和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

震災後のことば。

2013-03-16 | 短文紹介
「震災後のことば 8・15からのまなざし」(日本経済新聞出版社)は、7人へのインタビューとなっておりました。吉本隆明・中村稔・竹西寛子・野坂昭如・山折哲雄・桶谷秀昭・古井由吉の7名。
パラパラ読みの私が気になっているのは、山折哲雄氏。
そういえば、山折哲雄氏は、柳田國男について、
「考える人」に連載されているそうなのでした。
その柳田國男も気になるなあ。
この本の山折哲雄氏の言葉から、気になるのですが、
それだからって、柳田國男や宮沢賢治を読みはじめるかといえば、
どうだろう。

あらためて、気づく、自分の読書の浅薄さ(笑)。

山折氏は、「震災後のことば」のなかで
宮沢賢治について、こう指摘しておりました。

「賢治は、明治29年(1896)の三陸大津波の年に生まれて、昭和8年(1933)の三陸大津波の年に死んでいる。37年の生涯、その舞台が東北なんです。地震だけでなく、干ばつ、冷害、飢饉に、たびたび見舞われている。・・・賢治には、科学者として、そうした災害をどうしても、食いとめなければ、という切実な希求があった。賢治の童話の一つ『グスコーブドリの伝記』には、その賢治の切迫した思いが、創作の形で結晶しています。」(p136)

「そう。だから、みな『グスコーブドリの伝記』をあらためて読み返してほしいと思います。賢治というのはそこまでの奥行きと深さのある作家だということに僕もこんど気がつきました。・・・」(p140)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サリエリにはなるなよ。

2013-03-15 | 短文紹介
朝日の古新聞をもらってくる。
3月12日に掲載されている、天皇陛下「おことば」を、
朝日新聞はどのページのどこに配置したのか?
その不自然さ。
卒業式に起立しない先生みたいな、おかしなへそ曲がりぶりを、
朝日新聞は表現していて、悲しくなります。
かなしい朝日。ここでは、それを指摘するだけにします。

さてっと、気をとりもどして、
3月12日には、文化欄に
中沢新一氏による山口昌男さんの追悼文がありました。
はじまりは

「私たちの世代にとって、山口昌男はじつに偉大な解放者だった。1970年代、世の中ではきまじめであることが美徳とされ、自分のしていることは正しいと誰もが思いたがっていた。その時代に山口昌男は知識人たちに向かって、そんなつまらない美徳は捨てて、創造的な『いたずら者』になれ、と呼びかけたのである。」

真ん中はカットして、
最後を引用しておわりましょう。

「とにかくよく笑う人だった。とりわけアカデミズムの権威などを前にすると、ますますよく笑い、からかい、そのために相手を怒らせることもしばしばだった。笑う山口昌男のまわりで、世界はいつもダイナミックに揺れていた。
世の中が安直な笑いであふれかえり、矮小化された『いたずら者』が跋扈する時代になると、さすがのこの人も不調に陥った。ところがしばらくすると、今度は『敗者』に身をやつして再登場したのにはたまげた。負け組のほうが豊かな人生が送れるぞ。マネーや力の世界への幻想を嗤う、なんともエレガントな闘いぶりであった。
こんなわけで、山口昌男は私にとって、まさに一人のモーツァルトであったのだ。『サリエリにはなるなよ』との師の遺訓にしたがって、私は青空のような素直さをもって、この知のモーツァルトの人生の航跡を誉め讃えようと思う。山口さん、またどこかでお会いしよう。」

師の遺訓というのは、山口昌男氏が中沢新一に語ったものなのでしょうか?もし、そうだとすると、孔子が相手に対して、それぞれに的確な言葉をあたえたように・・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツボ、これは。

2013-03-14 | 短文紹介
昨日は、注文してあった谷澤永一追悼集「朝のように花のように」論創社がとどいていた。
浦西和彦・増田周子編となっております。
昨日読もうとしたのですが、あいかわらずの読み下手なので、丸谷才一氏の追悼文を読んだら、それから先、読み進む気がしなくなりました。
そういえば、と思い浮かぶのは、谷澤永一氏の本が、それが文庫になった際にも、あとがきなどで、短いながらも、谷澤氏の新しい文に出会えて嬉しかったことを覚えております。もう、そういう機会はなくなってしまった。あらためて谷澤永一氏の不在に思いいたるのでした。追悼。


