和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

そいつはいい。

2013-05-22 | 短文紹介
小説は読めない方です。
短文なら、すぐによめちゃうし
それなりに楽しめる(笑)。

そういう、短文のなかに、
ときたま、思い出す文があり。
私の場合のそれは、
河上徹太郎の短文「座右の書」。

どういうわけか、
数年おきぐらいに、思い浮かぶ。

それが、どうも私には分からない。
分からないからか、忘れられない。


「座右の書」の、はじまりは、

「かういふ課題を出されたら、ひと昔前なら私の二十代に影響を受けた作家、ジードやヴァレリーの名を挙げたであろう。しかし今はもうそれに厭いた。といつて『聖書』とか『論語』とかいふ古典も、実は私の座右にはない。では原義通り私の身辺にあつて、時々繙いて読み耽るのは何かと考へて見ると、どうも正直なところ御恥かしい話だが、私自身の書いたもの『河上徹太郎全集』といふことになるやうだ。私は自分の書いたものほど愉しい読み物はない。・・・・」

うん。短いので全文を引用してもいいのですが、
ここでは、あと少し

「いつか女房連れで福原麟太郎氏に会つた時、氏は御愛想に『河上さんはうちでよく本を御読みでせうね』といはれたら、女房が『ええ、ところが何かと思つて見ると、自分で書いたものを一生懸命で読んでるんですよ』と答へた。福原さんは、『そいつはいい』とわが意を得たやうに笑つて下さつた。」


これが、どうも夢にでも出てくるように、思い浮かぶ。
「どうも正直なところ御恥ずかしいが」という、
その響きが、木霊するように、こちらに伝わってくる。

ちなみに、この短文は、河上徹太郎著「史伝と文芸批評」(作品社)で、読んでおります。
そして、いつもここまで。ここから全集へと、触手をのばそうとは思わないんだなあ、これが(笑)。
コメント
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