外山滋比古著「文章を書くこころ」に、「放胆文を書く」と題した文が入っておりました。
昔の中国の科挙。その受験参考書としてあった『文章軌範』から説明をはじめております。
「およそ文を学ぶは、初めは胆の大なるを要し、終りは心の小なるを要す。」以下を引用しておりました。外山滋比古氏は、そこを訳しております。
「はじめは、あまり小さなことに心をわずらわすことなく、思い切って、大胆に書けというすすめである。大まかなところを書いて、それができてはじめて、こまかいところに心を用いよ。書きやすいところから入って行けば、のびのびして、言いたいことが言いやすい、というのである。そういう書き方に習熟すれば、文章なんかなんでもなくなり、筆が萎縮する心配もないものだと教えている。」
そういえば、芳賀矢一・杉谷代水編「作文講話及び文範」(講談社学術文庫)でも、それに触れていた箇所があるのを思い出します。
第十二講「作文の実習」
「・・・これからは実習が肝要である。作文の実習要訣として昔から説かれているのは多読、多作、多思の三つ。東西とも変わりはない。・・・・人の文をいくらたくさん読んでも自分で書き慣れなければ、いわゆる『感心上手の行い下手』で仕方がない。さればできるだけ勉強し、あらゆる文題を捉えて片っ端から書いてみるがよろしい。書き慣れさえすれば必ず達者になられるのである。
・・・多作は筆を達者にするためである。体操をして身体を鍛えるのと同一の意味である。・・終わりに多作についての注意を挙げたい。文章は何でもたくさん作ってたくさん直すがよいのであるが、たくさん作るについても作りようがある。古人は初めは放胆(ほうたん)文を盛んに書けと教えている。放胆とは大胆のことである。始めの間は何でも構わず思ったとおり自由に大胆に書いてみるがよいのである。・・・
また、放胆文を書く間には添削はごく大きなところだけにして細かい箇所はそのままうっちゃっておいてもよい。読み返してみて面白くない所は惜しまず消して書き直す。あるいは段取りを改めて全部作り直すというように添削の斧も大きなのを用いる。小刀細工をしてはならぬ。さて、放胆文を書き習って筆が相応に伸びたら、今度はそろそろと小心文の修業に入る。小心文とは心を十分綿密に用いて微小の箇所にまで気をつけ念を入れた文章のことである。・・・・小心文の修業は限りがないが、ここに大いに注意すべきことがある。小心文をつくるの域まで進むと、文章上の卒業もしくは卒業前であるによって、相応の知識も眼識も経験もでき、細かな個所まで巧拙の解るところから、不知不識小心の習慣に囚えられてしまう人が多い。こういう人の書く文章は全体にどこといって指すほどの瑕(きず)もなく、ことに局部には綿密な注意がとどいて名句佳句も多いが、さてどことなく生気が乏しく、印象がない。文章をあまりに格に入れ過ぎた結果である。されば小心文を学びながらも、折々は放胆文も書き慣って気力を養うが肝要である。放胆は文の度胸、小心は文のたしなみである、放胆ばかりで小心の無い文章は度胸ばかりで礼節のない粗大な人物のごとく、また、小心が勝って放胆のない文章は目前の瑣事に囚えられて一生を営々碌々として暮す小才子(こざいし)のごときものである。
放胆文小心文の名称は謝畳山(しゃじょうざん)の『文章軌範』以来作文家の修行順序を示すものとなっているが、名家の文章をよく読んでみると、必ず放胆の中に小心なところがあり、また小心な間に放胆なところがあって、分量こそ差(ちが)え、いつでも二分子を含んでいる。・・・」
う~ん。私には「いわゆる『感心上手の行い下手』で仕方がない。」というのがドキッ。
そのあとのおまじない。
「さればできるだけ勉強し、あらゆる文題を捉えて片っ端から書いてみるがよろしい。書き慣れさえすれば必ず達者になられるのである。」というのを、忘れずにお守り言葉にする。
そうそう。外山滋比古氏の文の最後はですね。
「とにかく書いてみよ、というのではいかにも無責任に聞えるかもしれないが、放胆文は七百年昔の中国ですでに推奨されていた方法である。やはり、のびのびと、とにかく、書いてみることだ。」と書いておりました。
