和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

龍馬史。

2013-05-16 | 短文紹介
文春文庫の新刊。磯田道史著「龍馬史」(\467+税)を買う。
パラパラ読み出すと、気になり、最後まで引き寄せられるようにして読みました。
たのしい読書体験。第3章まであるのですが、どの章も魅力があります。
ひとつだけ引用するとすれば、
会津「日新館」と、薩摩「造士館」の比較など興味をそそられます。

「会津藩は、幕末の動乱の80年ほど前に、天明の大飢饉の直撃を受けました。この藩は最盛期の徳川吉宗時代は16万人近い人口がいたのですが、飢饉のために3割減って、10万人になってしまいました。この人口減は地獄の様な有様を繰り広げたことでしょう。人口の減少は、年貢収入の落ち込みに直結します。
財政悪化で会津藩がどうにもならなくなったときに、一人の天才家老が現れました。それが田中玄宰(はるなか)という人物です。・・・田中玄宰は熊本藩を手本とし、まず人材登用制度の改革を行います。・・・田中は熊本藩から古屋昔陽(せきよう)という学者を政治顧問として招き、『日新館』という学校を作り、ここでエリート教育を行いました。しかも、学校を作って終わりというのではなく、その人材をどう生かすかについても考えていました。・・・・『日新館』は管理教育の最初といっていいでしょう。・・」(146~148)

「一方、薩摩藩も早くから熊本藩に学び、藩校の『造士館』を作ります。ここから先が薩摩藩の面白いところですが、この藩校で成績が良かった人間ももちろん登用するのですが、それ以外にもふだんの行動を見ていて人材を選びます。薩摩藩には人を選ぶ能力を持った藩主が出ました。・・側近に西郷吉之助を抜擢しました。薩摩藩にあって、西郷ほどの人目利きはいません。・・なぜ西郷が友人や親戚の子供たちの能力をわかっているのかというと、子供の頃から『郷中教育』を行っていたからです。・・・彼らの教育の中でも重要なのが判断力を養う『詮議』といおうものでした。詮議というのは一種のケーススタディです。もしこういうシチュエーションになったら君はどうするかということを先輩が問いかけ、小さな子供から順に答えさえていくというものです。・・・・そのようなことを何度も詮議で繰り返しているのが、郷中教育というものなのです。メンバーは、誰がどういう答えをするかをずっとこの集団の中で聞いている。薩摩藩士の思考パターンは『場合分け性』が高いかもしれません。この場合はこうする、もしこうなったらこうすると、あらかじめ答えが用意されている。だから彼らは、危機に直面したときに行動が早い。知恵をつける記憶力ではなくて、対処の判断力を養っているわけです。薩摩の子供たちは、維新の志士の次の世代もこの教育を受けています。」


佐々淳行氏の「危機管理」を思い浮かべたりします。


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夢。

2013-05-15 | Weblog
へんな夢を見た。

夫婦で、私が妻を説得している。
それが、永遠に死なない時間旅行らしい。
意を決して、妻が行くことにする。
マンションの個室みたいなところに入ると
時間ぎりぎりでまにあったらしい。
2組の夫婦だけが参加できるらしく、
一方の夫婦は、出発準備の連絡をとりあっている。

次の場面で、私は買い出しをしている。
もどって、ドアの入口を開けると、
もうそこはがらんどうになってしまっている。

どうやら、私は出発直前に、
のんびりと買い出しに出かけてしまったらしいのだった。

そこで目がさめる。
その夢を反芻していると、
耳元にブ~ンと蚊の音。
自分のこめかみあたりを平手うちすると
手に蚊のつぶれた跡と、血のあと。
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楽屋口までを。

