和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ホクホクして。

2013-05-08 | 短文紹介
池田彌三郎・谷川健一対談「柳田国男と折口信夫」(岩波書店同時代ライブラリー)に、「文章について」という箇所があったのでした。

谷川】 柳田国男の文章というのは、たいへんな名文で、折口信夫の『先生の学問』という文章を読むと、非常に複雑な対象を表現するのに適切だと書いてあります。・・それに比べますと、折口信夫の場合は一行一行が独立しているような文章で、最初の行と次の行が互いに対立しあったり、そっぽを向いたりして、流れをわざとせきとめるようなところがあります。歌にしても、あの句読点の使いかたをみていますと、折口信夫の意識の中に、空転しがちな流れにどこかで歯止めをかけ、もっと深いところへ測鉛をおろす、そんな考えがあったように感じています。(p139)


そういえば、小林秀雄著「本居宣長」の最初に、折口信夫が登場していたなあ。などと思ったりするのでした。

それから、数ページあと。
池田彌三郎氏には、こんな箇所があったのでした。

池田】 柳田国男も折口信夫も言葉が好きだったんですね。僕が折口先生のそばにいて、いちばん得をしたのが、この言葉です。言葉のことを聞くと、どんなに機嫌が悪くてもホクホクして、いくらでも話してくれましたね。たとえばね、お盆のおはぎが傷んじゃって汗をかいたことがあったんだけど、その時『先生、大阪じゃなんて言うんです』って聞いたんです。すると『うん、何とか言ったね、そうたしか言ったことがあった』なんて考えていて、『あっ、イシルだ』と思い出すんです。たべものが少しわるくなって汗をかくことはイシルなんですね。僕は先生にテンキンと呼ばれていたのですが、『テンキンもたまにはいいことするよ、お前さんが今聞いてくれなかったら、イシルという言葉は忘れたままになっちゃったろう』。そういう時は実にうれしそうでした。(p147)

また、こうもあります。

池田】 ・・・こちらの質問がつぼにはまると、待ったましたとばかり答えが帰ってくる時があるんです。(p153)

候文についても印象に残ります。

谷川】 ・・・折口信夫は候文の名手ですし。・・
池田】 柳田邸に残っていないんですかね。候文というのはいちばん自由にものを考えられる、というのが折口信夫の意見でした。・・



う~ん。候文といえば、
「書翰文講話及文範」の上巻に、
気になる箇所があったなあと、探すと
たとえば、こんな箇所をみつけました。

「文章として十分整つてゐるのは何と言つても候文・・である。就中(なかんづく)語句の簡潔といふ点に於て到底他の文体の及ばぬ所がある。・・ただ大体からいふと、口語の方がどうしてもぴたりと肌に着く。随て理義でも情趣でも十分こまやかに、そっくりその儘言ひ表はすには口語文でなくてはならぬ。・・」(p143・冨山房発行上巻)

以上なんとなく思い浮かんだので書いておきます。
こういうことって、すぐに忘れるんだよね。
コメント
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