GWでどうも気が緩んでしまったようで
今イチ体調が優れない
(この頃の大変な気温変化にやられてしまった?)
いつも長い休みの時期になると同じことの繰り返しで
3年前の正月は、休み中寝込んでいた様な記憶がある
それで買って来たばかりの雑誌を見ながら
寝転がっていると少しばかり回復した様だ
買って来た雑誌は「ラピタ」
ターゲットを自分らの世代に設定してあるようで
さすがに関心があるテーマで特集がなされている
今回はジャガーとその対抗車
そして真空管アンプ
前回のレコード対CDの聴き比べも面白かったが
今回も、ボリュームが少なかったけれど
興味深く読み飛ばせた
その人の感覚を自分に実際に体感するわけにはいかないので
出て来た言葉で自分なりに解釈するしか手はないが
不思議なのは、ソリッドステート・アンプ対真空管アンプの
聴き比べの印象の言葉がまるっきり
CD対レコードと同じであることだ
真空管アンプへの「あたたかな音」とか
「音楽を生で聞いている様な感じ」とか言う評価は
CDに対してレコードを聴いた時に感じられる印象と似ている
自分の家ではもう何年も前から真空管アンプにしている
そのキッカケは、義理の兄の家の真空管アンプを聞いたからだ
クラリネットの音があまりにも生々しくて
そして、それがいかにも自然っぽくて
同じスピーカーでもこんなに違うのか!
(その頃同じスピーカーを使っていた)
自分は圧倒的に真空管の方が好きな音色だ!
と一気にソリッドステート・アンプへの関心はなくなって
uesugiとLuxmanの真空管アンプに交換したのだ
確かに音の重さが違う!
と、その頃は思っていたが、
最近は真空管アンプばっかりで聞いているので
ソリッドステートとの違いはわかり難くなっていた
一方レコードとCDとの違いは
最近特に感じる様になって
レコードの
「あたたかな感じ」
「ドスンと低音の重みのある感じ」
「目の前で演奏している感じ」が
CDの
「純粋なきれいな雑音のない音」
よりも、ずっと気に入って、
針を下ろす面倒な作業にもかかわらず
レコードを聞くことが多くなっている
となると、ソリッドステート・アンプでCDを聞くのと
レコードを真空管アンプで聞くのとは
大幅に違う感想を持つことになりそうだが
幸いなことに(?)我が家にはソリッドステート・アンプがない
この年齢になると、音楽はスペックで聞くものではなく
好みの音で聞きたい!という欲求が強くなってくる
この好みの音の正体は、もしかしたら雑音のおかげ
(レコード、真空管のシステム上出てしまう邪魔な音?)
かもしれないが、
そういえばこの頃、いろんなところで
やけに無駄なものが無駄ではない!
と思うようになってきたようだ
ある面、無駄こそが(程度はあるが)
必要な要素ではないか!とさえ思えてくる
これは年を重ねた結果だろうか?
しかし、だからと言って不満なわけではない
それなりの年齢になって、
それなりの感情を持つようになったのは
進歩とは言わないが、良い方向に変化した
と思うことにしている
今イチ体調が優れない
(この頃の大変な気温変化にやられてしまった?)
いつも長い休みの時期になると同じことの繰り返しで
3年前の正月は、休み中寝込んでいた様な記憶がある
それで買って来たばかりの雑誌を見ながら
寝転がっていると少しばかり回復した様だ
買って来た雑誌は「ラピタ」
ターゲットを自分らの世代に設定してあるようで
さすがに関心があるテーマで特集がなされている
今回はジャガーとその対抗車
そして真空管アンプ
前回のレコード対CDの聴き比べも面白かったが
今回も、ボリュームが少なかったけれど
興味深く読み飛ばせた
その人の感覚を自分に実際に体感するわけにはいかないので
出て来た言葉で自分なりに解釈するしか手はないが
不思議なのは、ソリッドステート・アンプ対真空管アンプの
聴き比べの印象の言葉がまるっきり
CD対レコードと同じであることだ
真空管アンプへの「あたたかな音」とか
「音楽を生で聞いている様な感じ」とか言う評価は
CDに対してレコードを聴いた時に感じられる印象と似ている
自分の家ではもう何年も前から真空管アンプにしている
そのキッカケは、義理の兄の家の真空管アンプを聞いたからだ
クラリネットの音があまりにも生々しくて
そして、それがいかにも自然っぽくて
同じスピーカーでもこんなに違うのか!
(その頃同じスピーカーを使っていた)
自分は圧倒的に真空管の方が好きな音色だ!
と一気にソリッドステート・アンプへの関心はなくなって
uesugiとLuxmanの真空管アンプに交換したのだ
確かに音の重さが違う!
と、その頃は思っていたが、
最近は真空管アンプばっかりで聞いているので
ソリッドステートとの違いはわかり難くなっていた
一方レコードとCDとの違いは
最近特に感じる様になって
レコードの
「あたたかな感じ」
「ドスンと低音の重みのある感じ」
「目の前で演奏している感じ」が
CDの
「純粋なきれいな雑音のない音」
よりも、ずっと気に入って、
針を下ろす面倒な作業にもかかわらず
レコードを聞くことが多くなっている
となると、ソリッドステート・アンプでCDを聞くのと
レコードを真空管アンプで聞くのとは
大幅に違う感想を持つことになりそうだが
幸いなことに(?)我が家にはソリッドステート・アンプがない
この年齢になると、音楽はスペックで聞くものではなく
好みの音で聞きたい!という欲求が強くなってくる
この好みの音の正体は、もしかしたら雑音のおかげ
(レコード、真空管のシステム上出てしまう邪魔な音?)
かもしれないが、
そういえばこの頃、いろんなところで
やけに無駄なものが無駄ではない!
と思うようになってきたようだ
ある面、無駄こそが(程度はあるが)
必要な要素ではないか!とさえ思えてくる
これは年を重ねた結果だろうか?
しかし、だからと言って不満なわけではない
それなりの年齢になって、
それなりの感情を持つようになったのは
進歩とは言わないが、良い方向に変化した
と思うことにしている