2013-05-14 | 短文紹介
須貝正義著「私説安藤鶴夫伝」(論創社)に、
「落語鑑賞」がはじめて本になったことが書かれております。

「昭和24年7月、苦楽社から『落語鑑賞』が刊行された。それについて安藤鶴夫は、『装幀・挿画は木村(荘八)先生が、ぼくの夢を具体的に、寄席の表から楽屋口までを、明治色の溢れた数々の舞台装置で飾って下さったし、久保田先生からは序にかえて、詩情ゆたかな句を頂戴した。』
と創元社の『後記』で述べている通り、装幀の着想がユニークで、まず表紙を寄席の入り口に見立てて、吊し看板には肉太に《くらく亭》と書いてある。見返しは玄関、下足のある土間に、鳥打帽の男の後に、絣の着物に学生帽の少年が続いている。木村画伯が『これが鶴だよ』といったという。扉は、客席になっており、高座の左手が杉戸で、土瓶を下げたお茶子が立っている。裏の見返しは楽屋のスケッチで、高座を終えた人や仕度をしている者に前座の姿等、裏表紙は、楽屋口の外、もじりの外套にマスクをした噺家が俥に乗ろうとしている。向うの通りは一段と明るく、雑踏の流れ、まさに明治大正時代の興趣を感じさせる寄席風景であった。また《序にかへて》は、久保田万太郎が愛弟子のために俳句で、所載の各演目を鋭く、しかも巧みな表現でとらえた愉しい序文であった。・・」(175~176)

う~ん。苦楽社の安藤鶴夫著「落語鑑賞」をひらいて、「絣の着物に学生帽の少年」がいるかどうか、見てみたいなあ。

すこし、あとには、こうあります。

「安藤鶴夫に、新しい舞台が展開しようとしていた。雑誌連載につれて、《落語鑑賞》の評価は月々高まり、知名度も増していった。
鎌倉・材木座の久保田万太郎邸で集りがあった。席上、隣り合わせた万太郎と評論家・小林秀雄の話題が、最近読んで面白かったものは何か、ということになって小林秀雄が『《苦楽》に載っている落語のアレ、面白いね。』といった。万太郎は笑って『それ書いたのは、ここにいる安藤君です。』たまたま末席にいた安藤鶴夫が紹介され、大いに面目を施したという。」(p178)
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ハナニアラシノ・・。

2013-05-13 | 古典
台所兼居間の窓からすぐに、柚子の木が枝をひろげています。
そこに柚子の花が咲いているのですが、つい先頃までの雨風に、その下の地面に白い花びらが敷かれております。

ハナニアラシノタトエモアルゾというやつです。
ところで、安藤鶴夫著「ごぶ・ゆるね」(旺文社文庫)の
文庫の「後記」は齋藤磯雄氏が書いておりました。
そこに
「この親孝行(古風に申せば風樹の嘆)については・・・」(p252)
という箇所があり、
「風樹の嘆」って何?
と思ったわけです。

鈴木棠三「新編故事ことわざ辞典」(創拓社)には

「風樹の嘆(ふうじゅのたん)・・親に孝行をしようと思い立ったときには、すでに親は死んでいて孝行ができないという嘆き。風木の嘆。
《風樹=風に吹かれる木。亡くなった親を思うことをいう。風木。》」
とありそのあとに出典を挙げておりました。孔子に関係しているようなのでした。
韓詩外伝‐九から引用されております。
最後に「類」とあり類句として、
「木静かならんと欲すれども風止まず
 孝行をしたい時分に親はなし」

井伏鱒二の「勧酒」訳詩も、また別の味わいを深められそうな気がしてきました。
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買うときなはれ。

2013-05-12 | 本棚並べ
最近は、もっぱら本を読みながら、途中の参考文献とか、ちらりと紹介されている本を、ネット古書店に注文するのが癖になってしまいました。そして、本は最後まで読まない(笑)。
うん。そういえば、書評は「この本面白いから、買わないと損だよ」とでも言われているような気分にさせられます。その意味で、あらためて噛みしめたい言葉として浮かんでくるのが、カズオ書店なのでした。

「・・中学生の私を連れて行き、谷沢はん、これ、買うときなはれ、あんた大きなったとき役に立ちまっせ。カズオさんの言う通りであった。」(p197・谷沢永一著「紙つぶて自作自注最終版」)


昨日、家で文庫の探し物をしていたら、
あれ、ちくま学芸文庫「柳田國男対談集」がありました。
この、文庫解説は宮田登氏。
ちなみに、筑摩叢書の「柳田國男対談集」の
「あとがき」は臼井吉見氏。
どちらも、印象深いなあ。

