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日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

・日常・創る・彩る・考え・綴る
・フジノ会・探検団・かめの会(俳句)
・家庭菜園 ・ めばえ・成長・収獲

柚子をいただいた.

2016年12月19日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

刻む・・・、部屋一杯に香りが漂う

 

フジノ会(歩け歩け)小田急線、向ケ丘遊園地が集合場所でした。
皆さん三々五々集まってきた。

そんな中で、ビニール袋の中から、柚子を配っている水元、E さん。

「縄文さん上げます!と言って頂いた。



向ヶ丘遊園地駅前に集まった、フジの会の参加者。

 


産地直送ゆず 


背負うリックの上でもう一度カメラを向けた

 

早速持ち帰り1つだけ刻み砂糖をまぶした食べた。
産地直送、香りが瞬く間に部屋いっぱい広がって、
美味しく頂きました。
有難うございました。

 

・ 柚子刻み部屋いぱいに香り立ち 
                   産地直送水元思う

* 水元とは
                                                   東京23区内で最も広い、”水元公園”に近接する地域です。
 

 

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活け花

2016年12月18日 | 文学  川柳、短歌 俳句 詩

 万年青(オモト)で彩る

 

 

生け花は

品(気品)、
性(あるがまま)、美(調和)の
  三つがあり,

野の花は野にあるらしく、山の花は山に咲いているらしく、
その”らしく”が、大切なのよ!! と、
教えられた。

 



暮からお正月へ

 

 

玄関の水盤
花の生け込み
あとわずか
師走月 あわただしく


正月の花には・・
華やかさ 欠く
喪中に 付き 
しっとりと 万年青


除夜の鐘
煩悩 鐘の音
高く低く 響く
一夜明けて 正月

 

雑煮を食べ
家族の安寧 幸せ
夢と希望
健康第一



 

 

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紫烟草舎 & 雀の楽校。

2016年12月17日 | 文学  コラム・エッセイ

北原白秋、極貧➡雀に餌を与え続けた。
きっと、雀が私を助けてくれる

 

仕事場の前庭に(スズメの楽校)
7~10匹、多いときには群れを成し舞い降りる。


これによくした勤務員が、朝夕に餌を撒いて、可愛がり”雀の楽校”と呼んでいる。

せんべい、鳥の餌を買い求めて、時間を決め与え、訪れるのを待ち戯れています。

 

白秋の雀に対する思いやりを読んで、・・・・・。


仕事場に群れを成して集まる雀たち。

 

紫烟草舎を拝見し、北原白秋の遍歴をたどると、
仕事場の雀に対する見方に大きな変化を感じざるを得なくなった。

白秋は、「この道」「ペチカ」「カラタチの花」「城ヶ島の雨」等々
数々の優れた童謡・詩歌や短歌を世に送り出しています。

その遍歴の中で結婚離婚と何回かを繰り返し、暮らしにおいても極貧の生活でした。

紫烟草舎の庵【葛飾郡小岩村小岩田の三谷という(現在の江戸川区小岩町8の263で】
『雀の生活』『雀の卵』著わしています。

その中には、妻・江口章子との生活の中でこんなことが・・・・・。  

<寂しさに堪え、貧しさに堪えて>
創作と推敲に打ち込む白秋を慰めたのが、住み替わる先々での雀でした。

雀に遊んで貰い、慰めて貰いながら、
乏しい苦しい中で米櫃の白玉を与えて、白秋と雀たちの暮らしは続きます。

その哀歓を、感謝と愛情を込めて綴ったのが、この記録(雀の生活)。
長編散文詩として、小さな雀の大きな本となりました。

また著者自ら、貧しい者の霊(たましい)の記録とも述べています。

 
この時期、苦楽を共にした章子夫人が
「若しもあなたが立ち行く事も出来ず、もう餓死するばかりだと云ふ場合が来ましたら、

この雀達が一粒づつでもお米を咥えて来て、きつとあなたをお助けすると思ひますわ。」
と白秋を慰めたエピソードが、語られています。

「なるほど、三年後になつて、雀がお米を一粒づつ咥えて来ました」





と、謝している通り、雀が助けてくらた。
この書物の出版から、徐々に窮乏生活を脱する事が出来たようです。
                         
『雀の生活』の第一章より。

 

 


