最近は、もっぱら本を読みながら、途中の参考文献とか、ちらりと紹介されている本を、ネット古書店に注文するのが癖になってしまいました。そして、本は最後まで読まない(笑)。
うん。そういえば、書評は「この本面白いから、買わないと損だよ」とでも言われているような気分にさせられます。その意味で、あらためて噛みしめたい言葉として浮かんでくるのが、カズオ書店なのでした。
「・・中学生の私を連れて行き、谷沢はん、これ、買うときなはれ、あんた大きなったとき役に立ちまっせ。カズオさんの言う通りであった。」(p197・谷沢永一著「紙つぶて自作自注最終版」)
昨日、家で文庫の探し物をしていたら、
あれ、ちくま学芸文庫「柳田國男対談集」がありました。
この、文庫解説は宮田登氏。
ちなみに、筑摩叢書の「柳田國男対談集」の
「あとがき」は臼井吉見氏。
どちらも、印象深いなあ。
さてっと、筑摩書房「新編柳田國男集」の第十巻。
その解説は鶴見俊輔氏。
鶴見氏の解説の中に、柳田國男・家永三郎の対談からの引用があったのでした。
そこを引用。
「ただ思想という言葉を私が問題にしているのは、そんなバラバラのものの概念の用箪笥みたいなものに名づけて思想といえるかどうか。そういうものまで含めて思想というか。たとえば問題が起った時に初めて出す判断、それには知識も必要だけれども、ある一つの概念みたいなものをかねがね持っているのです。それは、その時に、おれはそう思わない――という時にはじめて現れてくるのでしょう。漠然たるネピュラ(星雲)みたいなものです。」(p285)
うん。たとえば、東日本大震災という「問題が起った時に初めて出す判断」。
ということを、つい思い浮かべながら読みました。
うん。そういえば、書評は「この本面白いから、買わないと損だよ」とでも言われているような気分にさせられます。その意味で、あらためて噛みしめたい言葉として浮かんでくるのが、カズオ書店なのでした。
「・・中学生の私を連れて行き、谷沢はん、これ、買うときなはれ、あんた大きなったとき役に立ちまっせ。カズオさんの言う通りであった。」(p197・谷沢永一著「紙つぶて自作自注最終版」)
昨日、家で文庫の探し物をしていたら、
あれ、ちくま学芸文庫「柳田國男対談集」がありました。
この、文庫解説は宮田登氏。
ちなみに、筑摩叢書の「柳田國男対談集」の
「あとがき」は臼井吉見氏。
どちらも、印象深いなあ。
さてっと、筑摩書房「新編柳田國男集」の第十巻。
その解説は鶴見俊輔氏。
鶴見氏の解説の中に、柳田國男・家永三郎の対談からの引用があったのでした。
そこを引用。
「ただ思想という言葉を私が問題にしているのは、そんなバラバラのものの概念の用箪笥みたいなものに名づけて思想といえるかどうか。そういうものまで含めて思想というか。たとえば問題が起った時に初めて出す判断、それには知識も必要だけれども、ある一つの概念みたいなものをかねがね持っているのです。それは、その時に、おれはそう思わない――という時にはじめて現れてくるのでしょう。漠然たるネピュラ(星雲)みたいなものです。」(p285)
うん。たとえば、東日本大震災という「問題が起った時に初めて出す判断」。
ということを、つい思い浮かべながら読みました。