今日の産経新聞をひらくと、文化欄に坪内祐三氏が、山口昌男さんへの追悼文を寄せております。ちょっとそこから引用。

「山口先生は早起きだ。」
とあります。
「1990年秋、『東京人』をやめ、第2次ニート時代に入ったら、毎日のように朝8時頃、先生から電話がかかってきた。その電話も楽しみだった。
当時・・『「敗者」の精神史』が始まるところだった。電話の内容はその連載の資料に関することだった。山口先生の電話に私が、それはこういう風につながって行くのではないですか、と言うと、先生が、ツボ(先生はいつも私のことをこう呼んだ)凄いな、それ何で読んだんだ、と問いただされたので、私は、それ、先生が4日前の電話でおっしゃっていたのですよ、と答えた。こういうやりとりが何度もあったので山口先生は私のことをツボは私の外部記憶装置、と呼ぶようになった。もちろん古書店や古書展も共にした。」

そのあとも、引用してしまいましょう(笑)。

「世間的にはまったく無名で何の肩書きもない私を先生のゴリ押しで京都の国際日本文化研究センターの研究員に交ぜてもらい・・・同じ頃、福島県奥会津の昭和村に廃校を借り受け、毎年、泊まり込みで長期イベントを行った。・・・京都へと会津への興味が重なって、山口先生はある人物たちを発見した。
それは山本覚馬と八重の兄妹を中心とした明治維新の『敗者』で京都の近代を造っていった人々だ。
ツボ、これはNHKの大河ドラマになるな、と先生は言った。20年前のことだ。・・・・・」

居ながらにして今朝は追悼文を読めて嬉しかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思いを寄せる。

2013-03-12 | 地域
今日3月12日の産経新聞一面に
東日本大震災二周年追悼式での「天皇陛下お言葉」が掲載されておりました。
その最後を引用。

「・・・今後とも施設面の充実と共に、地域における過去の災害の記憶の継承、日頃からの訓練と教育などにより、今後災害の危険から少しでも多くの人々が守られることを期待しています。危険な業務に携わる人々も、この度の経験をいかし、身の安全が確保されることに工夫と訓練を重ねていくよう願っています。
今なお多くの苦難を背負う被災地に思いを寄せるとともに、被災者一人びとりの上に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。」



本棚からほこりをかぶった本をとりだしてくる。
山口昌男著「『敗者』の精神史」(岩波書店)。
通読しなかった本なので、ここでもパラパラとひらいてみる。
ここでは第5章「敗者たちの生き方」のなかの
「山本覚馬とその周辺」をひらく。
八重の桜の八重子が登場してる箇所です。
その周辺を読んで(笑)。本をとじる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

止まった時計。

2013-03-11 | 地震
今日3月11日は、東日本大震災2年目。
産経新聞に一頁をつかって
9箇所の時計の写真が掲載されております。
それが印象に残るのでした。
題は「動かぬ針の証言」。
それは、地震があった2時48分のまま止まっている時計だったり。
別の写真には、こう説明がありました。

「岩手県山田町の海を望む高台に、壊れた大きな時計が飾られていた。針は津波に襲われた午後3時27分で止まり文字盤は焼け焦げ、震災被害の凄惨さを物語る・・・」



私に、思い浮かんだのは、
房総沖巨大地震として知られる
元禄地震と津波のことでした。

九十九里町らしいのですが、
「高橋家文書」が残されております。
そこに元禄地震と津波の記述がある。
当時は、時計も、腕時計もない
前年には、赤穂浪士の討ち入りがあった年です。

「元禄16年11月22日夜、子ノ刻ヨリ、俄ニ大地震ニテ揺リ返シ揺リ返シ表ニテ大タイコ打候如クニ鳴リヒビク、同丑ノ刻ニ大山ノ如ナル津波ニ三ノ浪続イテ入来ル、別テ二ノ波ツヨクシテ、家棟木共ニ押流サレ、大木ハ土手共ニ二三丁程モ流、逃人々之内ニテモ浪ニ追ツカレ、水ニ溺レ死スルモノ脇村ハ格別、当所ニテ百人余也、牛馬鶏犬マデ水ニ溺レ死ス、又、水ヲワケ出テモ寒気ニ綴レテ死ス者多シ、暁天ニ潮汐引退、哀ナルカナ骸ハ道路ニ累々トス、以来如斯ナル事、能々心得テ、家財ヲ捨迯(にげ)去ルベシ(後略)。」