白秋の雀への思いやり、雀との対話に感動した。
唱歌の中にも、雀を扱ったものが数多く見られます。

雀の心の中までもくみ取り、一挙手一動作を観察して
対話・気持・洞察して
作品に仕上げる。

「きっと、雀が私を助けてくれる≫
と言うことの意味を知る事が出来ました。

白秋(作家)の人間愛、ものの見方や想いに、心を盗まれた。

 

 

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紫烟草舎と北原白秋

2016年12月16日 | 文学  コラム・エッセイ

 紫烟草舎ー・江戸川区北小岩から里見公園に移築
【北原白秋略年譜から検証】

 

 

北原白秋がどのように紫烟草舎に関係したのであろうか?
市川真間・亀井院(身を寄せていた)、北小岩八幡神社(1年余、民家に)、

そして移築されている里見公園(現在の紫烟草舎)には、それぞに足を運んだが、
縄文人には全く分からない。


ネット検索によって調べた。


年表を基に、自分なりに整理して、その時代に作歌を当てはめながら、
脳裏を整理し、自分への納得の裏付けとした。

 

                           

           
北小岩八幡神社            境内にある白秋の歌碑

    紫烟草舎は、白秋の旧居は(小岩村小岩田にあった。
現在の江戸川区小岩町8~263)の場所である。
しかし、昭和40年の
江戸川堤防の改修工事で取り壊され、現在は、市川国府台里見公園の中に
復元保存されている。

       

   
      紫烟草                   草舎内の一部

 

・華やかにさびしき秋や千町田のほなみがすゑを群雀立つ

北原白秋の住んでいた家「紫烟草舎」が、国府台の里見公園に移築されている。

紫烟草舎は、花壇の左手奥、公園管理事務所の並びにあった。何の変哲もない木造平屋建てで、いまは庭に面する部屋も木の雨戸がめぐらされている。
傍には、つぎのような長男北原隆太郎による解説がある。

「(前略)大正五年晩秋、紫烟草舎畔の〈夕照〉のもとに現成した妙景である。体露金風万物とは一体である。父の白秋は、この観照をさらに深め、短歌での最も的確な表現を期し赤貧に耐え、以降数年間の精進の後、詩文『雀の生活』その他での思索と観察を経て、ようやくその制作を大正十年八月刊行歌集『雀の卵』で実現した。
その「葛飾閑吟集」中の一首で手蹟は昭和十二年十二月刊の限定百部出版「雀百首」巻頭の父の自筆である」

 

 

      【北原白秋略年譜】  

明治18:125日、福岡県柳川市に生まれる。父長郎、母しけの 長男、本名隆吉。


          福岡柳川の風景


明治37年(1904)年:中学を卒業間際に退学して上京、早稲田大学英文科予科に入学。


明治38(1905)年:長篇詩「全都覚醒賦」が「早稲田学報」の懸賞に一位当選。


明治42(1909)年:処女詩集「邪宗門」刊。実家破産。


大正 2(19157)年:福島俊子と結婚。「城ケ島の雨」作詩。


大正 5(1916)年:江口章子と結婚。真間の亀井院に寄寓。
    

        市川真間・亀井院

大正大正 5(1916)年:江口章子と結婚、白秋31歳
豊かな自然に囲まれた北小岩で、温かな人情に触れながら貧しくも心穏やかな生活を送りました。「紫烟草舎(しえんそうじゃ)」と自らが名付けた民家に暮らし、芸術の基盤となる優れた作品の創作活動を続け、短歌雑誌「烟草の花(たばこのはな)」を創刊しました。

 

     雀の生活  大正9年2月  新潮社 

       
白秋はしばしば雀を題材にしている。「3)雀と人間との詩的関係」には、紫烟草舎脇に建つ歌碑に刻まれた歌の詠まれた情景を記している。

       雀の卵 大正10年8月 アルス・

                 

「葛飾閑吟集」「輪廻三鈔」「雀のたまご」の合巻歌集。真間の亀井院居住中の作品「葛飾閑吟集」は、「序にかへて」「葛飾前夜」「真間に移る」などからなる。巻末自解にも、市川への思いがうかがえる。

 

人妻との恋愛にやぶれた北原白秋があたらしい生活を志して、平塚らいちょうの弟子、江口章子という女性と結婚、葛飾郡小岩村小岩田の三谷という(現在の江戸川区小岩町8の263)に新居をもったのは、大正5年7月のことである。
ある夕方、江戸川べりを歩いていた白秋が、その家から新妻の夕餉の支度をしている紫の煙をみて、”紫烟草舎”と名づけたということである

