取れました。
航空写真から歩いた道をたどる。
大門川から揚水し、山中に貯水池。きっと蛍の里の水は此処からの通水であろう。
水源地発見!!
ー 黄色い線 → 歩いたコース
ー 青色い線 → 樫山地区を潤す水路の
A 土地改良区記念碑位地
1、出発点 2、権現神社 3、ほたるの里
4、日吉神社 5、風の三郎社 6、風きりの松散策路
7、そば処 北甲斐亭
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やっぱり有った水源地(貯水池)。
ほたるの里トンネル口に、大正13年完工と刻んである。
「先人たちの、長年にわたり・・・・」の内容が、しっかりと読み取れた。
青線部分の散策路を、
とうとうと流れる水は、農家の人にとって命に次ぐ大切な水路であろう。
清里と言えば周辺に広がる高原、八ヶ岳を観光地をイメージします。
清里は1875年(明治8年)に浅川村と樫山村の合併により誕生した清里村に由来し、
大字名は樫山だったが1964年(昭和39年)に「清里」に改めた。
今回訪ねた三社参りは清里の原点で有ったと言います。
良き所を探訪し、清里の昔を見せてもらいました。
私は、東京生まれで田舎もなく、ほたるをこの目で見たことがありません。
一度はぜひ鑑賞したいものです。
相変わらず、目の付けどころがさすがですね。
水源のことまでは、地元の方は説明しませんでしたが、ほたるのことは説明を受けて、底がコンクリートの水路では生息しずらいとのことで、やはり田んぼのほうが適しているとのことでした。
航空写真でのルートは非常に解りやすいですね。
昨日は、小雨の中、宮ヶ瀬湖に行ってきました。ダムが見事でした。
蛍の生息には、カワニナの生態が左右するようです。
むかし田舎では、蛍がウヨウヨ居て素手で捕まえて、蚊帳の中で飛ばしたことが。
農薬、化学肥料で何処もかしこも蛍が飛ぶのが珍しくなりました。
見ヶ瀬ダム、まだ湖にならない時、そしてから丹沢の山の帰りに寄ったことが・・・・?
よきところです。
環境は維持されて蛍も自由に飛び交うことが
出来たのに、環境を悪化させていったのも人間、
また良くしようと努力しているのも人間
蛍がともる里は、人間がよりよく生きる里でもありますね。
確か幼いころは、蛍が一杯飛んでいました。
何処からともなく家の中に紛れ込んだり、
山裾に行くと身体に体当たりしてきました。
蛍の生息は、環境が示すバロメーターとも言われるでしょう。
2枚目の写真は、如何にも蛍が飛びそうな雰囲気ですね!
私もブログで蛍の写真を見かけるようになって、ウン十年ぶりに見に行ったら、沢山飛ぶようになっていました。
見に行ったのは源氏蛍でしたが、近くの山林には姫ボタルも沢山出るようです。
私にも蚊帳に蛍をいれたり、竹箒で追いかけた想い出が蘇りました。
樫山地区にも、圃場整備や水路整備の時代をへて蛍の里が蘇ったのですね!
水が清き、むかしの水路(土)であるとホタルが飛ぶようです。素手で捕まえました。
コンクリート水路だと飛ばないことはないでしょうが、カワニラの生育が悪いようです。
小生、百姓のせがれ、旱魃で雨乞いを良く見てきました。
樫山地区の先人も開拓に入ったは、よいが水の問題で相当苦労していることでしょう。
1年中絶え間なく、これだけの水量が切れ目なくとうとうと流れる、奇異の目で見て通り過ぎた。
それに、山にトンネルが抜けていたのには、びっくりしました。
スカンポ という唱歌の歌詞
土手のスカンポ ジャワサラサー
昼はホタルがねんねする・・・
そんな場所ですね~
私 今年はを見てないですよ~
こんな道だったら 私5kmくらい歩けると思うんですけど・・・
残念なことに、昼は蛍はソットねんねして夜活動するようです。見られませんでした。
そこはお百姓さんのせがれ、
この水、水源地は何処だろうと考えていました。