立て看板と新聞記事
4月23『日経新聞・夕刊』に
次ぎの記事が掲載された。
足尾の植林 ーーー あすへの話題
作家 立松和平
桜が散り新緑が鮮やかになってくると、私は足尾への思いを強くする。
私は子供のころ、閉山前の足尾の叔父の家に遊びに行った。
足尾の山には木がなく累々と茶褐色の岩肌が剥き出しになっていた。
樹木の乱伐や精錬所の有毒ガスによって草木が枯れ、表土が流失した。
足尾鉱毒事件は後で学校で学んだ。
源流域を保全しなければ・・・と明治期に
田中正造が立ち上がった。
氏のやり残した植林を始めたのは約13年前
「NPO法人足尾に緑を育てる会」に多くのボランティヤが植林に参加した。
私もこれに毎年参加した。
私たちが試行錯誤しながら最初に植えた木が、11mにも育ち
秋になると紅葉するほどになった。
東京のソメイヨシノが散って山桜が咲くころ
4月26(土)と27(日)に
今年も植林する。
もちろん私も行く。
(要点のみを抜粋しました)
その「植樹デー」がカメラに収まっていた
13年前に植えた木であろうか・・・
足尾のソメイヨシノが満開でした
閉山後に植えたものでしょう
(足尾環境学習館前で)
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今日のメモ
作家・立ち松和平氏が
植樹する姿をTVで何回か拝見している。
多くの人々が集まると大きな力となって
徐々にではありますが緑が増えることは嬉しいことです。
毎年ボランティヤの方たちが1500人以上集まるという。
立松和平は栃木県出身でしたね。
あの独特の語り方、風貌、何となく親しみが持てます。
私が足尾銅山を身近に感じたのは、数年前になるか定かでないが、足尾銅山近くの庚申山へ登山に行った時話を聞いた。
当時の事がふと頭の中を過ぎった。
地道に回復させるしかないですね。
縄文人さん、頑張ってください。小さな善意が実り多いものを生み出す原動力になるのですね。
こちらであればもちろんどんこも参加します。
今すぐ作れる森。。。
ドングリを30時間 水につけておきます。
浮き上がったものは虫食いで 沈んだものだけを
植えます。(ポットに)そのあと地面に植えて
1年くらいするともう 樹 でしたよ。。。
森をつくりたいと思いました。。。
イタイイタイ病、水俣病、川崎や四日市の喘息、この犠牲をしょうがないと考えるか難しいところ。
立松さんのお祖父さんがこの地の人、この人の本を読みかえそう。。
植樹も工夫をしていた映像を記憶しています。
この山やまが緑を取り戻すとCO2が減る理論にもなるのですから立松さんだけでなく多くの人がPRする必要があると思います。
テレビ朝日の特集で組んだ自然と対峙する姿の顔が印象深く残っている。朴訥とした語り口。
②植林
中学生のころ年二回学校林に出かけた、およそ15km離れた城峰山ろく。
春と夏の暑い日に植林と下刈りに・・・。
③リーダーが緑がよみがえって来たの説明
影にはこのようなボランティヤの苦労が。
とくさん
そうそうとくさんの言うとおり
↑の①で書きましたが、久米さんの司会のキャスターのニュースステイション・・・で。
足尾の現場で地図を広げて歩いた。
庚申山がほんのわずかな距離でした。まだ上ったことありません。
どんこさん
私は植林には、いけません。
ただ、現場で見た看板と、この記事が掲載されあまりにも現実味が沸いた。植林の他のボランティヤに参加したことがありましたので・・・・・。
杉の苗を種から仕立てたこともありますし、中学、高校と学校林にはせ参じ植林をしました。
足尾も、このような多くのボランティヤによって支えられ緑が復活することの意義を強く感じました。
momomamaさん
ナルホドナルホドどんぐりの林
しかし絵で見ると簡単なようですが実際にやってみますとこれは大変な作業です。
私もブナを植えに東京は奥多摩へ
繁茂した草の下刈に丹沢山ろくに入ったことがあります。大変な作業です。
ひきのさん
「私の母方の曾祖父は金堀さんでした。
明治10年代に、兵庫県生野銀山から、栃木県足尾に技術と労働力を求められ渡ってきたのだ・・・・・・」
新聞、あすへの話題で冒頭部分にこうありました。
自然さん
山にひな壇を作ったような状態でした。
その段のほんの平らな部分に植栽をしたのでしょう。
おそらく表土がないのですから下から土も運び上げたかもしれません。
子供のころには閉鎖されていて、探検と称していちどだけ行ったことがあります。
こんなひどいことにはなってませんでしたが、山には、高い木がなかったように記憶しています。
先日、峠を越えて伊勢田というところに下りようとしたら、大山銅山入口という倒れかけた看板を見つけました。
山菜を探していたので、入ってみようと思ったのですが、やめときました。迷いそうなので^^;
今の時代銅が逼迫しているという。
ある商社が数十億円掛けて外国に銅山を開発するという新聞記事を見た。
釣鐘や、伝染、などが盗難にあうという記事が一時ひんぱんした。
今足尾の地に足お下ろしてみて銅という金属が、自分たちの目の前にいろいろの分野でかかわっていることに気ずきました。
山菜をとりに行ったら坑道のあと?