 

 

               

 豊かな自然に囲まれた北小岩で、温かな人情に触れながら貧しくも心穏やかな生活を送りました。
「紫烟草舎(しえんそうじゃ)」と自らが名付けた民家に暮らし、芸術の基盤となる優れた作品の創作活動を続け、短歌雑誌「烟草の花(たばこのはな)」を創刊しました。

大正10(1921)年:佐藤菊子と結婚。歌集「雀の卵」刊。

詩文「雀の生活」歌集『雀の卵』

 ・かき抱けば本望安堵の笑ひごゑ立てて目つぶるわが妻なれば(『雲母集』)

 ・薔薇の木に薔薇の花咲くあなかしこ何の不思議もないけれどなも(同上)

 
 ・今さらに別れするより苦しくも牢獄に二人恋ひしまされり『雀の卵』

 
・貧しさに妻を帰して朝顔の垣根結ひ居り竹と縄もて(同上)

 

 以下『雀の卵』の「葛飾閑吟集」から拾ってみる。

                      ・葛飾の真間の継橋夏近し二人わたれり継橋を

                                                            

                市川真間・文学散歩道


 ・昼ながら幽かに光る蛍一つ孟宗の藪を出でて消えたり
 
 ・破障子ひたせる池も秋づけば目に見えて涼し稗草のかげ

 
 ・下肥の舟曳く子らがうしろでも朝間はすずし白蓮の花

 
 ・ただ一つ庭には白しすべすべと嘗めつくしける犬の飯皿


 ・今さらにいふ事は無し妻とゐて夕さりくれば燈をとぼすまで

 

 池に浸す障子、下肥の舟など私の疎開先の体験とかすかにつながる田園風景ではあるが、現在の川沿いの高層マンション群、整備された河川敷、水上スキーからは想像もつかない。紫烟草舎での白秋・章子の暮らしの中で「煙烟の花」1、2号を出す

 

大正7(1918)年:小田原に引っ越す

  鈴木三重吉(赤い鳥)に参加

          
         
         鈴木三重吉氏

大正9(1920)年 章子と別離

大正10(1921)年  佐藤菊子と結婚、子供をもうける、生活も安定する


大正13(1924)年:「からたちの花」作詩。


昭和17(1942)年:東京杉並の自宅で11月2日他界。

 

    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 

北原白秋が世を去ってから

昭和40(1965)年

白秋の旧居は土手の上にあった。しかし、昭和40年の江戸川堤防の改修工事で取り壊され、
現在は、市川国府台里見公園の中に復元保存されている。
 碑は「いつしかに夏のあはれとなりにけり乾草小屋の桃いろの月」という。
毎年4月23日、揃いの白秋ゆかたをつけた近所の婦人連が、匏生さん作の小岩音頭をここで踊るよし。土地にはたった1年しか住まなかった白秋を慕うのも、東京の片隅に、
昔ながらの田圃を守っている土地の人たちの素朴な愛情であろう。 

『江東歳時記』(江戸川の白秋碑)

 

         
           北原白秋の歌碑      


   ・いつしかに夏のあはれとなりにけり乾草小屋の桃いろの月

 

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白秋は日夜、雀をこよなく愛した。
自分の食うや食わずに中にあってもこよなく愛した。

次回は「(北原白秋と雀)これに対して縄文人の雀の見方」です。

 

 

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あなたは、幸せ…ですか?と、問われれば・・

2016年12月15日 | 文学  コラム・エッセイ

誰もが ハイ、と答える。
3,11津波に遭った中学生の作文を読んで感じたこと

 

 

 

幸 せ

幸せですか?と問われれば「はい」と答えるだろう・・・・。
理由は?と問われれば、
漫然としていますが、不幸だと思わないから、と答える。
世の多くの人達は、、みんなそんな程度の”幸福感”で生きている。

 


 

 3・11の津波で甚大な被害にあった宮城県沿岸部に住んでいた当時中学年生
だった男性は、津波で家ごと流されてた。
屋根にのぼったが屋根が壊れ、いったん濁流に呑まれた。

