文藝春秋6月号の「必読大特集」と銘打った
「『現代の名文』入門」に
福田和也氏による「実例で学ぶ現代名文事典」がありました。
そこに、安藤鶴夫の名前が登場しております。
ということで、そこを少し引用。
「安藤鶴夫は、洒脱というより、これは久保田万太郎にも、あてはまる事だが、言葉、文字をやや乱暴に節してしまう事で、余韻、余情を棚引かせるという技をもっている。
一般に、万太郎の方が上手という事になっているけれども、安藤氏の方が文辞の着付けがしっかりしている、と思うのは、私だけだろうか。」
このあとに、安藤鶴夫の『おやじの女』を引用しておりました。
そして
「言葉を節し尽くした文章で、脈絡があるのかどうか、とりあえず追いかけるのに苦労するのだが、しかし、それだからこその、魅力というものがあって、ひとたび嵌まってしまうと、安藤氏ではないと、はじまらない、という心持ちにさせられる。」(p304~305)
ちなみに、KAWADE道の手帖「安藤鶴夫」の最初の方に、
鴨下信一氏の「下町ことばと鯛やきのしっぽ」という文がありました。
その文の最後の方に、こんな箇所
「ぼくの記憶では、昭和40年前後から、一群の作家たちがこの『読点多用』『話し言葉そのまま』の文体を採用しだす。一群の、と書いたのはこの作家たちは作家(ライター)と振り仮名つきにしたいような、記者・放送作家・漫画家など、他のジャンルから文章の世界に参入してきた人々だったからだ。彼らが拠ったのは『漫画読本』という雑誌で、この雑誌の存在のことはもっと戦後の文章の歴史の中で語られていいと思っている。安藤もじつはその中核の一人だった。
この時代はまた、オーディオ機器(特にテープレコーダー)が一般に普及し出した時代だった。安藤はラジオ東京(現・TBS)のラジオ開局当初から顧問格で参画していたし、番組の構成から出演まで放送経験が多数あった。あの文体は、録音機器が広く使用されてゆくだろう未来に、文章はどう対抗していったらいいかの試みだったように思えてならない。この流れは東海林さだお(やはり「漫画読本」の出身だ)からはじまるスーパーエッセイの隆盛という形で実を結ぶ。・・・」(p9)
ということで、
6月号の文藝春秋に戻ると、
「『現代の名文』入門」に
「文章で大切なことはこの人に学んだ」という箇所があるのでした。それは「文章の達人十人が明かす、とっておきの『私の名文』」となっておりまして、パラパラとめくると中野翠さんが「東海林さだお」を取り上げていたのでした。
その中野さんの文の最後はこうでした。
「・・意識にはのぼりにくいのだけど、おかしな動きをする心をえぐって行ってそれを言葉として浮かびあがらせる。また、日本語の豊かさや妙味をたんのうさせてくれる技術。・・」(p340)
「『現代の名文』入門」に
福田和也氏による「実例で学ぶ現代名文事典」がありました。
そこに、安藤鶴夫の名前が登場しております。
ということで、そこを少し引用。
「安藤鶴夫は、洒脱というより、これは久保田万太郎にも、あてはまる事だが、言葉、文字をやや乱暴に節してしまう事で、余韻、余情を棚引かせるという技をもっている。
一般に、万太郎の方が上手という事になっているけれども、安藤氏の方が文辞の着付けがしっかりしている、と思うのは、私だけだろうか。」
このあとに、安藤鶴夫の『おやじの女』を引用しておりました。
そして
「言葉を節し尽くした文章で、脈絡があるのかどうか、とりあえず追いかけるのに苦労するのだが、しかし、それだからこその、魅力というものがあって、ひとたび嵌まってしまうと、安藤氏ではないと、はじまらない、という心持ちにさせられる。」(p304~305)
ちなみに、KAWADE道の手帖「安藤鶴夫」の最初の方に、
鴨下信一氏の「下町ことばと鯛やきのしっぽ」という文がありました。
その文の最後の方に、こんな箇所
「ぼくの記憶では、昭和40年前後から、一群の作家たちがこの『読点多用』『話し言葉そのまま』の文体を採用しだす。一群の、と書いたのはこの作家たちは作家(ライター)と振り仮名つきにしたいような、記者・放送作家・漫画家など、他のジャンルから文章の世界に参入してきた人々だったからだ。彼らが拠ったのは『漫画読本』という雑誌で、この雑誌の存在のことはもっと戦後の文章の歴史の中で語られていいと思っている。安藤もじつはその中核の一人だった。
この時代はまた、オーディオ機器(特にテープレコーダー)が一般に普及し出した時代だった。安藤はラジオ東京(現・TBS)のラジオ開局当初から顧問格で参画していたし、番組の構成から出演まで放送経験が多数あった。あの文体は、録音機器が広く使用されてゆくだろう未来に、文章はどう対抗していったらいいかの試みだったように思えてならない。この流れは東海林さだお(やはり「漫画読本」の出身だ)からはじまるスーパーエッセイの隆盛という形で実を結ぶ。・・・」(p9)
ということで、
6月号の文藝春秋に戻ると、
「『現代の名文』入門」に
「文章で大切なことはこの人に学んだ」という箇所があるのでした。それは「文章の達人十人が明かす、とっておきの『私の名文』」となっておりまして、パラパラとめくると中野翠さんが「東海林さだお」を取り上げていたのでした。
その中野さんの文の最後はこうでした。
「・・意識にはのぼりにくいのだけど、おかしな動きをする心をえぐって行ってそれを言葉として浮かびあがらせる。また、日本語の豊かさや妙味をたんのうさせてくれる技術。・・」(p340)