ここには、
子の刻(午前0時)すぎに、大地震がおこり、
丑の刻(午前2時~4時)に、大山のごとき津波が三回も押し寄せ
とあるのでした。

もし、現在の時計があったなら、
はたして、地震から津波の間隔が2時間ということになったのかどうか?
何よりも、子の刻の次は丑の刻なので、そういう表示をしたのではなかったか?
それよりも、冬の真夜中
「水ヲワケ出テモ寒気ニ綴レテ死ス者多シ」という、
寒気と恐れとで、長短の時間感覚が、麻痺していたかもしれず、
30~40分を2時間にも感じられたのではなかったのかと、
東日本大震災のあとに、私は思ってみるわけです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学問のいろは。

2013-03-10 | 短文紹介
橋本武著「伝説の灘校国語教師の『学問のすすめ』」(PHP)の最後の第三部は「教養と伝統文化を楽しむ」と題して、「いろは歌留多 上方・中京・江戸」を載せておりました。

う~ん。今日思い浮かんだのは、学問のいろは、ということでした。
それについて、思い浮かぶイメージは「高校生」。

たとえば、池上彰著「学び続ける力」(講談社現代新書)に
こんな箇所がありました。

「私の著書は、いろいろな世代向けがありますが、たとえば『そうだったのか!現代史』のシリーズは、高校生の読者を念頭に書いています。いまの高校生は東西冷戦も、ソビエト連邦も、ましてベルリンの壁も実感としてわかりません。『高校生には何がわからないのか』と考えながら、そんな彼らに向けて、『実はこんなことがあったんだよ』と語りかけるつもりでいます。
高校生でもわかるように書けば、それ以外の年代の人も読んでくれます。
ただし、『高校生向けだからレベルを落とす』ということはありえません。高校生には相当の理解力があります。表現はやさしく、扱う内容は高度なものに。これがポイントです。」(p141)

「高校生」といえば、
私に思い浮かぶのが、
板坂元著「続考える技術・書く技術」(講談社現代新書1977年発行・これ今は絶版)でした。福澤諭吉の文章の心掛けを紹介したあとに、こんな箇所がありました。

「福澤の話で思いだすのは、私たちが英文の百科事典を作るために書いた著者向けの執筆要領のことだ。英米の百科事典をいろいろと参考にして作った執筆要領の草稿は、日本のえらい先生からきびしい批判を受けた。その草稿の中に『高校一年生にも分かるように書いて欲しい』という箇所があって、そこが問題になった。『高校一年生とは情けない。せめてブリタニカ程度のものにすべきだ』という批評だった。これには閉口した。アメリカでは、百科事典を買うためのガイドブックが出ていて、それぞれの百科事典のレベルが示してある。それによると、ブリタニカやアメリカーナなどの有名なものは、すべて高校一年生以上に適するとなっている。私たちも、それにならったのだった。」

こうして、数行あとには、こうあります。
「・・明治以来西洋の文物を輸入するときに、有難がるクセがあって、文章も難しくする方が知的レベルが高いと誤信した形跡は十分にある。
そろそろ、そういう後進国根性を捨てて、文章も読みやすく分かりやすいものにしてもよい時代ではなかろうか。」(p170~171)

うん。そろそろ、そういう時代が到来したのだと、思ってもいいでしょうか。
うん。「いいとも」(笑)。

ついでに、
せっかくですから板坂元著「考える技術・書く技術」(講談社現代新書・表紙カバーがかわった際に、こちらは再版されて現在も買えると思います)からも、すこし引用。

「いつか、大宅壮一が海外の対日感情の調査旅行から帰って、『世界中の反日感情を調べて回ったが、反日感情のいちばん強いのは日本だった』と警句を吐いたことがある。なるほど、東南アジアの対日感情が悪くなった今日でも、日本の綜合雑誌ほど日本批判を熱心にやっているものはほかにはなさそうだ。・・・外にいつも頭のあがらない文化があるが故の劣等感、それが裏がえしになった悪口であり批判であった、と考えられる。インテリにその現象がはなはだしいのは、インテリの方が外に対する劣等感を強く持っているせいであろう。」(p141)

こういう反日感情を捨ててもいい時代は、
現在なのだと、思ってもいいかい?
「いいとも」(笑)。


うん。もどって
橋本武氏の「学問のすすめ」のなかに
コラム②「『書く力』をつける練習法」(p63~65)
という箇所がありました。
こうはじまります。

「国語の勉強の基本は『読むこと』と『書くこと』です。なかでも書くことは大切で、私は『読むこと』が『書くこと』につながることを重視してきました。そのための具体的な練習方法をご紹介しましょう。」