さてっと、筑摩書房「新編柳田國男集」の第十巻。
その解説は鶴見俊輔氏。
鶴見氏の解説の中に、柳田國男・家永三郎の対談からの引用があったのでした。
そこを引用。

「ただ思想という言葉を私が問題にしているのは、そんなバラバラのものの概念の用箪笥みたいなものに名づけて思想といえるかどうか。そういうものまで含めて思想というか。たとえば問題が起った時に初めて出す判断、それには知識も必要だけれども、ある一つの概念みたいなものをかねがね持っているのです。それは、その時に、おれはそう思わない――という時にはじめて現れてくるのでしょう。漠然たるネピュラ(星雲)みたいなものです。」(p285)

うん。たとえば、東日本大震災という「問題が起った時に初めて出す判断」。
ということを、つい思い浮かべながら読みました。
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文辞の着付け。

2013-05-11 | 短文紹介
文藝春秋6月号の「必読大特集」と銘打った
「『現代の名文』入門」に
福田和也氏による「実例で学ぶ現代名文事典」がありました。
そこに、安藤鶴夫の名前が登場しております。
ということで、そこを少し引用。

「安藤鶴夫は、洒脱というより、これは久保田万太郎にも、あてはまる事だが、言葉、文字をやや乱暴に節してしまう事で、余韻、余情を棚引かせるという技をもっている。
一般に、万太郎の方が上手という事になっているけれども、安藤氏の方が文辞の着付けがしっかりしている、と思うのは、私だけだろうか。」

このあとに、安藤鶴夫の『おやじの女』を引用しておりました。
そして

「言葉を節し尽くした文章で、脈絡があるのかどうか、とりあえず追いかけるのに苦労するのだが、しかし、それだからこその、魅力というものがあって、ひとたび嵌まってしまうと、安藤氏ではないと、はじまらない、という心持ちにさせられる。」(p304~305)


ちなみに、KAWADE道の手帖「安藤鶴夫」の最初の方に、
鴨下信一氏の「下町ことばと鯛やきのしっぽ」という文がありました。
その文の最後の方に、こんな箇所

「ぼくの記憶では、昭和40年前後から、一群の作家たちがこの『読点多用』『話し言葉そのまま』の文体を採用しだす。一群の、と書いたのはこの作家たちは作家(ライター)と振り仮名つきにしたいような、記者・放送作家・漫画家など、他のジャンルから文章の世界に参入してきた人々だったからだ。彼らが拠ったのは『漫画読本』という雑誌で、この雑誌の存在のことはもっと戦後の文章の歴史の中で語られていいと思っている。安藤もじつはその中核の一人だった。
この時代はまた、オーディオ機器(特にテープレコーダー)が一般に普及し出した時代だった。安藤はラジオ東京(現・TBS)のラジオ開局当初から顧問格で参画していたし、番組の構成から出演まで放送経験が多数あった。あの文体は、録音機器が広く使用されてゆくだろう未来に、文章はどう対抗していったらいいかの試みだったように思えてならない。この流れは東海林さだお(やはり「漫画読本」の出身だ)からはじまるスーパーエッセイの隆盛という形で実を結ぶ。・・・」(p9)

ということで、
6月号の文藝春秋に戻ると、
「『現代の名文』入門」に
「文章で大切なことはこの人に学んだ」という箇所があるのでした。それは「文章の達人十人が明かす、とっておきの『私の名文』」となっておりまして、パラパラとめくると中野翠さんが「東海林さだお」を取り上げていたのでした。
その中野さんの文の最後はこうでした。

「・・意識にはのぼりにくいのだけど、おかしな動きをする心をえぐって行ってそれを言葉として浮かびあがらせる。また、日本語の豊かさや妙味をたんのうさせてくれる技術。・・」(p340)
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憧れを。

2013-05-10 | 短文紹介
今日発売の文藝春秋。その新聞広告を見ると、
ドナルド・キーン氏と徳岡孝夫氏の対談が掲載されている。
うん。これだけでも読みたい。と購入。
お二人の対談は
「『現代の名文』入門」という必読大特集のひとつでした。
お二人の対談は8ページほどでした。
キーン氏が永井荷風について
「彼が口を開いたとき・・あんなに美しい日本語を聞いたことは、後にも先にもありません。日本語特有の哀しさや翳りが感じられて・・・」とあります。

