パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

どうすればいいのだろう?

2008年05月06日 19時48分11秒 | Weblog
ある国では、過去は前にあり
未来は後ろにあるとされている
何故ならば、過去は見ることができるからで
反対に未来は見ることができないから後ろにある
としているのだそうだ

若者たちの前には洋々とした未来が、、、
と、よく使われる言葉が
今はどことなくリアリティーがなく感じられるのは
自分だけではあるまい
村上龍が「この国には希望だけがない」(だったかな?)
と公言したのは、今を生きている現役の作家の
実感に基づくものだろう

確かに希望を持とうとしても
お気楽に夢をもつことは現実離れしているようで
今の若者、少年には現実感のない話は想像しがたいだろう
だからと言って、予想される未来はどう考えても楽しそうではない

自分の未来は自分が開く!
そんな風に教育されたり育てられていればいいのだが
残念ながら多くのサラリーマンの子供たちは
耐えることはできても(限度はあるが)
自ら能動的に動くことはできない

そんなストレスが、いろんなところに蔓延しているようだ
つまり閉塞感というやつ
この時代の雰囲気を一番シビアに感じてしまうのが
弱い立場の者たちで、
彼らはどこかでガス抜きをしなければ
自分がつぶれてしまうので
ガス抜きが奇妙な形で表現されるのが犯罪
となって現れているように思えて仕方ない

今は大きな夢は、なかなか実現し難い
スポーツ選手ですら長年の訓練が許される
家庭での資金が要求されるし
学者になるにもその前段階での選抜と言う試験には
やはり金銭が物を言う(予備校、家庭教師など)社会になっている
つまり固定した階層社会になりつつある

こんな中で若者たちに夢を持て!と
言い切ってしまうのは実際のところ難しい

大人の責任!
人生の折り返し点をとっくに過ぎた自分は
いったい何ができるのだろう
ホント、難しい!
コメント
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