1 読後感を書く
2 日記をつけること
3 詩や歌を作ること

ここでは「詩や歌を作ること」の全文を引用しておきます。

「思ったことを自由に書くだけでなく、詩や短歌、俳句・川柳やいろは歌留多などの形式にまとめることも、書く力を増します。短い形式の中に、言いたいことや感じたことを表現することで、言葉の選び方やリズム、音の流れも考えるようになります。語彙が豊富になりますし、流暢な表現が得られるようになるでしょう。

とにかく難しく考えず、見たこと聞いたこと、感じたこと考えたことを何でも文章にしてみることです。文章を書くことによって、批評眼、鑑賞眼が養われるのです。」


うん。引用はこれでいいかな?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長い間。

2013-03-09 | 短文紹介
橋本武氏は1912(明治45)年京都府生まれなのだそうです。

橋本武著「伝説の灘校国語教師の『学問のすすめ』」(PHP)に

「国語の勉強に即効性を期待するのは無謀なのです。・・
ただし、長い間、国語教育にかかわってきてはっきりいえることは、『国語力』はすべての学問の基本になっているということです。」(p53)


この本、橋本武氏のエッセンスをやさしく伝えてくださる一冊となっておりました。
たとえば、こんな箇所はどうでしょう。

「国語力の土台を培うのは『書く』ことです」とあります。
「文章を書くためには、何を書こうかと考えなければなりません。何を書き、何を書かないのか、それを判断する力が身につきます。また、それをどのように展開して書けばいいのか、文章の道筋をつける必要がありますから、構成する力も養われます。さらに、そのような作業は集中しなければ進めることができません。すなわち、書くことによって、『判断力』『構成力』『集中力』が培われていくのです。」(p49~50)



第一部の最後には、こうありました。

「古文では受験と全く関係のない草仮名(そうがな)を授業に取り入れていました。」

「そもそも大学に進学することは人生の目的ではなく、手段の一つです。受験だけでなく、人生の途上で出合うさまざまな難問を解決する力を養うことに意味があるのです。」(p59)


第一部の最初の方に、東京高等師範学校時代に
漢和辞典の『大漢和辞典』全十三巻の編纂作業を手伝うことが出てきます。

「編集所に寝泊まりしながら、朝から晩まで仕事にあけくれました。好きな本を読む時間など全くありません。しかし、辞書の編纂という仕事は、以後の私にとって大きな財産になったと思います。わからないことがあったら、徹底的に調べるという姿勢を見につけられたからです。・・・」(p17)

これについては、
原田種成著「漢文のすすめ」(新潮選書)の第二章「諸橋『大漢和辞典』編纂秘話」に、橋本武の名前が登場しており、興味深いですよ(p86)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うまい質問。

2013-03-08 | 短文紹介
池上彰著「学び続ける力」(講談社現代新書)に

「この質問は、なかなか核心を衝いています」
と池上さんが書いている箇所がありました。
その質問を、引用してみます。

「ある編集者に聞かれました。
『かつて教養新書と言われたジャンルは売れなくなってきているし、売れ筋の新書の主流は、すぐに仕事やキャリアに役に立つものに変わってきています。これは、世の中で求められる教養そのものが変わってきたということなのでしょうか?』
この質問は、なかなか核心を衝いています。」(p166~167)

テレビで見てると、池上彰さんはタレントの質問に、「いい質問ですねえ」とかなんとか、よく答えておられるのを思い浮かべるのでした。

さてっと、
今日の産経新聞一面左上に「賢者に学ぶ」として適菜収氏が書いているのですが、
そのはじまりは、こうでした。
「よい問いとは、答えが容易に見つからず、かつ答えが存在する(と思われる)問いである。簡単に結論が出るような問いは『問い』としての価値はない。批評家の小林秀雄は・・・・」

うん。小林秀雄といえば、
私がすぐに思い浮かぶのは、
岡潔氏との対談「人間の建設」のなかのこの言葉でした。

小林】 ベルグソンは若いころにこういうことを言っています。問題を出すということが一番大事なことだ。うまく出す。問題をうまく出せば即ちそれが答えだと。この考え方はたいへんおもしろいと思いましたね。いま文化の問題でも、何の問題でもいいが、物を考えている人がうまく問題を出そうとしませんね。答ばかり出そうとあせっている。
岡】 問題を出さないで答えだけを出そうというのは不可能ですね。
小林】 ほんとうにうまい質問をすればですよ、それが答えだという簡単なことですが。
岡】 問題を出すときに、その答えがこうであると直観するところまではできます。出来ていなければよい問題でないかもしれません。その直観が事実であるという証明が、数学ではいるわけです。それが容易ではない。・・・(新潮社・p76~77)

