和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

日かげをしみて。

2013-05-19 | 本棚並べ
曽野綾子・金美齢対談「この世の偽善」(PHP)の第一章に、
金さんが「かつては『艱難辛苦汝を玉にす』という言葉がありました。東日本大震災に限らず、昔の日本人は困難に立ち向かうことが自分を鍛え、磨き、立派にしていくことにつながると考えていた。・・・」(p31~32)
という箇所がありました。

うん。こういう指摘をしてくださる方は、いるようでいないものです。
最近、平川祐弘著「東の橘西のオレンジ」(文藝春秋・1981年)の古本を注文。

佐藤書房(八王子市東町)
630円+送料200円=830円
先払い。ゆうメールで宛名は手書き、
サインペンより少し太字です。
本は読んだ跡がなく、ページはいたってきれい。

さて、この本に「フランクリンと明治皇后」という36頁の文が入っております。
そこを読む。中村正直訳「西国立志編」からはじまります。そこからフランクリンの「自叙伝」へとつながり、つぎに「自叙伝」の「十二の徳目」を引用しておりました。その徳目を美子(はるこ)皇后が和歌によみかえたことが辿られてゆくのでした。
ちょっと端折りすぎたのは御勘弁していただいて、
この箇所を引用

「  勤労
みがかずば玉の光はいでざらむ人のこころもかくこそあるらし

という御歌は『正法眼蔵随聞記』の次の言葉とぴたりと重なる。
『玉は琢磨によりて器となる。人は練磨によりて仁となる。何(いづれ)の玉かはじめより光有る。誰人(たれびと)か初心より利なる。必ずみがくべし。すべからく練るべし』
『正法眼蔵随聞記』は西暦十三世紀に編まれた書物だが、しかしこの言葉はその先をさらにたどれば『礼記(らいき)』の、『玉琢(みがか)ざれば器を成さず、人学ばざれば道を知らず』
に通じる。『礼記』は西暦紀元前一世紀、シナの漢の時代の初めに編まれた書物だが、そのような人格陶治の思想が儒教にも仏教にもあって東アジアに連綿として続き、徳川時代には『艱難汝を玉にす』という格言が広く行われていたからこそ、フランクリンのプロテスタンティズムの倫理も、スマイルズの『自らを助く』の独立自尊の精神も、わが国で共感を呼んだのだと思う。しかしいつの世にも流行がある。今日、かりに同じ内容であろうとも、『立身出世』といえば古く野暮くさく聞え、『自己実現』といえば新しく恰好よく聞える。それと同じことで、すべて日本的なもの、東洋的なものは古臭いと思われたに違いない明治初年の日本で・・・・」(p84~85)

「金剛石」の小学唱歌にも触れられております。

「ここまで述べると、戦前・戦中に育った読者にはぴんとくる歌があるだろう。それは『金剛石』の小学唱歌である。明治二十年、美子皇后のお歌は奥好義(よしいさ)の作曲にあわせて敷衍され、やがて日本国津々浦々に愛唱された。

  金剛石も    みがかずば
  珠のひかりは  そはざらむ
  人もまなびて  のちにこそ
  まことの徳は  あらはるれ

  時計のはりの  たえまなく
  めぐるがごとく 時のまの
  日かげをしみて はげみなば
  いかなるわざか ならざらむ 」(p82)


コメント
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