今なら、どなたの日本語を聞けばよいのでしょうね。
などと、思うのでした。
ちなみに、
徳岡氏は
「荷風は幼いころから歌舞伎などにも親しみ、漢学や日本画の素養もありました。一時は落語家に弟子入りしたこともある。・・・」

落語といえば、

「鏡花は、金沢から上京して紅葉の門下に入りますが、文体を磨くために何度も落語に通って、江戸の言葉を覚えようとしたそうです。」とも徳岡氏が語っておりました。

徳岡氏といえば、
こんな名言。

「私も新聞記者出身なのですが、基本的には新聞記者に名文家はいません(笑)。僕の持論として、一日でも会社から貰った定期券をポケットに入れた人間には、名文は書けないのです(笑)。一字一句で勝負している人間でなければ、文章は磨けない。」(p284)

ちなみに、
雑誌「諸君!」2007年10月号に
永久保存版「私の血となり、肉となった、この三冊」という特集がありました。
そこで徳岡孝夫氏は
 鴨長明「方丈記」
 森鴎外「渋江抽斎」
 幸田露伴「太郎坊」

以上3冊をとりあげていたのでした。
今回の対談の最後で徳岡氏は、こう語っておりました。

「私が推薦したいのは、幸田露伴の『太郎坊』です。これは『日本文学史』を訳しているときに、キーンさんから教わった、ごく短い小説なのですが、何も劇的な事件は起こらない。旦那が仕事から帰って、銭湯へ行って帰ってくる。・・・」

これをうけてキーン氏の対談の〆はというと、

「『太郎坊』は大変東洋的な小説です。私は、露伴の書いたものを読むと、一種の憧れを感じます。一番大事なのは家へ帰ること。家へ帰って奥さんといつもの話をして、いつもの物を食べること。かつてそういう生活があった。今もまだどこかに、こうした時間、こうした生活があるのでしょう。露伴は、文章の力で、それに気づかせてくれるのです。」


うん。この雑誌を、その「諸君!」10月号と並べて架蔵しておくことに(笑)。
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面白いぜぇ。

2013-05-09 | 前書・後書。
雑誌「Will」6月号の蒟蒻問答。
その対談のさいごに堤堯氏が久保絋之氏に

「・・ところでオレの本(『昭和の三傑』)が文庫になった。文庫用の『まえがき』だけでも読んでみてくれ。面白いぜぇ(と差し出す)。」(p268)

うん。単行本は読んだのですが、
やはり気になるので集英社文庫の堤堯著「昭和の三傑」を購入。
さっそく、文庫本まえがきと文庫本あとがきをめくる。
そのあとに「巻末付録」があり、単行本が出た時に
とりあげた書評を再録しております。
さらにそのあとに
「中曽根康弘氏への公開質問状」というのが
面白く、買って読んでよかったと思ったのでした。

一箇所だけ、ちょっと引用

「憲法九条はマック・幣原二人の密談で決まった。」
ちなみに、マックとはマッカーサーのこと。

『軍人のあなたに、こんなことを持ち出すのは不本意だが・・』
言い澱みながら幣原が、戦力放棄条項を憲法に入れたいと切り出す。
マックは『腰を抜かさんばかり・息も止まらんばかり』に驚く。
・ ・・マックは言う。
『そんなことをすれば、世界の嘲笑の的になる』

この箇所を、堤氏は

「マックは三度にわたって、幣原発案説を証言している。上院の聴聞会、75歳の祝賀会、そして『回想記』である。ここで当該箇所を全文引用できればいいのだが、紙幅がない。三つの証言を読み比べる限り、ブレはない。一貫している。幣原との密談の微妙なニュアンスを伝えて、とても『作り話』とは思えない。しかも幣原が遺した種々の証言と符合する。・・・」(p356)

うん。もう一度読み直そうか、どうしようか。
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ホクホクして。