適菜収氏の文は、なかほどにこうありました。

「批判されればすぐに『対案を示せ』と大声をあげる人がいる。本を読めば『解決策が書いていない』と憤慨する人がいる。彼らは合理的に思考を積み上げれば正しい『答え』が見つかるはずだと信じている。こうした精神の『奴隷』が下す判断ほど危険なものはない。・・・こうした近代の宿命を深く自覚していた小林秀雄は、伝統も古典も常に現在の問題としてたち表れるものだと喝破した。・・・」


ところで、産経の今日の「正論」は
岡崎久彦氏でした。こんな箇所があります。

「・・・戦後史観の払拭である。それは、それまで日本と戦争していた米国が日本から物質的、精神的に戦争潜在力を根絶しようとして、過去の日本の歴史と伝統は全て悪と教えた初期占領政策によるものである。その政策は、冷戦が始まると、日本を頼れる同盟国とするために修正されたが、今度は、日本の精神的無力化を図る親共左派勢力にそのまま引き継がれ、戦後の日本の左翼偏向史観を生み出した。いかなる国も、その歴史と伝統を否定されては生きられない。左翼史観の払拭は、民族の長期的課題であり、教育の現場などにおいて、今後とも進めていかねばならない。」


うん。今日も読み甲斐がありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝日の登録商標「加藤周一」

2013-03-07 | 短文紹介
産経新聞の正論欄に、
ときどき平川祐(ネは示)弘氏の文章が載ることがあり、
そのたび、いつか一冊の本となるようにと願いながら読みます。

今日の「正論」欄が平川氏の文でした。
加藤周一氏が登場しております。
最初から引用したいのですが、ここは
加藤周一氏が登場するあたりから

「今井(俊満)の猥談も迫力があった。だが時に真剣な感想を述べ、学者評論家を手厳しく論難した。『自己の感性に忠実でない。本質に直行しない。左翼に色目を使い、時代の風潮に合わせてものをいう』。そう言われると、私もたじたじとした。たしかに加藤周一が『日本の風潮に合わせて外国通信も書く』と当時から感じてはいた。
戦後まだ10年余、ドイツへ行くと『この前はイタリアに裏切られて負けた。今度は日本とだけ組んでやろう』と酔っ払い老兵に何度も絡まれ私は閉口した。ところが日本人にドイツを理想化する風潮があるのを知ってか、『そんなことをいうドイツ人はいない』と加藤は朝日新聞紙上で断言した。加藤は『頭の回転をよくする読書術』というベストセラーで、誰かがこちらの読んだことのない本の話をしだしたときは間髪入れず『あれは面白い』と言って会話をつなげ、と『読まない読書術』を披露した。頭の切れる加藤は察するに大新聞の主張に沿って、『あれは』と調子を合わせたのだ。
だが、加藤が『第二次大戦後、ドイツ社会は「アウシュビィッツ」を水に流そうとしなかったが、日本社会は『南京虐殺』を水に流そうとした。その結果、独仏の信頼関係が『回復』されたのに対し、日中国民の間では信頼関係が構築されなかったことは、いうまでもない』と独礼讃を書いたのには憮然とした。ナチスの指令によるユダヤ人全滅の組織的な虐殺organized atrocity と個々の兵士による虐殺とは違う。
加藤の方は大新聞に調子を合わせて書き、論説委員の方は『知の巨人』の大先生のご高説に耳を傾けて社説を書いただけかもしれない。だがそれは、朝日歌壇に社論に同調する歌を選ぶ選者がいるのと同じ類いの自家中毒症状だ。・・・」

うん。いい例が思い浮かばないのですが、
たとえば、池上彰著「学び続ける力」のなかで、
東工大で教えることになった箇所に、

「私が東工大で教えるきっかけになったのは、・・2011年3月11日の東日本大震災、そして福島第一原発事故がきっかけでした。」

その講義で学生をひきつけるのに
「大事なことは、どれだけ身近な話に持っていくかということです」

そして、その例として出ていたのが

「水俣病の原因は工場廃水の有機水銀ではないか、と地元の熊本大学医学部が発表していたにもかかわらず、当時、東京工業大学のある教授は、原因は、魚の腐ったときなどに出る有毒物アミンだという説を唱えました。
これを受けて、当時のメディアの報道は、両論併記のようなかたちになってしまいました。両論併記とは、『こういう原因だと言う専門家もいるけれど、一方こういうことを言う専門家もいます』というスタイルです。
なぜ東工大の教授がそう唱えたのか、憶測はできますけれども、何とも言えません。ただ、結果として、東工大教授が異論を唱えたことによって、水俣病の原因究明、ひいては患者救済の遅れにつながりました。
『研究者のモラルって何だろう』ということを、これから研究者や技術者になる学生に考えてもらいたい。同時に、東工大というのがブランドだということも意識してもらいたいと思いました。東工大の教授というだけで何となく世の中に影響力を持ってしまうようなことまである、その社会的な責任を考えてほしい。そういうことを、メッセージとして述べました。」(p61~62)


う~ん。加藤周一ブランドを、まだ通用させようとする人たちに引導を渡す平川氏の文なのでした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学問のすすめ。

2013-03-06 | 本棚並べ
池上彰著「学び続ける力」(講談社現代新書)の
第4章「読書の楽しさ」の最後に、

「勉強にどんな意味があるのか。そんな迷いが出たときは、古典を繙く。福沢諭吉の『学問のすすめ』はどうでしょうか。・・・・この本で福沢が述べているのは、独立自尊、すなわち独立イズムです。学問があってこそ、一人一人が自分の足で立っていけるということを、改めて教えてくれます。・・東工大で、『学生に読むことを勧める本を紹介してください』と言われ、私は迷うことなく、この書名を挙げました。」(p169~170)

そういえば、
1912(明治45)年生まれの橋本武氏に、新刊が出ております。
題は「伝説の灘校国語教師の『学問のすすめ』」(PHP研究所)。
せっかくですから、
その「はじめに」を引用。

「この本の表題をご覧になった壱万円札のお方が、『ほほう、お前さまもやりなさるのかね』と、後ろから私の肩を押して、『しっかりやりなされよ』と声をかけられているようで、何だか照れくさい気になってしまいますが、いくら【学問のすすめ】であっても、この本を読んでいただく方々に向かって、ああしなさい、こうしたほうがいいですよ、と、私のほうから指図がましいことを申すようなことは、全く考えてはおりません。
私はただ、長年こんなことをやってきました、こんなことを考えていました、こんな感じでいました、ということを申し上げ、お読みいただ・・・どうかお気軽にお読みいただきますよう願っております。」

ということで、
福沢諭吉と橋本武の取り合わせ。


池上彰著「学び続ける力」
福沢諭吉著「学問のすすめ」
橋本武著「学問のすすめ」

ショウペンハウエル著渡部昇一編訳
「新訳 読書について」( 池上さんはこの本・岩波文庫も薦めておりました )


とりあえず、この4冊を並べておくことに。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

痛い目。

2013-03-05 | 短文紹介
曽野綾子著「不幸は人生の財産」(小学館)に、「悪魔の眼」という5頁の文があり、そこを引用したいのでした。
そのまえに、
歴史通3月号の曽野綾子・安倍昭恵対談「アッキーのスマイル対談」から、引用。対談には、こんな箇所があったのでした。

安倍】 あれが2003年で、翌年にアフリカのマダガスカルと南アフリカへ連れて行っていただきました。
曽野】 マダガスカルというのはなかなか大変な国なんです。あの時も行けない都市はありましたけど、アフリカというのが地球上で経済状態が一番悪いから、それを見ていただくのもいいかなと思いました。・・・・・(p130~131)

安倍】 ・・・マダガスカルで一人ホテルの周りを歩いて、ちょっと子どもの写真を撮ったら、その父親が怒って殴りかかられたので、ホテルまで走って戻ったことがありました。日本の感覚で何かしようとすると、痛い目に遭うんだなと実感しました。(p132)

ちょっと、対談では読み過しておりましが、
曽野綾子さんの「悪魔の眼」という文には、こうありました。

「私はアフリカに行くと、まずその土地で、赤ん坊に関心をしめしていいかどうかを必ず尋ねることにしている。いつ生まれたのか、男か女か、名前は何というのか。そして抱いてもいい? と親に許可を求めていいかどうか、土地の人にあらかじめ聞くのである。
なぜかというと、多くの現代的文明と隔絶した土地の人たちの中には、私たち外国人は『悪魔の眼』を持っていると信じられている。いくら私は悪魔ではありませんと言ってもだめだ。・・・そもそも悪魔は、幸福な状態で生きている人たち、優しい人、か弱い存在などを狙って付け入って悪さをする。だから新婚さん、赤ん坊などはそのいい標的になる。外国人が赤ん坊をじっと見つめたり、笑ったり、抱いたりする時には用心しなければならない。この現実について私に解説をしてくれた人の意見は次のようなものである。
アフリカなどでは、新生児の死亡率がかなり高い。薬品の不足、衛生知識の欠如、母子の栄養不良、など多くの問題があって、時には千人の新生児のうちの四分の一が幼時に死亡する・・・どこのうちでも、労働力としての子供は大切だ。それが生後数日で死んだりすると、姑は嫁に、『どうしてうちの大切な跡取り息子を死なせたんだ』などと言っていじめるケースもあるのである。その時困り果てた嫁は、いい言い訳を思いつく。
『産院に外国人がやって来て、私の息子を見て、にっこり笑いました。あの時、悪魔が入ったのだと思います』
国際間の穏やかな関係を築くためには、こうした庶民の末端の信条まで知悉するという努力がいる。だから私たちは、自分に善意があればそれは通るはずだなどとは、まかり間違っても思ってはならないのである。」(12年5月25日号)


ちなみに、曽野さんは対談でマダガスカルへ連れていったことを、こう語っておられたのでした。

「・・(安倍)昭恵さんなら、将来、いいところはほっておいてもいくらでもごらんになれる、バッキンガム宮殿でも、ホワイトハウスでも。でも上も下も両方ご存知ないといけないと思ったから。」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上等の間。

2013-03-04 | 短文紹介
曽野綾子著「不幸は人生の財産」(小学館)を読み終わりました。
ご意見を拝聴したという気分にひたりました。

少ししたら、またひらいてみようと思うのですが、
またひらこうと思う本ばかりが増えてゆくようで(笑)。
丁寧に反復したいと思います。

とりあえず、「不幸は人生の財産」を、もう一度
ひらいて、気づく言葉をひろってみます。

「テレビを始終見ているわけにいかないし、テレビやインターネットでは『紙に印刷された文字から思考するという上等の間』がもてない。」(p195)

うん。「文字から思考するという上等の間」というのは、いいですね。
ついついテレビを見ている私としては、この「上等の間」という言葉を拳拳服膺していきたいと思います(笑)。

はじまりの方には、

「私はサバイバルに向いた智識のすべてをアフリカから教えられた。」(p23)

うん。そのアフリカの教訓が
東日本大震災の際に、どのような
曽野綾子さんの平常心を養ったのかと、読む楽しみがありました。

「後期高齢者という『分別』の仕方が気に食わないと文句を言う人がいたが・・・私は七十五歳の線引きに大賛成である。その年になってみれば急に同級生が、死なないまでも、どんどん病気になっていくのがよくわかる。」(p124)

うん。こういう言葉を、きちんと文字にしていただけると
年齢的にまだまだではありますが(笑)、ありがたいなあ。

ということで、
思いついたら『上等の間』として
この一冊を読み直してみたいとは思うわけです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勝手口から。

2013-03-03 | 短文紹介
曽野綾子著「不幸は人生の財産」(小学館)をパラリとひらいて、うしろから読み始める。とりあえず、後半の第3章と第4章を読みました(笑)。何やら、家でいうなら、玄関から入らずに、勝手口から、この家の結構を覗きみしたような気分になります。

ということで、そのご報告(笑)。

たとえば、こうあります。
「誰もあまり信じないのだが、アフリカは私にとって暮らし易い環境だった。・・・私に関してはそういう土地が肌に合っていた。」(p247)
という文章の最後に、こんな箇所がありました。
「私は安全で、すみずみまでよく整備された日本に帰ってきた。その思いがいつも帰国したての私の感謝と歓びで満たすのである。・・・何より電圧が安定していて、隅々まで十分に明るい。マダガスカルでは日常茶飯事の停電も断水も、ここには全くない。これがこの上ない贅沢だということを、私だけが知っていると思うと、それだけで私は歓びに満たされるのである。」(p250)


この本は週刊誌に連載された文を再編集したものだとあります。期間は2010年8月13日号から2013年1月1日・11日合併号に隔週連載されたものでした。

もう一箇所引用するとしたら、ここかなあ。
東日本大震災がおこる前年の2010年11月26日、12月3日合併号に掲載された文の、それは最後にありました。


「途上国をよく知っている人なら誰でも、若い世代に対して次のように言うだろう。『何の理由もなく日本に生まれたというだけで、君たちの人生は半分以上成功だった。砲撃に遇う危険を冒して汲みに行ったり、重い思いをして運ばなくても、清潔な水が飲める。飢えもしないし、一円もなくても医療行為は受けられる。教育も国家がしてくれる』
日本にも時々大停電があって、大人から子供まで、充分に安全に供給されてる電気や水の恩恵を、骨身に染みて知る機会があったらいい、と私は本気で思っている。」(p133)

