和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

おつは!

2013-05-04 | 本棚並べ
安藤鶴夫著「ごぶ・ゆるね」(旺文社文庫)を注文。

甲陽書房古書部へ注文。
先払い800円 (梱包発送費は小社負担となっておりました)
郵便局のATMにて送金すると、すぐに返信が来て、次の日届きますとのこと。
クロネコメール便のメール便速達サービスにて、ちゃんと昨日届く。
その包装がステキです。
雑な私には、まるでクリスマスプレゼント用にでも、包装してもらったような丁寧さ。宛名は印刷なのですが、大きい文字で手書き風。甲陽書房の紙カバーも同封されて、模様は「意匠 青山二郎」とあります。この文庫をとりあげた「大波小波」の新聞切り抜きもきちんと同封されて、こちらも丁寧に読ませていただきました。ありがたい。
まるで、居ずまいを正して紋付袴で本を送り出してくださったような余韻がありました。

ということで、昨日は
贈り物をほどいて、楽しんだ。そんな一日を過せました。

なぜ、この古本を注文したか。
「紙つぶて 自作自注最終版」の806頁。
「話し言葉と表情や所作の活写を極めた文体の魅力」と題された文。
そこで、旺文社文庫の「ごぶ・ゆるね」を取り上げていたからなのでした。
谷沢永一氏は、この文庫のなかの「『赤い鳥』のころ」「落語研究会」「七代目・可楽のこと」をとりあげていますので、その水先案内人のいうとおり、まずはそこを読みました。よかった。
その文庫の第三章が「ごぶ・ゆるね」安藤鶴夫・斉藤磯雄往復書簡となっていて、この文庫最後の、齋藤磯雄氏による「後記」と合わせて往復書簡を読むと、じーん、となるのでした。

まあ、それは読んでのお楽しみとして、
「ごぶゆるねのごぶが、御無沙汰の略の、ごぶであり、
ごぶゆるねのゆるが、許してね、の、ゆるである・・」(p240)

往復書簡の最後は齋藤氏の文でした。
そこに、こんな箇所。

「君のいはゆる安藤語も・・わが家では日常語になつてゐる。倅までがお早うと言はずに、おはネ、と言ふ。山妻もあらおはねえ。僕は家長の威厳を保つて、おつは!・・」(p243~244)

ああ、そうそう。
谷沢氏が紹介した「『赤い鳥』のころ」は、
昭和41年の蛍雪時代に掲載された短文なのでした。その最初は
「わたしは雑誌『赤い鳥』を読んで、育った。」とはじまります。
真ん中が重要なのでしょうがカット(笑)。
ここでは、その文の最後を引用。

「日本の雑誌は、少年雑誌から途中がなくて、大人の雑誌に飛躍しなくてはならないのだが、わたしは『赤い鳥』から、突然『中央公論』にとんだ。その時、ちゃんと『赤い鳥』でおなじみの龍之介、万太郎、春夫などが、みんな、そろって小説を書いていた。このことにもわたしは感動した。・・・」(p168)
コメント
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