昔の中国の科挙。その受験参考書としてあった『文章軌範』から説明をはじめております。
「およそ文を学ぶは、初めは胆の大なるを要し、終りは心の小なるを要す。」以下を引用しておりました。外山滋比古氏は、そこを訳しております。
「はじめは、あまり小さなことに心をわずらわすことなく、思い切って、大胆に書けというすすめである。大まかなところを書いて、それができてはじめて、こまかいところに心を用いよ。書きやすいところから入って行けば、のびのびして、言いたいことが言いやすい、というのである。そういう書き方に習熟すれば、文章なんかなんでもなくなり、筆が萎縮する心配もないものだと教えている。」
そういえば、芳賀矢一・杉谷代水編「作文講話及び文範」(講談社学術文庫)でも、それに触れていた箇所があるのを思い出します。
第十二講「作文の実習」
「・・・これからは実習が肝要である。作文の実習要訣として昔から説かれているのは多読、多作、多思の三つ。東西とも変わりはない。・・・・人の文をいくらたくさん読んでも自分で書き慣れなければ、いわゆる『感心上手の行い下手』で仕方がない。さればできるだけ勉強し、あらゆる文題を捉えて片っ端から書いてみるがよろしい。書き慣れさえすれば必ず達者になられるのである。
・・・多作は筆を達者にするためである。体操をして身体を鍛えるのと同一の意味である。・・終わりに多作についての注意を挙げたい。文章は何でもたくさん作ってたくさん直すがよいのであるが、たくさん作るについても作りようがある。古人は初めは放胆(ほうたん)文を盛んに書けと教えている。放胆とは大胆のことである。始めの間は何でも構わず思ったとおり自由に大胆に書いてみるがよいのである。・・・
また、放胆文を書く間には添削はごく大きなところだけにして細かい箇所はそのままうっちゃっておいてもよい。読み返してみて面白くない所は惜しまず消して書き直す。あるいは段取りを改めて全部作り直すというように添削の斧も大きなのを用いる。小刀細工をしてはならぬ。さて、放胆文を書き習って筆が相応に伸びたら、今度はそろそろと小心文の修業に入る。小心文とは心を十分綿密に用いて微小の箇所にまで気をつけ念を入れた文章のことである。・・・・小心文の修業は限りがないが、ここに大いに注意すべきことがある。小心文をつくるの域まで進むと、文章上の卒業もしくは卒業前であるによって、相応の知識も眼識も経験もでき、細かな個所まで巧拙の解るところから、不知不識小心の習慣に囚えられてしまう人が多い。こういう人の書く文章は全体にどこといって指すほどの瑕(きず)もなく、ことに局部には綿密な注意がとどいて名句佳句も多いが、さてどことなく生気が乏しく、印象がない。文章をあまりに格に入れ過ぎた結果である。されば小心文を学びながらも、折々は放胆文も書き慣って気力を養うが肝要である。放胆は文の度胸、小心は文のたしなみである、放胆ばかりで小心の無い文章は度胸ばかりで礼節のない粗大な人物のごとく、また、小心が勝って放胆のない文章は目前の瑣事に囚えられて一生を営々碌々として暮す小才子(こざいし)のごときものである。
放胆文小心文の名称は謝畳山(しゃじょうざん)の『文章軌範』以来作文家の修行順序を示すものとなっているが、名家の文章をよく読んでみると、必ず放胆の中に小心なところがあり、また小心な間に放胆なところがあって、分量こそ差(ちが)え、いつでも二分子を含んでいる。・・・」
う~ん。私には「いわゆる『感心上手の行い下手』で仕方がない。」というのがドキッ。
そのあとのおまじない。
「さればできるだけ勉強し、あらゆる文題を捉えて片っ端から書いてみるがよろしい。書き慣れさえすれば必ず達者になられるのである。」というのを、忘れずにお守り言葉にする。
そうそう。外山滋比古氏の文の最後はですね。
「とにかく書いてみよ、というのではいかにも無責任に聞えるかもしれないが、放胆文は七百年昔の中国ですでに推奨されていた方法である。やはり、のびのびと、とにかく、書いてみることだ。」と書いておりました。