2013-05-08 | 短文紹介
池田彌三郎・谷川健一対談「柳田国男と折口信夫」(岩波書店同時代ライブラリー)に、「文章について」という箇所があったのでした。

谷川】 柳田国男の文章というのは、たいへんな名文で、折口信夫の『先生の学問』という文章を読むと、非常に複雑な対象を表現するのに適切だと書いてあります。・・それに比べますと、折口信夫の場合は一行一行が独立しているような文章で、最初の行と次の行が互いに対立しあったり、そっぽを向いたりして、流れをわざとせきとめるようなところがあります。歌にしても、あの句読点の使いかたをみていますと、折口信夫の意識の中に、空転しがちな流れにどこかで歯止めをかけ、もっと深いところへ測鉛をおろす、そんな考えがあったように感じています。(p139)


そういえば、小林秀雄著「本居宣長」の最初に、折口信夫が登場していたなあ。などと思ったりするのでした。

それから、数ページあと。
池田彌三郎氏には、こんな箇所があったのでした。

池田】 柳田国男も折口信夫も言葉が好きだったんですね。僕が折口先生のそばにいて、いちばん得をしたのが、この言葉です。言葉のことを聞くと、どんなに機嫌が悪くてもホクホクして、いくらでも話してくれましたね。たとえばね、お盆のおはぎが傷んじゃって汗をかいたことがあったんだけど、その時『先生、大阪じゃなんて言うんです』って聞いたんです。すると『うん、何とか言ったね、そうたしか言ったことがあった』なんて考えていて、『あっ、イシルだ』と思い出すんです。たべものが少しわるくなって汗をかくことはイシルなんですね。僕は先生にテンキンと呼ばれていたのですが、『テンキンもたまにはいいことするよ、お前さんが今聞いてくれなかったら、イシルという言葉は忘れたままになっちゃったろう』。そういう時は実にうれしそうでした。(p147)

また、こうもあります。

池田】 ・・・こちらの質問がつぼにはまると、待ったましたとばかり答えが帰ってくる時があるんです。(p153)

候文についても印象に残ります。

谷川】 ・・・折口信夫は候文の名手ですし。・・
池田】 柳田邸に残っていないんですかね。候文というのはいちばん自由にものを考えられる、というのが折口信夫の意見でした。・・



う~ん。候文といえば、
「書翰文講話及文範」の上巻に、
気になる箇所があったなあと、探すと
たとえば、こんな箇所をみつけました。

「文章として十分整つてゐるのは何と言つても候文・・である。就中(なかんづく)語句の簡潔といふ点に於て到底他の文体の及ばぬ所がある。・・ただ大体からいふと、口語の方がどうしてもぴたりと肌に着く。随て理義でも情趣でも十分こまやかに、そっくりその儘言ひ表はすには口語文でなくてはならぬ。・・」(p143・冨山房発行上巻)

以上なんとなく思い浮かんだので書いておきます。
こういうことって、すぐに忘れるんだよね。
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今日の旺文社文庫。

2013-05-07 | 前書・後書。
今日届いた古本。
安藤鶴夫の旺文社文庫3冊。

古書風流夢苑(大阪府寝屋川市香里新町)
へと3冊注文。

寄席 落語からサーカスまで  200円
雪まろげ           300円
年年歳歳           200円
送料             290円
合計             990円なり

選んだ基準は「安さ」です(笑)。
「雪まろげ」の解説は野口達二でした。
そのはじまりにこうあります。

「安藤鶴夫の人と作品については、この文庫で出された一連の作品の『解説』で、ほぼ書き尽されている。『巷談 本牧亭』の須貝正義解説、『三木助歳時記』の槌田満文解説、『落語鑑賞』上下の江国滋解説などがそれで、須貝さんの解説などは、一冊に書き下しといえば、ゆうに一冊にまとめ得る程の材料が、その背後にあることを行間に感じさせる。・・・」

う~ん。他の人の解説も読みたくなります。
須貝正義著「私説安藤鶴夫伝」(論創社)は、
未読ですが、このまえ買ったばかり。
江国滋氏の解説も読みたいなあ。
注文しようかどうしようか。迷います。

