ここ数年GWの恒例となった東京への旅
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのコンサートを聴くためだが
今年のテーマは「シューベルトとウィーン」
前売り券の購入で少し失敗して
今回は3日・4日でいつもより少ない4公演のみとなった
さて感想は、良かったものから!
昨日のジェラール・コセ(ヴィオラ)
オーヴェルニュ室内管弦楽団
アリ・ヴァン・ベーク(指揮)の
アルペッジョーネ・ソナタ イ短調(ヴィオラと管弦楽版)
これは本当に生のよさが充分に感じられた
会場と演奏家とが一体感がある様な空間が出来上がり
途中、2楽章では自分は眠っているのか起きているのか
まるで夢見心地で、延々と続く音楽にいつまでも浸っていたい感じだった
自分の席の前の、歳とったご夫人は本当に気持ち良さそうに
身体を斜めにして熟睡していたが
その気持ちはわかる!というか、聞いていなくても
音楽を充分に楽しんだのではないかとさえ思われた
この眠っているのか起きているのかわからない様な
忘我の瞬間!
シューベルトは割に頻繁にあるかもしれない
昔聞いたラ・ローチャのシューベルトの21番のピアノソナタの
第2楽章もそんな感じだった
始めは管弦楽版でゲテものの類いかな!と思ったのだが
トルシエ監督にどことなく似た感じのコセ氏は
全くの職人芸で、版のことは少しも感じさせず
聴衆に魔法をかけたようだった
メンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第10番ロ短調
ロッシーニの弦楽のためのソナタ第5番も
若々しくて楽しかった
ロッシーニは確かにイタリア人!
まるでイタリア語のおしゃべりやら
オペラのアリアみたいな部分が多くて
アルペッジョーネ・ソナタを聞いた後
アンコールみたいで、酔い心地の聴衆には
おいしいデザートのようだった
2番目によかったのは今日の
東京都交響楽団 小泉和裕(指揮)のシューベルトの「グレイト」
まず思ったのはえらく大編成だなということ
そしてこの大編成がヒステリックな響きにならず
途中から団員の人々がのってきて
指揮されるというよりは、
先に先に行きたいみたいな瞬間があって
演奏のライブ感が楽しかった
聞いていて第1楽章の終わり方が
ブルックナーの第4番「ロマンティック」はそっくりだとか
スケルツォの部分はやっぱりブルックナーを彷彿とさせるなあ
等と、チラチラ関係ないことが頭に浮かんだ
しかしこの演奏、先ほどの夢見心地とはまるっきり反対で
ずっと覚醒していた様な気がする
それが現代的といえばそうかもしれないけれど
キチンとしてすっきりした若々しい演奏だった
しかし第2楽章の短調に傾くあの瞬間の響き
もう少しグサッときてほしかった
(フルトヴェングラーのベルリンフィルのやつはもう一度聞くのが怖くなる様な
『繰り返し聞くと鈍くなって感じられなくなるのが怖いということ』
不思議な響き、瞬間がある)
つまりシューベルト特有の忘我の瞬間を演出してほしかった
でも、演奏が終わった後の聴衆はみんな満足げで
拍手も力が入っていたし、
「凄かったなー」と彼女に語りかけていた若者がいて
まさにその通りかな!
メインがシューベルトではない演奏会
昨日の小菅優(ピアノ)フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団
クワメ・ライアン(指揮)のベートーヴェンピアノ協奏曲第3番は
非常に若々しい演奏で、オケも当たり障りなく
自分にとっての音楽会のスタートとしてはまずます
反対に残念だったのが今日の古典四重奏団の
弦楽四重奏曲「四重奏断章」と「ロザムンデ」
会場の響きが悪いのか、それとも演奏のせいなのか
特に第一ヴァイオリンの響きがヒステリックに思われて
最後まで楽しめなかった
実際のところ、2日で1つくらいはいいものが
あればよしとすることができるが
去年はフォーレのレクイエムが
じんわりと涙がにじむ様な、そしていつまでも終わらないでほしいような
素晴らしい演奏だったし
その前の年はジェスマイヤーの補筆のないモーツァルトのレクイエムが
雑味がなくてよかったし.
K364の有名な第2楽章も信じられないくらい美しかったことを
今でも覚えている
最初の年は滅多の聞けないベートヴェンの「荘厳ミサ」
この曲のエネルギーは、晩年を枯れた境地にしたがる人々の
意見を吹き飛ばす様なとんでもないもので
レコードではあまり気に入らない「グローリア」が圧倒的な迫力だった
それにしても低価格で、一カ所で、様々な曲目で音楽を楽しめるこの企画
商売上は多分主催者の持ち出しが多いだろうが
なるべく長く続けてもらいたいものだ
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのコンサートを聴くためだが
今年のテーマは「シューベルトとウィーン」
前売り券の購入で少し失敗して
今回は3日・4日でいつもより少ない4公演のみとなった
さて感想は、良かったものから!
