和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

学問の趣意。

2013-05-27 | 他生の縁
中公文庫の猪瀬直樹著「唱歌誕生」には、最後に附録として母校信州大学教育学部附属長野中学校での講演が載せてありました。

その印象がよかったせいか、
今日になって、どういうわけか、
福沢諭吉の著書「学問のすすめ」を思い浮かべるのでした。

その初編の端書に、こうあるのでした。
「このたび余輩の故郷中津に学校を開くにつき、学問の趣意を記して、旧く交はりたる友人に示さんがため一冊を綴りしかば、ある人これを見ていはく、『この冊子を独り中津の人へのみ示さんより、広く世界に布告せば、その益もまた広かるべし』との勧めにより・・・ 明治四年未(ひつじ)十二月」

うん。長野中学校での講演も、ひろく日本の中学生に読んでもらいたなあ。
ところで、
産経の古新聞を整理していたら。
その4月7日「新聞に喝!」(伊豆村房一)の文が
こうはじまっていたのでした。

「『一身独立して一国独立する』安倍晋三首相は2月28日の施政方針演説で、この福沢諭吉の言葉を引用しながら『「強い日本」。それをつくるのは他でもなく、私たち自身です』と述べた。安倍首相の思いはほかでもない。いま日本を取り巻く国難を克服し『強い日本』を取り戻すには国民の自立心が肝要であり、それには明治維新以降、独立日本の建設に心血を注いだ明治人の気概を伝えたかったのだろう。
冒頭の言葉は明治維新時に空前のベストセラーとなった『学問のすすめ』からの引用だが、安倍首相は同演説の中で『苦楽を与(とも)にするに若(し)かざるなし』という言葉も引用している。政治指導者だけでなく国民一人一人の奮起が欠かせないというのだ。・・・」

北岡伸一著「独立自尊 福沢諭吉の挑戦」(講談社)にある、
「学問のすすめ」が書かれた時代背景を以下に引用。

「・・明治三年の閏十月には中津に行き、母を迎えた。その頃、まだ洋学者は安全ではなかった。大阪では、のちの腹心となる朝吹英二に命を狙われ、中津では増田宋太郎に命を狙われた。
明治四年の廃藩置県は、維新革命の頂点をなすものだった。地域によっては数百年来の統治者が根こそぎにされたのである。これまで薩長の政府と思われていた政府が、薩摩藩、長州藩まで廃止してしまったのである。福沢はことの意外に驚き、『当時われわれ同友は三五会(かい)すればすなわち祝し、新政府のこの盛事をみたる上は死するも憾(うら)みなしと絶叫したるものなり』と書いている(「福翁百余話」)。それからまもなく新政府の中枢の半ばが、欧米視察に長期の海外旅行に出た。岩倉使節団である。新政府の西洋文明志向は決定的であった。『学問のすすめ』が書かれたのは、こうした感激の中においてであった。・・」


ということで、こりゃ、
「学問のすすめ」を読まくちゃなりません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする