文春文庫の新刊。磯田道史著「龍馬史」(\467+税)を買う。
パラパラ読み出すと、気になり、最後まで引き寄せられるようにして読みました。
たのしい読書体験。第3章まであるのですが、どの章も魅力があります。
ひとつだけ引用するとすれば、
会津「日新館」と、薩摩「造士館」の比較など興味をそそられます。
「会津藩は、幕末の動乱の80年ほど前に、天明の大飢饉の直撃を受けました。この藩は最盛期の徳川吉宗時代は16万人近い人口がいたのですが、飢饉のために3割減って、10万人になってしまいました。この人口減は地獄の様な有様を繰り広げたことでしょう。人口の減少は、年貢収入の落ち込みに直結します。
財政悪化で会津藩がどうにもならなくなったときに、一人の天才家老が現れました。それが田中玄宰(はるなか)という人物です。・・・田中玄宰は熊本藩を手本とし、まず人材登用制度の改革を行います。・・・田中は熊本藩から古屋昔陽(せきよう)という学者を政治顧問として招き、『日新館』という学校を作り、ここでエリート教育を行いました。しかも、学校を作って終わりというのではなく、その人材をどう生かすかについても考えていました。・・・・『日新館』は管理教育の最初といっていいでしょう。・・」(146~148)
「一方、薩摩藩も早くから熊本藩に学び、藩校の『造士館』を作ります。ここから先が薩摩藩の面白いところですが、この藩校で成績が良かった人間ももちろん登用するのですが、それ以外にもふだんの行動を見ていて人材を選びます。薩摩藩には人を選ぶ能力を持った藩主が出ました。・・側近に西郷吉之助を抜擢しました。薩摩藩にあって、西郷ほどの人目利きはいません。・・なぜ西郷が友人や親戚の子供たちの能力をわかっているのかというと、子供の頃から『郷中教育』を行っていたからです。・・・彼らの教育の中でも重要なのが判断力を養う『詮議』といおうものでした。詮議というのは一種のケーススタディです。もしこういうシチュエーションになったら君はどうするかということを先輩が問いかけ、小さな子供から順に答えさえていくというものです。・・・・そのようなことを何度も詮議で繰り返しているのが、郷中教育というものなのです。メンバーは、誰がどういう答えをするかをずっとこの集団の中で聞いている。薩摩藩士の思考パターンは『場合分け性』が高いかもしれません。この場合はこうする、もしこうなったらこうすると、あらかじめ答えが用意されている。だから彼らは、危機に直面したときに行動が早い。知恵をつける記憶力ではなくて、対処の判断力を養っているわけです。薩摩の子供たちは、維新の志士の次の世代もこの教育を受けています。」
佐々淳行氏の「危機管理」を思い浮かべたりします。
パラパラ読み出すと、気になり、最後まで引き寄せられるようにして読みました。
たのしい読書体験。第3章まであるのですが、どの章も魅力があります。
ひとつだけ引用するとすれば、
会津「日新館」と、薩摩「造士館」の比較など興味をそそられます。
「会津藩は、幕末の動乱の80年ほど前に、天明の大飢饉の直撃を受けました。この藩は最盛期の徳川吉宗時代は16万人近い人口がいたのですが、飢饉のために3割減って、10万人になってしまいました。この人口減は地獄の様な有様を繰り広げたことでしょう。人口の減少は、年貢収入の落ち込みに直結します。
財政悪化で会津藩がどうにもならなくなったときに、一人の天才家老が現れました。それが田中玄宰(はるなか)という人物です。・・・田中玄宰は熊本藩を手本とし、まず人材登用制度の改革を行います。・・・田中は熊本藩から古屋昔陽(せきよう)という学者を政治顧問として招き、『日新館』という学校を作り、ここでエリート教育を行いました。しかも、学校を作って終わりというのではなく、その人材をどう生かすかについても考えていました。・・・・『日新館』は管理教育の最初といっていいでしょう。・・」(146~148)
「一方、薩摩藩も早くから熊本藩に学び、藩校の『造士館』を作ります。ここから先が薩摩藩の面白いところですが、この藩校で成績が良かった人間ももちろん登用するのですが、それ以外にもふだんの行動を見ていて人材を選びます。薩摩藩には人を選ぶ能力を持った藩主が出ました。・・側近に西郷吉之助を抜擢しました。薩摩藩にあって、西郷ほどの人目利きはいません。・・なぜ西郷が友人や親戚の子供たちの能力をわかっているのかというと、子供の頃から『郷中教育』を行っていたからです。・・・彼らの教育の中でも重要なのが判断力を養う『詮議』といおうものでした。詮議というのは一種のケーススタディです。もしこういうシチュエーションになったら君はどうするかということを先輩が問いかけ、小さな子供から順に答えさえていくというものです。・・・・そのようなことを何度も詮議で繰り返しているのが、郷中教育というものなのです。メンバーは、誰がどういう答えをするかをずっとこの集団の中で聞いている。薩摩藩士の思考パターンは『場合分け性』が高いかもしれません。この場合はこうする、もしこうなったらこうすると、あらかじめ答えが用意されている。だから彼らは、危機に直面したときに行動が早い。知恵をつける記憶力ではなくて、対処の判断力を養っているわけです。薩摩の子供たちは、維新の志士の次の世代もこの教育を受けています。」
佐々淳行氏の「危機管理」を思い浮かべたりします。