和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

二転三転する。

2013-05-23 | 前書・後書。
日下公人・渡邉哲也著「新聞の経済記事は読むな、バカになる」(発行・李白社)を読んでます。たのしいなあ。序章を日下氏が、終章を渡邉氏が、書いております。読んでる途中なのですが、私はワクワク感。

ここでは、序章からすこし。

「・・中国やアメリカという帝国はどんどん野蛮になっている。その意味でもアメリカと中国は似ているのだが、近年、日本に対して、アメリカからはTPPをはじめとする経済的脅威、中国からは軍事的脅威が迫ってきている。にもかかわらず日本は、福祉に甘えて働かない国民をたくさん抱えている。したがって、新政権の仕事は外圧に対して命がけで国の名誉を守ること、国民に対してしっかり働けと言うことである。・・」(p43)

日下氏は昭和5年生まれ。
それについて触れております。

「国別の統計、数字に意味がない中で現状と将来を見通すには、各種人間集団が持っている人間観や社会観や経済観や勤労観を考慮に入れた評論が重要である。しかし、日本では70年近くも平和が続いて何ごともなかったためにガラクタ評論家ばかりがたくさん出現した。
これまではガラクタ評論家でも聞いてやろうというほど暇だったので、テレビでは吉本興業の芸人でも評論家を自称することができた。芸人の評論家が悪いと言っているのではなく、その評論は一種の瞬間芸だったので、聞いている人はもはや満足できなくなったのである。
出版界でもお茶を濁すような、囃し立てるような評論家の本は売れなくなってきた。だから、出版不況である。本を売るためには執筆者を総入れ替えすればいい。今の国民はもっと本格的な評論を求めている。
私は1930年(昭和5年)生まれだが、昭和一桁生まれと昭和二桁生まれでは世の中を見る見方がかなり違う。それは評論家でも同じで、昭和一桁の評論家がしぶとく生き残っているのは世の中の見方が本質を突いているからだと思う。
そうなったのは小学校に入って以来、二転三転する大人の教えをずっと聞いてきたからで、当時の大人は二、三年おきにまったく違うことを言っていた。」(~p44)

さてっと序章で、こう語るところの「本格的な評論」というのは、どういうものか。ちなみに、対談相手は1969年生まれ。ということで、紹介はここまで。おあとは、読んでのお楽しみなのでした(笑)。
コメント
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