記念碑を読み解く、
碁盤の目のように区画整理された街路区
==記録として==
この記事は、読むというよりも先人の遺徳を偲び、
感謝の意味で記録として残すために綴った。
▼ 先人の 遺徳を偲び 詠み解けば
5町集いて 5年の歳月(縄)
1970年代
’64年開催の東京オリンピックを終えた日本は、高度経済成長の波に乗っていた。
われ所帯を持って6年が過ぎ、住まいも練馬区豊島園近くから次いで府中市内の共同住宅
と転々としていた。
家族も4人となり部屋も狭くなりマイホームをと考えあちこち探しあぐねていた。
たまたま小田急線座間地方に建売住宅の売り出しが有り、値段も頃合いで求めようと考え
あぐねていた。そんな時にY婦の親からの紹介で、「値ごろの土地がある」という事から、
こちら(現在の居住地)を下見した。感謝なり!
中川放水路を西に見て、あちこちに用水堀が流れ、東西にバス通り、田園風景豊かで都市
化の波が押し寄せていましたが、田地田畑が健在でした。
あれからおよそ50年余、今ではすっかり住宅化が進み、バス通りには無電柱が実現し
ています。風が吹くと砂ぼこりの服・・・、子供が用水掘りに転落するなどの幾多の困難
が有りましたが、「住めば都」先人の遺徳を思っています。
あれから50年
先般の散策の帰り細田神社に立ち寄った。鳥居を入った左に大きな立派な記念碑があるの
は知っていましたが、何の碑であるかは存じなかった。よく見ますと土地区画整理組合改良
区記念碑とあり、その歴史が刻んで裏には町の有志の名前、土地改良に尽力された方々の
氏名が刻まれていた。写真を撮って、自宅でこの区画整理に捧げた遺徳を想いつつ
その労苦を読み解いた。
(葛飾区・細田地区)
細田地区の区画整理された碁盤の目のような街区
土地改良区画整理記念碑
碑 文
尽力された地区の有志の名前
コメ欄は締めています。