 「もう、死ぬんだな~」と感じたが、「やっぱり死にたくない」と思い、
流れてきたボートに必死でしがみつき運良く助かった
(無我夢中)。

 奇跡的に助かった中学生。
家族は、みなバラバラだったが全員助かった。

・・・・・略・・・・・・、

自分の知り合いの遺体を見つけたとき、
「あーそうか。死ぬのかと。もう終わりなんだ。命は本当にひとつしかないんだ」
と実感したという。

現在高校3年生の男性は、大学に合格した。
 今でも当時の映像を見ると吐き気が止まらなくなるという。

「幸せとは」そよ風と共に、日常生活が過ぎ去って行きように、
朝起きて真っ赤な太陽が見られ、顔を洗うことができ、歯を磨く、
学校で友達と勉強ができる。

家族で食卓を囲んで会話ができる等、毎日が空気の様に過ぎ去る事の中に、
幸せが一杯含まれているのだと思った。

と感想を書き綴っていた。

 


 

幸せとは、遠い彼方に有るものだと思わない方がいい。
お金が一杯あって、楽しい生活ができる。

お金!?楽しい暮らし!?そんなものではない。
私たちの足元、日常の暮らしの中にいっぱいあること。

それは自分の心にあることを忘れてはならないと、
中学生の書き綴った3,11の一文を見て
私の心に、直球で突き刺さった。

 

 

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里見公園の草舎

2016年12月14日 | 社  歴史考察

 紅葉と草舎がピッタリはまった
市川国府台の紫烟草舎

 

同じ場所を前回も撮りました。

 があり、秋がなかったので紅葉と紫烟草舎です。


熊本のblogeのドンこさんの中に北原白秋の母校が掲載されています。


リンクさせてもらいました。

 

  

 

華やかに さびしき秋や 千町田の
  ほなみがすゑを 群雀立つ

紫烟草舎とは

  

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車屋さん

2016年12月12日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

チョ、富士山見える・・所まで
ひとっ走り

 

縄文人は、NHKラジオ深夜便のフアンです。

下段の歌詞が、10月中に番組で新曲が流れ、

ユニークで、夜中に聞いていても踊りだしそうな、

そんなメロデーと歌詞で,NHKらしからぬ深夜の歌とて、すっかりほれ込んだ。  

手帳に記入して置いたので、思いを新たに開いた。

NHK深夜便歌リスト 新曲出発点

 

 

 


鎌倉旅の時、粋な車屋さんを見かけた

百花繚乱!アッパレ!ジパング!

 

歌・小林幸子

 

作詞・なかにし礼

 

作曲・穂口雄右


・・・・以下歌詞を略します。・・・・

百花繚乱!アッパレ!ジパング! 

 

  感想

 鎌倉の衣張山から富士山が見えた。
切通し路、311号線小坪付近の隧道を超すと、駿河湾が開け秀峰富士が見える。

「車屋さん、一丁お願い」
客は、富士山を見に行ったかどうかは、知る限りに無い。

丁度その頃、NHKラジオ深夜便の中で月間のテーマ新曲が流されていた。
深夜のAM3,40分ごろなので、イヤホーンから流れる

「百花繚乱!アッパレ!ジパング!」のメロデーと歌詞が脳裏に突き刺さった。
深夜便としては、ユニークな旋律、改めて歌詞を紐解いてみた。

これまた作詞”なかにし礼”さん!!??、記憶に残る歌詞として
鎌倉の車屋さんと結びつけて、一体となって脳裏に残っています。

 

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≪故郷の味≫,堪能しながら食事が進む

2016年12月12日 | 社  食   物

”秩父おなめ”

blogerのmomomamaさんにこんなコメントを書いた。
そのコメントの必然性から生まれた記事です。

われ縄文原人にはどうも外食は、肌が合わない。
薄味すぎて、手じかに好みの調味料は、ナシ・・・・。
   
 ・ 外食は はじけて半分 我が家の膳

と、申すのは、
食卓には、縄文原人専用の3点セットが常備されています。
 ① 激辛塩しゃけ
 ② 田舎から取り寄せてある「おなめ」味噌、
   金山寺風のチョイとしょっぱい。
 ③ 田舎風のしょっぱいお新香
 ④ プラス 力水
わがままの、縄文原人です・・・・・・・・・・。
言っちゃった!!!

 

秩父地方では、古くから農家で作っていた通称「おなめ」を食べます。
ひなびた風味をそのまま生かし、ナス、生姜を切り込んで旨みのある形に整えたものです。


おなめは、かなり塩も効いているのですが、
春先のふきのとう、夏のみょうが等を刻み込んで入れ、一緒に食べます。

そのまま食べるとかなり「しょっぱい!」と感じるのですが、
温かいご飯にそのままのせたり、四季の野菜につけたり、
冷奴にのせても美味しいですよ(ノ´∀`*)




通の人は、おなめを酒の肴にします、
その一人です!!

