閘門歩道橋・水元の閘門橋 その1
1、運河・放水路などで水量を調節するための水門。
2、水位の高低差の大きい運河や河川などで、船舶を通過させるために水をせき止めておく装置。
閘門には1・2の方式がありますが水元閘門橋は、1の水量を調節するためのものです。
此処の水元閘門橋は、古利根川と小合川(現・中川と大場川、小合溜)の水害防止目的で造られたレンガ造アーチ橋。
閘門橋(葛飾区登録有形文化財)(西水元6丁目)
東京都内ではここだけにあるレンガでつくられたアーチ橋です。
レンガは金町煉瓦会社のもの。小菅煉瓦工場とともに、文明開化以降そこかしこに造られたレンガ造建築を支えた。
そんな歴史あるレンガで造られた橋は、現在、生活の往来を支えている。
古利根川と大場川の洪水を防ぐ目的で、当時の最新の技術を取り入れてつくられ、
水の量を水門で調整していました。
西側のアーチ構造は5門あり、水をせき止める板を上げ下げする溝があります。
東側のアーチ構造は3門で、手すりが石でできています。
橋の上は歩道になっていて、歩いて通ることができます。
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以前にも紹介いたしましたがまたこの閘門橋を検証してみたいと思います。
レンガ作りですが、当時葛飾に2つのレンガ工場がありました。
これらも併せて、違った面から検証してみたいと思います。
内容を数回に分けてUP致します。
≪ 次回は『金町煉瓦工場・小管煉瓦工場&閘門橋につい』てです。≫
OPEN
水元公園を地図で調べてみましたところ水(川)に囲まれているのですね。
大場川の流れのもとを遡ると、13kmほど先の吉川市から細々と南下してきて水元公園の東側で、閘門への流れになっているようです。この間の高低差はたった1メートルほどでした。
往時の出水は中川からなのでしょうか、古利根川からのつながりと言えば相当な水量が押し寄せたのでしょうね。
人手のつかない大自然の景観は素晴らしいものがありますが、このように思い切り人手で仕上げた造形も年月を経ると貫禄もつき、趣きある眺めとなりますね。
閘門橋 福岡県大牟田市にもあって その時に初めて
この文字を知りました。
>文明開化以降そこかしこに造られたレンガ造建築を支えた。
見事ですね。 アーチがきれいです。
また遮断されたらいけないから一旦押します。
東日本大震災の3月11日 翌日は九州新幹線開通の日でした。
祝賀行事のためにブルーインパルスは九州に来ていました。
もちろん中止になりましたが 松島基地に帰れず
芦屋町に半年間滞在しました。
帰る日には バイバイを表現してくれました。
今日もいい日でありますように・・・
水元閘門橋のカルタもいいですね。
子どもたちは大人になってから改めて思い起こすことでしょう。
私も度々紹介していますが、お隣の大牟田市の近代化遺産・三池港の閘門有名です。
縄文人さんのデジなど入れていましたがサービス停止で残念。
・赤レンガ 閘門橋の 小合溜
・まほろばの 里育てたる 閘門橋
煉瓦造りの閘門は、明治の風格があって素晴らしいですね!
ネットで水門・閘門を検索して出てきた画像に石垣づくりのものが二つありました。
どちらも岡山県の江戸時代に作られた吉井川水門と、倉敷の一の口水門でした。
吉井川水門は水位の高い吉井川から低い倉安川に高瀬舟を通すものでもあったようです。
昔の人は凄いですね!
水低き高きへ進む運河かな
水をせき止め段段だんと (縄)
葛飾に見煉瓦工場が2つ有りました。
まさに文明がだんだん開けてきたころのようです。
次回は横道にそれて、煉瓦工場記です。
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むかし人水をせき止め小合溜 (縄)
兎に角広い所です、したがって江戸川から水を引き入れ、また古利根からも引水して貯水し、東京湾寄りの水田地帯に水を引き込んだ。
現在は灌漑池の様は済て、用水掘りも埋め立てられました。
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・煉瓦焼く文明化の匂する (縄)
此の頃のレンガ作りの建造物があちこちに残っています。
この作りも当地で創らえた煉瓦のようです。
煉瓦焼きには、利根川、江戸川の沖積層の土がよかったようです。
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