「年年歳歳」の解説は土方正巳。
「年年歳歳」には「娘の結婚」という文がはいっていて、
これは、kawade道の手帖「安藤鶴夫」のなかにある
特別インタビュー「安藤鶴夫の娘という使命」をいっしょに読むと
ある感慨がわいてくるのでした。

ちなみに、「寄席 落語からサーカスまで」に、
解説はありませんでした。

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旺文社文庫。

2013-05-06 | 朝日新聞
身近に旺文社文庫「ごぶ・ゆるね」を置いて、ときどきひらきます(笑)。
ということで、旺文社文庫にある安藤鶴夫の他の作品を数冊注文することに。朝日新聞社の「安藤鶴夫作品集」を、買ってあるのですが、読まずに今にいたります。旺文社文庫からなら安藤鶴夫への水先案内人を、まかせられそうです。なんともありがたいなあ。今年は安藤鶴夫を読めますように。
そういえば、さりげなくですが、
「ごぶ・ゆるね」の、齋藤磯雄「後記」に、こんな箇所が

「・・じつのところ、安藤他界の後、朝日新聞社から『安藤鶴夫作品集』全六巻が刊行された折も『ごぶ・ゆるね』収載の申出があつたが、電話でうたた寝を覚まされた不機嫌も手伝つて、――お宅には正しい漢字がないでせうからお止しになつた方がよろしいでせう、と御辞退申上げた覚えがある。・・・・」(p254)

うん。旺文社文庫なら安藤鶴夫が楽しめる。そんな気がしてきました。

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もうすぐくるのに。

2013-05-05 | 短文紹介
安藤鶴夫著「ごぶ・ゆるね」(旺文社文庫)に
「神田パノラマ館」という短文がありました。
そこに、
ああ、そう思えばいいのだと納得した箇所がありました。

「・・・このごろ、としよりが、みんな、昔の話をすることを、まるで、わるいことかなんぞのように思うらしく、なんだか、そっとして、ちっとも話してくれないようになってしまった。
たぶん、老人の、そんな昔ばなしなんぞ、いまの若いひとは、おかしくて、聞いちゃアいられない、ということかなんかで、としよりが、若いものに、出来るだけ、いやがられまいというところから、たまにゃア、自分の若いころの話も、したいのにちがいないのに、なんだか、こらえているような気配がある。
いまの若いひとだって、あッという間に、としよりになってしまって、昔アね、かなんか、やっぱり、きっと、そんな話を聞いてもらいたい時が、もうすぐくるのに、自分だけは、たぶん、としよりになんかなるものか、と、思ってるのと、違うだろうか。
そんな時の、それこそ、断絶というか、疎外というか、としをとってからの、そういう生活のさびしさ、つらさは、たぶん、現在のとしよりたちの、なん百倍、なん千倍かと思うのだが・・・・」(p128~129)

この箇所、読めてよかった。
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おつは!

2013-05-04 | 本棚並べ
安藤鶴夫著「ごぶ・ゆるね」(旺文社文庫)を注文。

甲陽書房古書部へ注文。
先払い800円 (梱包発送費は小社負担となっておりました)
郵便局のATMにて送金すると、すぐに返信が来て、次の日届きますとのこと。
クロネコメール便のメール便速達サービスにて、ちゃんと昨日届く。
その包装がステキです。
雑な私には、まるでクリスマスプレゼント用にでも、包装してもらったような丁寧さ。宛名は印刷なのですが、大きい文字で手書き風。甲陽書房の紙カバーも同封されて、模様は「意匠 青山二郎」とあります。この文庫をとりあげた「大波小波」の新聞切り抜きもきちんと同封されて、こちらも丁寧に読ませていただきました。ありがたい。
まるで、居ずまいを正して紋付袴で本を送り出してくださったような余韻がありました。

ということで、昨日は
贈り物をほどいて、楽しんだ。そんな一日を過せました。

なぜ、この古本を注文したか。
「紙つぶて 自作自注最終版」の806頁。
「話し言葉と表情や所作の活写を極めた文体の魅力」と題された文。
そこで、旺文社文庫の「ごぶ・ゆるね」を取り上げていたからなのでした。
谷沢永一氏は、この文庫のなかの「『赤い鳥』のころ」「落語研究会」「七代目・可楽のこと」をとりあげていますので、その水先案内人のいうとおり、まずはそこを読みました。よかった。
その文庫の第三章が「ごぶ・ゆるね」安藤鶴夫・斉藤磯雄往復書簡となっていて、この文庫最後の、齋藤磯雄氏による「後記」と合わせて往復書簡を読むと、じーん、となるのでした。

