和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

分からへんねん。

2013-05-21 | 短文紹介
古新聞の整理。
産経新聞2月25日に「第17回菜の花忌シンポジウム」。
第16回司馬遼太郎賞は赤坂真理著「東京プリズン」・片山杜秀著「未完のファシズム」でした。うん。「未完のファシズム」を読んでみたい。

下の方に、福田みどりさんのコメントが掲載されておりまして、印象に残ります。

「・・・司馬さんが生まれたのは大阪市浪速区で、兵隊に行くまでそこで過しました。父親も母親も、大阪弁しかぴったりこない人でした。ところが司馬さんは、大阪弁がしゃべれなかった。学生の大阪弁というか、『そうでっしゃろ』とか『言いまんねんわ』というような、大人の大阪弁が話せなかったんです。あるとき、司馬さんから電話がかかってきて、『僕ここに一人いんねん。なにしてええか分からへんねん。どうしたらええやろ』と言うんです。それを聞いて、これは大人というよりも少年だな、と思ったんです。恥じらいがあってプライドが強くて、そのくせ孤独で。少年独得の特徴を、司馬さんは全部備えていました。・・・」

そういえば、
司馬遼太郎・桑原武夫対談「人工日本語の功罪について」のなかに
こんな箇所があったなあ。

司馬】 実をいいますと、いまの発言は、わたしが多年桑原先生を観察していての結論なんです(笑)。大変に即物的で恐れいりますが、先生は問題を論じていかれるのには標準語をお使いになる。が、問題が非常に微妙なところに来たり、ご自分の論理が次の結論にまで到達しない場合、急に開きなおって、それでやなあ、そうなりまっせ、と上方弁を使われる(笑)。あれは何やろかと・・・。
桑原】 批判していたわけだ(笑)。
司馬】 いや、批判じゃなくて、これはやはり標準日本語がまだ不自由で足りないところがあるせいだろうと思っております(笑)。喋り言葉としての標準語は論理的であるにしても、おっしゃるように100%の論理性はない。そこで感情論理学を背負っている京都弁で栓をしてしまう。
桑原】 ぼくは標準語を使ってはいるが、意をつくせないときはたしかにありますね。そこで思うんですが、社会科学などの論文に、もっと俗語を使って、『さよか』とか・・(笑)。
司馬】 『そうだっしゃろ』とか・・・。
桑原】 『たれ流し、よういわんわ』というような言葉が入るようになればおもしろいと思うんですがね(笑)。
司馬】 そうですな。
コメント (2)
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