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公害の原点を歩く  (Ⅲ)

2008年04月23日 | 紀  旅行、葛ハイ山行

裸地化された山の芽吹き
        立ち直りつつある・・・・・

リーダー談
『20数年前に来たとき山を眺めて怖った・・・・。荒涼として
地肌をむき出しにした山がそこにあった。
その当時と比較したら山に木が、草が・・・・ホットした』
現地を見ながら説明でこう述べた。


裸地化の山肌が川の流れ出た。
昭和25年足尾ダムが建設された。


ダムの水はやがて鉱毒水となって
下流域の田畑と住民を脅かした。


山は砂防と植栽が見られる足尾の自然ですが・・・
まだまだ地肌をむき出しにした多くの山々が見られます。

 


渡良瀬ダム上流の松木川
ダムはすでに山から押し寄せた土砂で満杯


上に『緑を育てよう』の看板に『緑』のみが・・・


土留めの上段に木が生長しだした


『緑が多くなったので・・・安心した・・・』と述べたリーダー


 


等高線に沿って土留めが施されて植栽

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日のメモ

 足尾ダム付近に、足尾郷最大の『松木村』という村があったと言う。

足尾銅山の精錬所からの排煙により
周辺の田畑や山の草木は枯れ荒廃裸地化し農作物は育たなくなった。
結果、人々の生活の糧は奪われ村は滅亡した。

現在では、国や県の緑化活動によって
徐々に回復されてきたようです。
しかし、土壌に植物が根付くのはなかなか難しく、
本来の自然が回復するのには、かなりの時間が要するようである。

一度失った自然の回復は難しい・・・!!

公害の原点を歩く(Ⅱ) もupしました。

 

 

 

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
辛酸 (osuzu)
2008-04-23 08:36:17
たまたま最近、この田中正造が深く関係した足尾銅山鉱毒事件を描いた、城山三郎氏の『辛酸』を読んだばかり!
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲのレポートは、実にリアルに私の目に飛び込んできました!
結果が悲惨なものだっただけに、今更ながら無念の思いが深く深く伝わってきました。

これは私もワースト例として、世界遺産に残すべきだと強く思いましたよ!
返信する
その(Ⅲ)をみて (momomama)
2008-04-23 08:57:20
>社宅と社宅の間に高いレンガの塀があった。
まるで刑務所のようですね。。
本当に何の為でしょう。。。

廃線のあとも物悲しい...この引き込み線で819人の方の生活物資も運ばれたことでしょう。。

お地蔵さまに生花が供えられ掃き清められていた
というのは ちょっと切なくなりました。

墓標が まるで 足尾銅山そのものの墓標のようです。


どれくらい 学習すると公害は無くなるんでしょう。。

今若葉が萌えだす季節 いつの日か緑いっぱいの
“普通の山”になることを願わずにいられません
返信する
大きくて重いテーマ (どんこ)
2008-04-23 10:08:15
日々安穏に生活していると
人間はとかく大事なものを見失いがちになります。

縄文人さんは投げかけられている提起には耳を傾け、日本人として忘れてはいけない大事なものを改めて痛感させられます。

どんこ自身は「公害」は「企業害」「行政害」と置き換えるべきだと思っています。
返信する
ダム (とくさん)
2008-04-23 16:29:53
こんにちは
渡良瀬ダムは見る限り砂が押し寄せて見る影も有りませんね。
福島県にも数多くのダムが有りますが、山からの土砂で底が浅くなってます。
やがて古いダムは使えなくなって仕舞いそうです。

大雨がやって来ると、山から流れて来る木材も悩みの種で対策にお金が掛かっています。

自然と悪戦苦闘しながら守っているようです。

返信する
返信 (縄文人)
2008-04-23 17:40:16

 葛ハイクラブも、高齢化が進み、高い山より平場に人気が移ったようである。体がいうことを利かない。
企画もそのような観点から
歴史の町散策、京都紅葉見物・・・今回の足尾の町見物など思考を凝らして街歩きを計画。


公害の原点足尾は、物見遊山的な気持ちも若干はありましたが、現地にたたずんだ時これは凄い・・・そんな受け止め方をした。
見て置いてよかった。


現在は緑化活動が進み、萌黄色の芽吹きが始まった・・・・。
禿山の頃はグランドキャニオンと呼んだ人がいましたが、今でもそんな面影が山に目を移すたびに思い出された。
緑が多くなった・・・の言葉に救われた。

osuzuさん
「なんでも掲示板」ではお目にかかっています。
この掲示板は、寄せるblogerが多いですから、コメントだけで大変でしょう。それに丁寧に全身を傾注してのコメントするosuzuさん、鏡としていますが、駆け出し縄文人では中々そうはいきません。

公害について、われわれが申してもほんのゴマメノ歯軋り議論になってしまう。
現実、目の前に置かれた公害の原点・廃墟、工場跡地・・・・。
できうることなら『世界遺産の登録』に名を連ね皆さんで改めて見、学び、後世に語り継ぐ・・・あながち無駄ではないと思いました。
遺産として1日も早い手続きが!!

momomamaさん
社宅と社宅のレンガの高い塀・・・?
あまり考えると、思考能力が衰える。止めよう。
墓標は、龍蔵寺のそばにありましたが、何か『坑夫の墓』などと書いてあるともの悲しさがこみ上げた。
坑内で裸で仕事をしたようです。

どんこさん
ここに取り入れられた施設、
日本初の私設電話、
日本初の水力発電、
日本初の電車の実用化
日本初の道路使用の鉄橋など、

多くの初物が示すように銅という鉱物が支えた産業が世紀を超えて活況を呈していたことが伺えます。
確かにおっしゃるように『企業害』と言っても過言ではないと思いました。
巨大産業の大きな歯車は、当時の人権など一飲みにして銅生産と言う大きな目標に向かって邁進したのでしょう。

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少しずつでも (横浜のおーちゃん)
2008-04-23 17:54:01
緑が回復しているのはホっとします。
それでも長い時間がかかるのでしょうね。
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山30年にして (ヒキノ)
2008-04-23 20:22:45
雑木林なら元に戻るといわれます。日本の山は雨が大地を湿らせスポンジのような土壌が裸山を緑の山にするのです。
風が鳥が木々の種を運びます。
炭焼きさんは30年で元の山に戻ればいいわけです。材木林ですと孫の代といわれます。

足尾の山は300年たって元に戻るでしょうか。煙に混じった硫化水素が自然の法則を破壊したようです。

古河財閥と政財官のスクラム、今の国土を壊している状況に似ています。
渡良瀬川には今もカドミュームが眠っています。
返信する
負の歴史遺産 (kimama)
2008-04-23 23:52:52
足尾鉱毒のことは田中正造の直訴として知ってはいましたが、写真を拝見して、いまでも廃墟の山に近いと分かりました。
原爆ドームのように負の世界遺産にして、人間の罪を記録したいものの一つだと改めて思い知らされました。

マンションの避難通路の幅は決められているのですか。都会にしては広く感じました。アシタパは天麩羅屋お浸しが美味しいですし花壇も楽しみですね。

八重洲も大丸とともに、すっかり変ってしまったようです。大手町へ出勤するのに、東京駅や神田からよく歩いたものです
返信する
ダム (和三郎)
2008-04-24 07:44:56
銅を精錬するために電力が必要で、そのためにあったのか?
銅山が閉鎖されると無用の長物となり、土砂も取り除かれず、そのまま放置?
それとも単なる砂防ダム?
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返信 (縄文人)
2008-04-24 14:08:30
とくさん
 ダムも50年余すぎますとこのような有様です。
このダムは他のダムと違い、禿山から流失した土砂がとにかく多かったのでしょう。

 都会も現流域にたくさんのダムが設けられたことで東京あたりは水害ということが少ないようです。

お~チャン
 禿山と緑の山を並べてみたとき木の少ない山はこれが・・・・と恐ろしさが先に来るようです。
徐々に回復。現地の人が長い目で見てください・・・と言っていた。

ひきのさん
 ≧炭焼きさんは30年で元の山に戻ればいいわけです。材木林ですと孫の代といわれます。
ナルホドなるほど実際は知っていますが言葉にお目にかかったのは初めてです。
 13年前に植林したのが現在約11mだそうです。
しかし植樹してどれだけ活着するかです。
なかなか難しいようです。


kimamaさん
行ってみてよかったです。
足尾銅山の栄枯盛衰を見てきました。
足尾の山は竪穴、横穴、斜め穴がくもの巣のように張り巡らされているそうです。

 明日葉は、今日つんでも明日また大きくなっている?????というので植えてみました。

 私が住んでいるところは、東京といっても葛飾村、
たまには都会の空気を吸いに出かけるのです。

和三郎さん
銅を精錬するのに電力
ハイハイ、↑のどんこさんの返信のところに書きましたが、日本で最初の水力発電が行われたところだそうです。
その廃墟も見てきました。



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