須貝正義著「私説安藤鶴夫伝」(論創社)に、
「落語鑑賞」がはじめて本になったことが書かれております。
「昭和24年7月、苦楽社から『落語鑑賞』が刊行された。それについて安藤鶴夫は、『装幀・挿画は木村(荘八)先生が、ぼくの夢を具体的に、寄席の表から楽屋口までを、明治色の溢れた数々の舞台装置で飾って下さったし、久保田先生からは序にかえて、詩情ゆたかな句を頂戴した。』
と創元社の『後記』で述べている通り、装幀の着想がユニークで、まず表紙を寄席の入り口に見立てて、吊し看板には肉太に《くらく亭》と書いてある。見返しは玄関、下足のある土間に、鳥打帽の男の後に、絣の着物に学生帽の少年が続いている。木村画伯が『これが鶴だよ』といったという。扉は、客席になっており、高座の左手が杉戸で、土瓶を下げたお茶子が立っている。裏の見返しは楽屋のスケッチで、高座を終えた人や仕度をしている者に前座の姿等、裏表紙は、楽屋口の外、もじりの外套にマスクをした噺家が俥に乗ろうとしている。向うの通りは一段と明るく、雑踏の流れ、まさに明治大正時代の興趣を感じさせる寄席風景であった。また《序にかへて》は、久保田万太郎が愛弟子のために俳句で、所載の各演目を鋭く、しかも巧みな表現でとらえた愉しい序文であった。・・」(175~176)
う~ん。苦楽社の安藤鶴夫著「落語鑑賞」をひらいて、「絣の着物に学生帽の少年」がいるかどうか、見てみたいなあ。
すこし、あとには、こうあります。
「安藤鶴夫に、新しい舞台が展開しようとしていた。雑誌連載につれて、《落語鑑賞》の評価は月々高まり、知名度も増していった。
鎌倉・材木座の久保田万太郎邸で集りがあった。席上、隣り合わせた万太郎と評論家・小林秀雄の話題が、最近読んで面白かったものは何か、ということになって小林秀雄が『《苦楽》に載っている落語のアレ、面白いね。』といった。万太郎は笑って『それ書いたのは、ここにいる安藤君です。』たまたま末席にいた安藤鶴夫が紹介され、大いに面目を施したという。」(p178)
「落語鑑賞」がはじめて本になったことが書かれております。
「昭和24年7月、苦楽社から『落語鑑賞』が刊行された。それについて安藤鶴夫は、『装幀・挿画は木村(荘八)先生が、ぼくの夢を具体的に、寄席の表から楽屋口までを、明治色の溢れた数々の舞台装置で飾って下さったし、久保田先生からは序にかえて、詩情ゆたかな句を頂戴した。』
と創元社の『後記』で述べている通り、装幀の着想がユニークで、まず表紙を寄席の入り口に見立てて、吊し看板には肉太に《くらく亭》と書いてある。見返しは玄関、下足のある土間に、鳥打帽の男の後に、絣の着物に学生帽の少年が続いている。木村画伯が『これが鶴だよ』といったという。扉は、客席になっており、高座の左手が杉戸で、土瓶を下げたお茶子が立っている。裏の見返しは楽屋のスケッチで、高座を終えた人や仕度をしている者に前座の姿等、裏表紙は、楽屋口の外、もじりの外套にマスクをした噺家が俥に乗ろうとしている。向うの通りは一段と明るく、雑踏の流れ、まさに明治大正時代の興趣を感じさせる寄席風景であった。また《序にかへて》は、久保田万太郎が愛弟子のために俳句で、所載の各演目を鋭く、しかも巧みな表現でとらえた愉しい序文であった。・・」(175~176)
う~ん。苦楽社の安藤鶴夫著「落語鑑賞」をひらいて、「絣の着物に学生帽の少年」がいるかどうか、見てみたいなあ。
すこし、あとには、こうあります。
「安藤鶴夫に、新しい舞台が展開しようとしていた。雑誌連載につれて、《落語鑑賞》の評価は月々高まり、知名度も増していった。
鎌倉・材木座の久保田万太郎邸で集りがあった。席上、隣り合わせた万太郎と評論家・小林秀雄の話題が、最近読んで面白かったものは何か、ということになって小林秀雄が『《苦楽》に載っている落語のアレ、面白いね。』といった。万太郎は笑って『それ書いたのは、ここにいる安藤君です。』たまたま末席にいた安藤鶴夫が紹介され、大いに面目を施したという。」(p178)