今日発売の文藝春秋。その新聞広告を見ると、
ドナルド・キーン氏と徳岡孝夫氏の対談が掲載されている。
うん。これだけでも読みたい。と購入。
お二人の対談は
「『現代の名文』入門」という必読大特集のひとつでした。
お二人の対談は8ページほどでした。
キーン氏が永井荷風について
「彼が口を開いたとき・・あんなに美しい日本語を聞いたことは、後にも先にもありません。日本語特有の哀しさや翳りが感じられて・・・」とあります。
今なら、どなたの日本語を聞けばよいのでしょうね。
などと、思うのでした。
ちなみに、
徳岡氏は
「荷風は幼いころから歌舞伎などにも親しみ、漢学や日本画の素養もありました。一時は落語家に弟子入りしたこともある。・・・」
落語といえば、
「鏡花は、金沢から上京して紅葉の門下に入りますが、文体を磨くために何度も落語に通って、江戸の言葉を覚えようとしたそうです。」とも徳岡氏が語っておりました。
徳岡氏といえば、
こんな名言。
「私も新聞記者出身なのですが、基本的には新聞記者に名文家はいません(笑)。僕の持論として、一日でも会社から貰った定期券をポケットに入れた人間には、名文は書けないのです(笑)。一字一句で勝負している人間でなければ、文章は磨けない。」(p284)
ちなみに、
雑誌「諸君!」2007年10月号に
永久保存版「私の血となり、肉となった、この三冊」という特集がありました。
そこで徳岡孝夫氏は
鴨長明「方丈記」
森鴎外「渋江抽斎」
幸田露伴「太郎坊」
以上3冊をとりあげていたのでした。
今回の対談の最後で徳岡氏は、こう語っておりました。
「私が推薦したいのは、幸田露伴の『太郎坊』です。これは『日本文学史』を訳しているときに、キーンさんから教わった、ごく短い小説なのですが、何も劇的な事件は起こらない。旦那が仕事から帰って、銭湯へ行って帰ってくる。・・・」
これをうけてキーン氏の対談の〆はというと、
「『太郎坊』は大変東洋的な小説です。私は、露伴の書いたものを読むと、一種の憧れを感じます。一番大事なのは家へ帰ること。家へ帰って奥さんといつもの話をして、いつもの物を食べること。かつてそういう生活があった。今もまだどこかに、こうした時間、こうした生活があるのでしょう。露伴は、文章の力で、それに気づかせてくれるのです。」
うん。この雑誌を、その「諸君!」10月号と並べて架蔵しておくことに(笑)。
ドナルド・キーン氏と徳岡孝夫氏の対談が掲載されている。
うん。これだけでも読みたい。と購入。
お二人の対談は
「『現代の名文』入門」という必読大特集のひとつでした。
お二人の対談は8ページほどでした。
キーン氏が永井荷風について
「彼が口を開いたとき・・あんなに美しい日本語を聞いたことは、後にも先にもありません。日本語特有の哀しさや翳りが感じられて・・・」とあります。
今なら、どなたの日本語を聞けばよいのでしょうね。
などと、思うのでした。
ちなみに、
徳岡氏は
「荷風は幼いころから歌舞伎などにも親しみ、漢学や日本画の素養もありました。一時は落語家に弟子入りしたこともある。・・・」
落語といえば、
「鏡花は、金沢から上京して紅葉の門下に入りますが、文体を磨くために何度も落語に通って、江戸の言葉を覚えようとしたそうです。」とも徳岡氏が語っておりました。
徳岡氏といえば、
こんな名言。
「私も新聞記者出身なのですが、基本的には新聞記者に名文家はいません(笑)。僕の持論として、一日でも会社から貰った定期券をポケットに入れた人間には、名文は書けないのです(笑)。一字一句で勝負している人間でなければ、文章は磨けない。」(p284)
ちなみに、
雑誌「諸君!」2007年10月号に
永久保存版「私の血となり、肉となった、この三冊」という特集がありました。
そこで徳岡孝夫氏は
鴨長明「方丈記」
森鴎外「渋江抽斎」
幸田露伴「太郎坊」
以上3冊をとりあげていたのでした。
今回の対談の最後で徳岡氏は、こう語っておりました。
「私が推薦したいのは、幸田露伴の『太郎坊』です。これは『日本文学史』を訳しているときに、キーンさんから教わった、ごく短い小説なのですが、何も劇的な事件は起こらない。旦那が仕事から帰って、銭湯へ行って帰ってくる。・・・」
これをうけてキーン氏の対談の〆はというと、
「『太郎坊』は大変東洋的な小説です。私は、露伴の書いたものを読むと、一種の憧れを感じます。一番大事なのは家へ帰ること。家へ帰って奥さんといつもの話をして、いつもの物を食べること。かつてそういう生活があった。今もまだどこかに、こうした時間、こうした生活があるのでしょう。露伴は、文章の力で、それに気づかせてくれるのです。」
うん。この雑誌を、その「諸君!」10月号と並べて架蔵しておくことに(笑)。