昨日のジェラール・コセ(ヴィオラ)
オーヴェルニュ室内管弦楽団
アリ・ヴァン・ベーク(指揮)の
アルペッジョーネ・ソナタ イ短調(ヴィオラと管弦楽版)
これは本当に生のよさが充分に感じられた
会場と演奏家とが一体感がある様な空間が出来上がり
途中、2楽章では自分は眠っているのか起きているのか
まるで夢見心地で、延々と続く音楽にいつまでも浸っていたい感じだった
自分の席の前の、歳とったご夫人は本当に気持ち良さそうに
身体を斜めにして熟睡していたが
その気持ちはわかる!というか、聞いていなくても
音楽を充分に楽しんだのではないかとさえ思われた
この眠っているのか起きているのかわからない様な
忘我の瞬間!
シューベルトは割に頻繁にあるかもしれない
昔聞いたラ・ローチャのシューベルトの21番のピアノソナタの
第2楽章もそんな感じだった
始めは管弦楽版でゲテものの類いかな!と思ったのだが
トルシエ監督にどことなく似た感じのコセ氏は
全くの職人芸で、版のことは少しも感じさせず
聴衆に魔法をかけたようだった
メンデルスゾーンの弦楽のための交響曲第10番ロ短調
ロッシーニの弦楽のためのソナタ第5番も
若々しくて楽しかった
ロッシーニは確かにイタリア人!
まるでイタリア語のおしゃべりやら
オペラのアリアみたいな部分が多くて
アルペッジョーネ・ソナタを聞いた後
アンコールみたいで、酔い心地の聴衆には
おいしいデザートのようだった
2番目によかったのは今日の
東京都交響楽団 小泉和裕(指揮)のシューベルトの「グレイト」
まず思ったのはえらく大編成だなということ
そしてこの大編成がヒステリックな響きにならず
途中から団員の人々がのってきて
指揮されるというよりは、
先に先に行きたいみたいな瞬間があって
演奏のライブ感が楽しかった
聞いていて第1楽章の終わり方が
ブルックナーの第4番「ロマンティック」はそっくりだとか
スケルツォの部分はやっぱりブルックナーを彷彿とさせるなあ
等と、チラチラ関係ないことが頭に浮かんだ
しかしこの演奏、先ほどの夢見心地とはまるっきり反対で
ずっと覚醒していた様な気がする
それが現代的といえばそうかもしれないけれど
キチンとしてすっきりした若々しい演奏だった
しかし第2楽章の短調に傾くあの瞬間の響き
もう少しグサッときてほしかった
(フルトヴェングラーのベルリンフィルのやつはもう一度聞くのが怖くなる様な
『繰り返し聞くと鈍くなって感じられなくなるのが怖いということ』
不思議な響き、瞬間がある)
つまりシューベルト特有の忘我の瞬間を演出してほしかった
でも、演奏が終わった後の聴衆はみんな満足げで
拍手も力が入っていたし、
「凄かったなー」と彼女に語りかけていた若者がいて
まさにその通りかな!
メインがシューベルトではない演奏会
昨日の小菅優(ピアノ)フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団
クワメ・ライアン(指揮)のベートーヴェンピアノ協奏曲第3番は
非常に若々しい演奏で、オケも当たり障りなく
自分にとっての音楽会のスタートとしてはまずます
反対に残念だったのが今日の古典四重奏団の
弦楽四重奏曲「四重奏断章」と「ロザムンデ」
会場の響きが悪いのか、それとも演奏のせいなのか
特に第一ヴァイオリンの響きがヒステリックに思われて
最後まで楽しめなかった
実際のところ、2日で1つくらいはいいものが
あればよしとすることができるが
去年はフォーレのレクイエムが
じんわりと涙がにじむ様な、そしていつまでも終わらないでほしいような
素晴らしい演奏だったし
その前の年はジェスマイヤーの補筆のないモーツァルトのレクイエムが
雑味がなくてよかったし.
K364の有名な第2楽章も信じられないくらい美しかったことを
今でも覚えている
最初の年は滅多の聞けないベートヴェンの「荘厳ミサ」
この曲のエネルギーは、晩年を枯れた境地にしたがる人々の
意見を吹き飛ばす様なとんでもないもので
レコードではあまり気に入らない「グローリア」が圧倒的な迫力だった
それにしても低価格で、一カ所で、様々な曲目で音楽を楽しめるこの企画
商売上は多分主催者の持ち出しが多いだろうが
なるべく長く続けてもらいたいものだ