パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

大衆化に寄与したが、インパクトはなかった(?)カラヤン

2008年05月10日 17時12分36秒 | Weblog
「カラヤン帝国興亡史」
 中川右介著 幻冬舎新書刊

音楽の中身には僅かにしか触れていなくて
大半がカラヤンのポジションへの意欲、野望で終始する
変った音楽の本

自分が中学生の頃にはカラヤンは既に
ヨーロッパ音楽会の帝王となっていて
一般的な評価も、また発売されるレコードも
他の指揮者のそれを大きく上まっていた

だから始めの頃手にしたのはカラヤンのものだったが
今回この本を読んで、改めてカラヤンの何がよかったのかと
レコードを聞き直そうと思ったが意外や意外
彼のものはそんなに多くなかった

ブルックナーの第9番
ブラームスの第4番
マーラーの第9番
の大曲の他は
シベリウスのフィンランディアとその他の小管弦楽曲
パッヘルベルのカノンなどのイージーリスニング曲
ワーグナーの管弦楽曲
そしてオペラ部門では
サロメ、アイーダ、フィガロの結婚、ラインの黄金などで
こうして見ると熱心な聞き手ではなかったことが再確認される

だからといってライバルのベームが多いわけではなく
むしろブラームスの1番のレコードなどは
気に入らなくて(世間の評価は高かったが)友達にあげてしまった

自分の関心を占めた指揮者はフルトヴェングラーで
そのせいでフルトヴェングラーの対抗馬としての
ワルター、クレンペラーなども聞くようになった

さてレコードで久しぶりに
ワーグナーのタンホイザー序曲を聞いてみたが
予想よりは(聞いて知っているはずで変だが)よかった
なによりもベルリンフィルが大した合奏能力を発揮して
逞しい音色だった
つまり悪い内容ではなかった
しかし、何故だろう?
こんなにカラヤンからは離れていったのは

フルトヴェングラーの音楽は
時に我を忘れる熱狂や恍惚、魂の沈潜があるが、
結局カラヤンの音楽には全身を音楽に浸ることができない
なにかを感じたのかもしれない

いつもいつも全身全霊の音楽がいいとは限らないが
それでも若いうちの
フルトヴェングラーやカール・リヒターの音楽経験は
生半可なものではなかったし
本当に良い経験だった

いわゆるクラシック音楽をレコード、CDなどのメディアを通して
大衆に広めることにカラヤンは、おおいに寄与したが
音楽自体の評価は、さて実際どうだったのだろう
いったい彼の代表盤は何だろう?

案外「バラの騎士」?
どうもフルトヴェングラーの第9みたいにはすぐに浮ばない
どうやらカラヤンは多くの人に
そこそこの印象は与えることができても
強烈な印象を与えることはできなかった人のタイプのようだ
(それが悪いというわけではないが)

それにしても、せっかくだからカラヤン
もう少し真面目に聞いてみようかな?




コメント
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