東日本大震災が起きて以降の、曽野綾子さんの連載文は、それから、どうつながっていたのか。それは、この本の玄関からはいって読み始めるお楽しみ(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池上彰の新刊予定。

2013-03-02 | 本棚並べ
3月発売予定本に
池上彰著「この日本で生きる君が知っておくべき『戦後史の学び方』 池上彰教授の東工大講義日本編」文藝春秋1575円。

うん。たのしみにしております。
震災の復興という視点から望みみる、
戦後復興をなしとげた日本人の姿。
こういう視点は、震災を待たなければ、
考慮の対象にさえ浮ばなかったかもしれませんね。

まあ、こういうふうに
勝手に内容を想像して本が出るまでの期間を
楽しんでいるわけですが、
よい意味で、その期待を裏切られることを願って、
新刊の発売を待っております(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学び続ける力。

2013-03-01 | 短文紹介
池上彰著「学び続ける力」(講談社現代新書)を読みました。
「はじめに」にこんな箇所があります。

「・・父が、米寿を過ぎてから急に体が弱り、寝たきりの生活になりました。そんな折、岩波書店の『広辞苑』第四版が発売になったことを知った父は、私に買ってくるように頼みました。重い辞典を枕元に置いた父は、少しずつページを繰っては、読み進んでいました。小説ならともかく、辞書を読むなんて。その旺盛な知識欲に私は圧倒されました。父が亡くなったのは、それから間もなく。・・・私は、明日死ぬことがわかっていても、やっぱり勉強を続けたいと願っています。こんな心構えを、父は教えてくれたのでしょう。」(p4~5)

ついつい、軽薄な私は、内田魯庵著「思い出す人々」(岩波文庫)に出てくる尾崎紅葉の最後の会見を思い浮かべてしまいました(p236~)。

さてっと、池上彰さんの新書を読みすすむと、こんな記述がありました。

「気のきいたことを差しはさんだりとか、話をまとめたりとか、話を発展させようとして必死になるよりは、相手の話を面白がって聴くというのが、まず一番大事です。」(p117)

これは、
「これまでも、『こどもニュース』で小学生にニュースを解説しようとして自分が本当にわかっていないことに気づいたり、お笑い芸人にニュースを解説して、その意外な反応に学んだりしてきまいた。」(p95)以下の文にあるのでした。

もうちょっと、具体的に引用しようとすると、
イノッチと中居正広くんが登場してしまいます。
うん。ちょっと長めに引用してみます。


「テレビで共演した聴き上手といえば、イノッチこと井ノ原快彦(よしひこ)さんが思い浮かびます。イノッチは、面白がって聴いてくれることで、相手をのせて、さらにそこから話を発展させてくれます。『うわーッ、面白いですね』とうなずきながら聴いてくれると、こちらもついついしゃべってしまいます。・・・それに加えて、相手をいい気持ちにさせてくれる性格のよさがあります。気のきいたことを言おうとするのではなく、『ほう』『はあ』『へえーッ、すごいですねえ』などと、シンプルな合いの手がうまくて、そのときの顔の表情もまたいいのです。とにかく全身で受け止めて話を一所懸命聴いてくれる、そんな印象を与えるタイプです。
SMAPの中居正広さんも聴き上手です。
中居くんは私が何か言うと、それについて自分の知識を総動員して、『つまりこういうことですか?』と問いかけてきたり、私の話の展開に合わせようとしたりしてくれます。そこがとても好感を与えます。知識を総動員して話を展開させようとする。その性格のよさは素敵だと思いますし、こちらもついつい丁寧にしゃべってしまいます。
気のきいたことを差しはさんだりとか、話をまとめたりとか、話を発展させようとして必死になるよりは、相手の話を面白がって聴くというのが、まずは一番大事です。
中居くんのように、相手の話に『つまり、これはこういうことですよね』と返すのは、一歩間違えるとイヤミになりかねません。そう思わせないのは、彼のセンスと人柄だと思います。」(p116~117)


とりあげたい箇所がいろいろとありました。
それだけ、印象に残ります。
そうそう、こんな言葉がありました。

「深く感動した本や、自分にとって意味があると思った本については、次の本にすぐに行かないで、しばらく余韻に浸るということが大事なのです。その後で、著者は、何を言いたいのか、そこから自分は何を得ることがあるのかと考える時間を持たなければいけないのです。」(p150)

うん。この言葉のとおりに、この新書の余韻にしばらく浸ることにいたします。

ちなみに「おわりに」のはじまりはこうでした。

「『教養とは何だろう』ということを、大学生の頃からずっと考えてきました。」(p183)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする