和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

二昔前も今も。

2013-05-20 | 短文紹介
産経新聞5月20日の「正論」欄は
平川祐弘氏が書いておりました。
その中頃を引用。

「英軍の語学将校として日本軍と戦ったルイ・アレンは、戦後ダラム大学で教えた・・・英日双方の資料を基にビルマ戦史を次々に著わした。91年死ぬ直前、車椅子で登壇、英軍事博物館で熱弁をふるった。『日本は、英国が中国(蒋介石軍)支援用に開いたビルマからの援蒋ルートを遮断し、ビルマをアジア解放のショーウィンドーとすべく戦った。英国は日本によって奪われた植民地の領土と富を奪回して勝利したが、戦後それを維持することはできなかった』
遺言ともいうべきその講演を報じた同年12月7日付朝日新聞の見出し『ビルマ戦線いまも残虐イメージ残す』は公平でないと先日届いたアレンの遺著・・に、編者ニッシュが註を付している。
『メディアが勝手に決めてかかる見方を打破しなければ和解は成り立たない』というアレンの主張も引かれていた。だが、マスコミの偏見や世論誘導は二昔前も今も大差ない。・・・」


正論の前のページ。
オピニオン「話の肖像画」には、百田尚樹(57)へのインタビュー記事(聞き手・広瀬一雄)。その最後の箇所を引用。

「出光佐三に触れた後、東日本大震災がありました。バラエティ番組で笑っていていいのかと悩んだこともありました。クリエーターはみな悩んだと思いますよ。でも佐三のことを調べれば調べるほど、『これは書かないといけないぞ』と思いました。
昭和20年の日本と、震災の後の日本の姿がダブったんです。終戦後の日本はひどかった。300万人の命が失われ、住むところもなければ、工場もない。ゼロどころか、莫大な賠償金を背負い、マイナスからのスタートからだった。・・・出光もすごいけれど、出光は日本の『すごい男』の象徴なんです。出光佐三と、出光興産の社員だけが努力しても、日本は立ち直らないんです。名もなき『出光佐三』が何千万人もいたからこそ、日本は立ち直った。そのすごさを知ってもらいたいんです。」

そして20日のインタビュー最後の言葉はというと

「本屋大賞の授賞式で、女性の書店員の方とお話ししたんですが、みんな、登場人物を『しびれる』って言ってくれたんです。どんな困難にあってもくじけない。芯のある、非常に魅力的な男を、現代の女性は待っているんですね。」

そういえば、朝日新聞4月11日の全面広告「本屋大賞第1位」のなかに、全国の各書店員からの一言が載っておりまして、ひとつ忘れられない文句があります。

それは、東京三省堂書店 有楽町書店 新井見枝香さんのコメント。

「読み出したらもうどうにも止まらなくなって、
デートの約束をキャンセルしました。
こんな小説、ほかにあるかっ! 」

二昔前も、きっと
こういう心意気の女性がいたんですよね。

ということで、
「デートの約束をキャンセル」してまで読んだという
新井さんの言葉に押されて、圧されて、じゃなかった、推されて
「海賊とよばれた男」上下巻(講談社)を買うことに。
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探し物。

2013-05-20 | 本棚並べ
探し物で、本の段ボール箱を、あちこちひらく。
目的の本が見つからずに、以前に読みたかった本が出てきます(笑)。
うん。これがセレンディピティと教わったのは、
外山滋比古氏の本でした。

「18世紀のイギリスに、『セイロンの三王子』という童話が流布していた。この三王子は、よくものをなくして、さがしものをするのだが、ねらうものはいっこうにさがし出さないのに、まったく予期していないものを掘り出す名人だった、というのである。この童話をもとにして、文人で政治家のホレス・ウォルポールという人が、セレンディピティ(serendipity)という後を新しく造った。人造語である。
そのころ、セイロン(いまのスリランカ)はセレンディップと言われていた。セレンディピティというのは、セイロン性といったほどの意味になる。以後、目的としていなかった副次的に得られる研究成果がひろくこの語で呼ばれることになった。」(外山滋比古著「思考の整理学」ちくま文庫・p67)

おっと、段ボール箱から出て来たのは、
以前にさがしていた
ニコラス・モンサラット作・吉田健一訳の
「非情の海」上下・至誠堂

これが見つからなかったので
昭和28年に新潮社から発売された「怒りの海」上下を
買って読んだのでした。うん。読みたい時が吉日。
至誠堂の下巻最後には、戦艦やUボートの写真などの資料が載っております。

安藤鶴夫の旺文社文庫は、
最近揃えることができました。
こうして備忘録がてら、ブログに書いていると、
ついつい、調子に乗ってネット古本屋で買ってしまいます(笑)。

旺文社文庫の「落語鑑賞」下に、
江國滋氏の解説が載っているのですが、そのなかに「落語鑑賞」についてで、
「興趣ということでいえば、筑摩書房版を除くすべての版が、木村荘八画伯の装幀と挿画で統一されているのも、いかにも安藤さんのセンスである。」(P408)

この箇所を読んだのは、
苦楽社の「落語鑑賞」をネット古本で注文した後でした。

旺文社文庫のカバー絵は、
甲乙つけがたいのでしょうが、
やはり、「落語鑑賞」のがいいなあ。
単行本の木村荘八の扉の絵が、そのまま使われております。
「扉は、客席になっており、高座の左手が杉戸で、土瓶を下げたお茶子が立っている」。
坐った観客のなかで、ひとり立って高座を見いっているお茶子の姿がカラーで、味わい深いのでした。

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