新城市の住民投票の結果を受けての庁舎見直しが
とりあえず進んでいるが、
そこで不思議と大きく扱われつつあるのが
住民投票を棄権した人たちの意見も反映したプラン うんぬんの言葉
棄権をした人に語る資格はない、などと言うつもりはないが
そもそも棄権した人たちの心情をどうやって確かめるというのだろう
多分、それは想像力でしか 語ることはできないと思うが
新城市とも関係の深い松下啓一氏は棄権の理由として
①病気・仕事などで行きたくとも投票に行かれないという個人的理由
②面倒である、テーマに関心がないといった無関心
③正直よくわからない、あるいは単純に賛成か反対では決められないといった住民投票に内在する限界、
④そもそもこの問題でなぜ住民投票するのだという住民投票それ自体への疑問
を挙げている
ただ現実的な問題は、棄権した人の意見がどうであろうと
一般的には多数を占めた方の進める方針となってしまう事が多い
国政選挙の投票率が悪くて、それこそ棄権する人が多いが
棄権した人たちの(想像されうる)意見が反映されるかといえば
そうではない
結果として反映されるのは、選挙に勝った方の(多数を占めた側の)意見
つまり現実問題として、棄権した人の意見は多数派の意見と同じ
(とまでは言わないまでも)と解釈されても仕方ないのが現実
(だから国政選挙を棄権した人たちはこの様に解釈されることを覚悟すべき)
こうした意味合いで、新城市の防災センターで行われた実務協議で
棄権した人の意見とは、多数を占めた方に白紙委任をしたと
解釈するといった意見を加藤市議が述べたのは、
加藤議員を批判する市議の言うほど傲慢でも異常なことでもない
ところが、この多数派というのが問題となっている
新城市に限れば、住民投票はいわゆる市民派(議員3名)が勝利したが
議会では他のグループ(市長派 15名)となっており
素直に住民投票だけの結果を反映しにくい状態となっている
元をたどれば、そもそも住民投票にまでなってしまった原因は
この議員間の多数派の活動・判断が違ってやしないか
もっとよく考えるべきではないのか
といったところから始まっていて、署名活動も短期間のうちに
驚くほど集まり、住民投票の結果も多数派を否定するものとなった
つまり、多数派の議員の判断は間違っていると市民は判断したということ
しかし、結果を重く受け止める
とはいうものの、現実は市議会の構成は以前と変わっていない
重く受け止めた市議のうち何人かが市民派の考える方向に
シフトしたかといえば、感情的なものもあるかもしれないが
そういう人は見られない
つまり住民投票の結果ではなく、現有勢力の多数派の意見の方が
相変わらず通りやすい状況のままということ
住民投票の結果が出た時点で、住民投票までに至った原因、
また15人を連ねた議員たちの敗北は
何らかの形で総括されるべきだったが
議員を辞職する人はいない、考えを市民側にシフトする人もいない
まして、議会において住民投票の総括をすべきという意見にも
耳を傾けていない
これは庁舎の見直しがどのようになるか
と言う問題だけでなく、もしかしたら更に大きな問題なのかもしれない
住民投票に敗北しても、議会は相変わらず市民に否定された意見の市議が
今後の成り行きを決める権利を持っている
こうなると、問題は深い
しかし、これを市民全体に理解してもらえるようになるのは
とてもむずかしい
結局、大きなうねりとなるまでは、少数の気がついた方々に
頑張ってもらうしか方法はないのかもしれない
住民投票を求めた時と同じように!