和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あちゃー。

2013-05-30 | 他生の縁
いとうせいこう氏を、私は知らなかったので、
中島岳志の書評は、ありがたく、
おかげで「想像ラジオ」が読めたのでした。

さてっと、中島岳志の書評といえば、
昨年の2012年8月2日に、当ブログで取りあげておりました。ブログ検索で、忘れていたその箇所を読み直し(笑)。

その書評では、横田増生著「評伝ナンシー関」(朝日新聞出版社)がとりあげられておりました。それではと、この本を古本屋へと注文することに。

ブックハウスQ(札幌市中央区)
750円+送料290円=1040円
本文はきれいです。
カバーが素敵ですね。
本代は先払いでした。

とりあえず。
「プロローグ」をひらくと、こうあります。

「ナンシー関の名付け親であるいとうせいこう」(p17)

そしてp19には、

「亡くなったナンシーの霊魂を感じたという人たちもいる。
文藝春秋でナンシーの『テレビ消灯時間』などを担当した朝香美枝はこう話す。『霊安室に入ったとき、ナンシーさんの亡骸が目の前にあったんですけれど、ナンシーさんの意識もまだ霊安室の中にあったんです。その意識が私の中に入ってきたんです。ナンシーさんは『あちゃー、自分はさっきまで死んだことが夢だと思っていたけど、どうも夢じゃなくって現実みたいだな』と思っていたようです。ナンシーさんが、なぜ『あちゃー』と思っていたかというと、両親に申し訳ない、という理由からだってことも感じました。
朝香とナンシーは、ナンシーが三軒茶屋に引っ越す前に赤塚のマンションに住んでいたとき、そのマンションで女性の飛び降り自殺があって、ナンシーがその幽霊を見たという話で盛り上がったことがあった。
ナンシーは朝香に、『私、幽霊は信じないんだけれど、見たんだよ。信じないけど、幽霊はいるんだよ』と熱心に語ったという。
『私はそういう話が好きな方なんで、ナンシーさんと、もし幽霊がいるのなら、どっちが先に死んでも、お互いのところに出てきましょうね、って約束をしたんです』と朝香は言う。・・・』」


うん。中島岳志の書評「評伝ナンシー関」には
こんな箇所があったのでした。

「時折、『ナンシー関が生きていたら』と思うことがある。テレビを見ながら、言語化できないモヤモヤ感が残る時、あの消しゴム版画が思い浮かぶのだ。」

「若き日のナンシーは、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の熱心なリスナーだった。ナンシーの武器である『角度』は、このラジオによって生成された。青森で生まれ育ち、高校時代から消しゴムで作品を作り始め、18歳で上京。大学中退後、その才能が話題を呼び・・・」

こうして、
『あちゃー』『青森』『ラジオ』とくれば、つぎには、何の違和感もなく『想像ラジオ』へ、つながるような気がしてきます。


コメント
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