 


直送されてきた樽を、開封しました。

秩父地方では、庭先の縁側の軒先でどこの家でも作られました。
夏の暑い日には、4斗ダルで作り1年中の食膳に添えられた。

樽の中から発酵するプツプツともろ味が音を発して、
その”おなめ”の出来具合が、絶妙の味となって出来上がります。
(田舎生活の思い出)

 

  ←拡大

夕餉の食卓で、今日は、満腹だと言いながらも

↑ 上の様に温かいご飯の上に”おなめ”を添えると、

食欲増進、これだけで2杯のご飯を頂けること、請け合いです。
健康の元・バッチリ。

♬ ♪ ハァーエ~ 
秋蚕(あきご)仕舞うて 麦蒔き終えて 秋蚕仕舞うて 麦蒔き終えて

 秩父ナァーエ 秩父夜祭り アレサ待つばかり

故郷の民謡を想いつつ、力水も弾む・・・・・
”秩父おなめ”です。

 

 

秩父地方【おなめ】作りの風景


作り方の詳細です。 

 


「山里の記憶」からお借りし貸した。
このように丹精して作る「おなめ」は、あまり見かけなくなりました。
絵図で示した貴重な資料です。

 

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里見公園の一角に

2016年12月11日 | 紀  各種公園

宗 左近の誌碑が建立。

 

東京スカイツリーが見える、石垣の上に建立されていた。
人物・ ≪宗 左近氏≫ 市川市の名誉市民でした。


詩人・評論家・仏文学者であり翻訳家。
法政大学名誉教授。法政大学社会学部と昭和女子大学教授を歴任。
文芸誌『同時代』同人。
 

 

     ●透明の芯の芯●
     ~市川讃歌~
                 宗 左近 作詩


                                       1.夕焼け おお 生命が炎える
                                        市川 夢の常夜燈
                                        舞う 縄文の蛍たち
                                        少女の乳首の尖きに富士とがり
                                        恋の継ぎ橋に立ちすくむ若者の瞳に
                                        どんな鳥が歌ってくれなかったろうか
                                        幸福より長い永遠はありはしないと
                                        市川 炎える生命
                                        常夜燈の夢

                                       2.星明り ああ 暗闇が祈る
                                         市川 伏流水の歌
                                         跳ねる 影の魚たち
                                         若者の眉の上に銀河雪崩れ
                                         雲の涯に身を投げる少女の足裏
                                         どんな波が叫んでくれなかったろうか
                                         瞬間より深い宇宙はありはしないと
                                         市川 祈る暗闇
                                         歌の伏流水

                                      3.曙 いま 世界が垂直
                                        市川 芯の芯の透明
                                        はばたく 虹の風たち
                                       恋の継ぎ橋を渡る若者の瞳に
                                       尖りはじめる少女の乳首の富士
                                       どんな光が祝ってくれないだろうか
                                       永遠と瞬間の沸りあう今こそが未来と
                                       市川 垂直が世界
                                          透明の芯の芯


       モニメント建立状況。 youtubeにて
 

 


        
記念碑は、江戸川を眼下に、スカイツリーが望め、遠くに霊峰富士が見えます。
氏は、市川市に暮らし、2006年に87歳で亡くなった。

28年6月5日に除幕式があったと知った。。
市川の文化振興に大きな影響を与えた、氏の功績に思いをはせた。

建立された詩の中で
「垂直」➡ 一人で立つ、「芯」➡ 市民の心は聖・誠
と、自分なりの理解して納得した。

市には、多くの文人墨客が住んでいたことで知られています。
氏については、全く知らなかったが、記念碑を見て改めて功績を知った。  

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里見公園の晩秋

2016年12月10日 | 紀  各種公園

以呂波紅葉(いろはもみじ)& 公孫樹(いちょう)

 

坂を下ると絨毯の様な落ち葉、パラパラと落ちて重なる。

広場に大きなイチョウが一本、崖を噴き上げる風が梢に当たり一斉に葉を落とす。

通りかかった人が、上を見つめその余韻に慕っていた。

 

DB

 『紅葉黄葉

 

 

 

 

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