まあ、それは読んでのお楽しみとして、
「ごぶゆるねのごぶが、御無沙汰の略の、ごぶであり、
ごぶゆるねのゆるが、許してね、の、ゆるである・・」(p240)

往復書簡の最後は齋藤氏の文でした。
そこに、こんな箇所。

「君のいはゆる安藤語も・・わが家では日常語になつてゐる。倅までがお早うと言はずに、おはネ、と言ふ。山妻もあらおはねえ。僕は家長の威厳を保つて、おつは!・・」(p243~244)

ああ、そうそう。
谷沢氏が紹介した「『赤い鳥』のころ」は、
昭和41年の蛍雪時代に掲載された短文なのでした。その最初は
「わたしは雑誌『赤い鳥』を読んで、育った。」とはじまります。
真ん中が重要なのでしょうがカット(笑)。
ここでは、その文の最後を引用。

「日本の雑誌は、少年雑誌から途中がなくて、大人の雑誌に飛躍しなくてはならないのだが、わたしは『赤い鳥』から、突然『中央公論』にとんだ。その時、ちゃんと『赤い鳥』でおなじみの龍之介、万太郎、春夫などが、みんな、そろって小説を書いていた。このことにもわたしは感動した。・・・」(p168)
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役に立ちまっせ。

2013-05-03 | 短文紹介
本を読みつづけられない自分なので、
その気分をすくいあげてくれる、
そんな言葉にあたればと思うのでした。
さてっと、
谷沢永一著「紙つぶて 自作自注最終版」の
p761にこんな箇所があったのでした。

「児童書の売り上げは伸びているのに、
 読書習慣が続かない。」

う~ん。私は、
本を買うくせして、
読書習慣が続かない。
ということろです(笑)。

ちなみに、この箇所は、
『毎日新聞』書評欄の自己紹介小冊子
『日曜の朝は今週の本棚』(平成16年)に掲載されており。
主要書店主の要望からの引用なのでした。

その冊子なら、たしか私も持っているなあと、
本棚から取り出してくる。
その箇所は「書店主に聞く『新聞書評に期待すること』」にありました。
ジュンク堂書店社長 工藤恭孝
八重洲ブックセンター社長 徳永巌
三省堂書店社長 亀井忠雄
紀伊國屋書店会長兼CED 松原治
と、四人の方々がコメントを寄せており。
引用の箇所は亀井忠雄氏のコメントでした。

そういえば、「自作自注最終版」のp197に
古書店の店主が登場して印象深い箇所あり。
その前半部分を引用。

「終戦のドサクサで店舗を構えることの出来ない古本屋も少なくなかった。そのうち運の強い人が、大坂・難波の地下道に場所を確保した。戦前から手軽な販売目録を出して業界では有名である。本名は伊藤一男、それを何故か、カズオ書店と名乗った。至って優しく親切で、客を大切にする誠実では、私は今までこの人を越す例に接したことはない。
たまたま仕入れてきた『文章世界』の、増刊別冊号を除く本誌の揃いの前へ、中学生の私を連れて行き、谷沢はん、これ、買うときなはれ、あんた大きなったとき役に立ちまっせ。カズオさんの言う通りであった。・・・・」
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皮算用。

2013-05-02 | 本棚並べ
昨夜は机と椅子の移動。
いざ、机を動かすと、裏側に
ほこりは、こんもり。
う~ん。おおざっぱな整理をする。
あとは、本を読むだけなんだけれど・・

気になる本をさがしてはじめると、
いつのまにやら、整理がはじまるなら、
いっそ、その逆をいって、
まず、机と椅子の整理をすれば、
よっぽど、本を読めるのじゃないか。
などと、あらぬことを思うわけです。
取らぬ狸の皮算用。

机の移動はいつやるの?
昨夜でした。
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