和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

今にて御座候。

2013-05-18 | 短文紹介
磯田道史著「龍馬史」(文春文庫)がいいなあ。
3章からなるのですが、どの章でも楽しめました。

第一章は、短いので「まえがき」としても読めます。
第二章は、龍馬によって幕末史を展望する本文となるのでしょうか。
第三章は、暗殺説として好き勝手な推理を切り捨て、幹をのこす荒療治がつづきます。


あらためて、この本を紹介するために、一箇所だけ引用するなら、
ここだろうなあ。第三章「龍馬暗殺に謎なし」から、

「そこで後藤は、危ないから土佐藩邸に入れと忠告するのですが、龍馬は断った。断る理由は大体想像がつきます。不自由なのです。藩邸は出入りの手続きが厳しく、そのうえ龍馬には若いときに三人で藩邸の一部屋に押し込められた嫌な記憶があります。土佐の龍馬の家は城下でも有数の金持ちで広々していましたから、その落差は相当なものだったはずです。藩邸の中では上士が威張りくさっていて、居心地が悪かったのでしょう。龍馬の『龍馬たるゆえん』というのは、いつも人に手紙を書き、人に会い、自由勝手に動き回っているところにあります。それが重要なのに、藩邸の門の中へ一歩入ってしまうと、どこへ行くと届け出たり、門番に入り口を開けてもらったりで、やりたいことが自由にできなくなってしまいます。
この時期の龍馬は、幕府大目付を務めた永井玄蕃(げんば)(尚志)のところへ夜中に会いに行って密談をしていました。藩邸の中にいれば、こういう会談をするのにも制約が出てしまうのです。
殺される直前にも、友人が近江屋に来ると『ご苦労さん』と声をかけています。龍馬は、こういうことが好きで生きているような人物でした。
もし土佐藩邸に入ったら情報は入らない、声かけもできない、夜中に人に会いにいきにくい。行動が制約されるのですから、龍馬は藩邸に入らず、危険な町屋ぐらしを続けました。後藤は『危ないからやめてくれ』と言うけれど、龍馬はその土佐藩邸と目と鼻の先の、用心の悪い醤油屋(近江屋)の二階を動かなかったのです。こういう行動を見ても土佐藩・後藤象二郎黒幕説というのは考えられないと思います。・・・・・・
これは龍馬暗殺説全体にいえることなのですが、対立関係で捉えてはいけないものを対立関係に捉えて、犯人に仕立て上げていく誤りが多い気がします。・・」(p140~142)


うん。この本、読めば、ついつい、あれもこれもと楽しめます。
でも、書き込みは、この辺で。深追いは禁物。
本を手にする喜び。それを半減させては申し訳ない(笑)。

この文庫解説は、長宗我部友親。

ちなみに、「今にて御座候」とは、
林謙三への龍馬からの手紙の一部
「・・実は為すべき時は今にて御座候」(p177)。
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