パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

住民投票を求めた側の責任

2015年08月22日 21時41分40秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

5月31日 おそらく愛知県では初めて行われた新城市の住民投票
それには多額の費用がかかっている
その為に、無駄なお金を使ったと批判する人もいるが
それまでしても問うてみたかった市民の気持ちは
使われた金額の多少で判断されるべきではないと思う

この住民投票が、無駄であったか生かされたか
それはこれから示される計画案の提案によって
明らかにされるが、一つだけ今の時点で住民投票を行って
有意義だったことがある

それは市民のあいだに市政や議会に関しての関心が
広く行き渡ったこと
いままで面倒だからお任せしていた事柄に
何か少し変だぞ!
と感じるようになり、批判するだけでなく
その解決法まで考えるようになったこと

ところで、住民投票を求めた側には
実施されただけでお役御免とはならない責任がある
その行く末、結果を見届けなければならない

その一つとして、市長から要請された
「住民投票結果を受けての庁舎見直しの実務協議」に
メンバーの参加があった
この実務協議は市民側の要求で公開と言う形で行われた
さてその内容は、、、

物事には立場立場の捉え方がある
一方的にどちらかが正しいとは言えない難しさがある
実務協議の市民(求める会)側の姿勢は実直でひたむきだったと思う
(それは自分が求める側の人間であったからではなく、客観的に眺めても)
例えば、市側の多すぎる職員数について、あの場所で批判をすることはなく
その職員が収まる案を素人の知恵で具現化したものを提出した

また庁舎への進入路についても、市側においても問題となるはずなのだが
一応の解決策はやはり求める会側から提案された
(それならいったい市は何をしたのか?)

実務協議が終わった日、市長が総括をして
どうやら求める会側の案は公開のもとで実務協議を行った
という事実のアリバイ作りのためだけに行われたニュアンスが
感じられるコメントを残した

求める会側は、選択肢2を選んでもらった人たちに対する責任がある
それは残念ながらシステム上結果責任とはならない
だから、実務協議でどんなことが話されたか
どんなことが問題となったか
それを多くの人たちに伝える責任がある
(たとえそれが偏った見方であったとしても)

そこで、求める会側の最後の役割として
実務協議の報告会が開かれている
本日で2会場消化したが今後の
スケジュールと会場は

8/23(日)川路公民館
8/24(月)富岡ふるさと会館
8/26(水)鳳来開発センター
8/27(木)作手総合支所
8/28(金)川田原公民館
(時間はいずれも午後7時30分~9時)

住民投票に出かけた人、自分たちの意見がどのように反映されるか
されないか!
こうしたことをナマに感じられる機会
時間に余裕のある方は是非参加を!

参加は自由(市側の人も求める会側の人も)

 

 

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行間に感じられる知性(人間性)

2015年08月22日 15時29分51秒 | あれこれ考えること

図書館から借りてきて読みかけの本が「テヘランでロリータを読む」
アーザル ナフィーシー作

これが暑いこの時期に読むには少ししんどい
今は読書モードになっていないせいもあるが
文体に慣れるまでに時間がかかりそうだ

オルハン・パムク の「雪」を読んだ時のことを思い出した
細密画のような人びとの描写 
異常な状況下でありながら、ありふれた日常のような時間の連続
読んでいるときは作者(オルハン・パムク)の全体像(知性や悩みの深さ)
みたいなものを感じたが、この「テヘランでロリータを読む」にも
作者の恐ろしいまでの知性を感じる

話は変わるが音楽評論家の吉田秀和氏の文章が好きだ
常套句での表現は少なく、自分の感じたままを言葉にしている
しかしそれが感覚的なものかといえば、言葉の背後に
やはり圧倒的な知性や知識を感じさせる

つまり書かれたもの、表現されたものは、その表現されたもののなかで
判断されるのではなく、それ以外の何かを感じてしまう
それを個性というのかもしれないが

これは音楽にも通じる
バッハの真面目さは作曲技法によるものではなく
それを支配する意志を個性として感じるし
ベートーヴェンの感情の深さ、それと理性的な部分への
飽くなき追求心も個性として感じるし
ちょっとばかり苦手なチャイコフスキーでも
その好きでない部分は個性の表れのような気がする

そこで思い切り話は飛んで
独断につながるが(いつものことだが)
この国のあの人(条件反射のように野次を飛ばすあの人)
あの人にこうした個性は感じられるか?

まさに(口癖を真似してみると)個性は感じられる
負けず嫌い、人の話を聞こうとしない、都合の悪いは無視する
それど、この人から発せられる言葉で
言葉の意味する内容を除いたところで
何か深いものを感じるか?と言えば
残念ながら自分は何も感じない

そう、好きじゃない
この感情から自分の判断がスタートしているのは事実
でも、この人がこの国を代表している人物でいいのかは
本当に疑問だ 
(今日は感情に任せて心情を吐露してみた) 

 

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安易に野次を飛ばす、恥ずかしい人

2015年08月22日 10時22分45秒 | あれこれ考えること

今日は短く!

昨日の国会での蓮舫さんの質問の時に
安部首相が野次を飛ばした 

また!
そうまただ
この人、思慮もなく条件反射的に安易に
品格なく野次を飛ばす

この人が自分の国の首相だと思うと恥ずかしくなる

首相だからどっぷりと構えて動じずに対応すれば良いのに
といったことではなく、いつもの振る舞いから感じられる
品格の無さは(独断だが)世界を相手にするには辛いものに見える

ラジオで聞くと、安倍さんの答えは繰り返しが多く、
また質問の答えになっていないことが ダラダラと長いことが際立つ
そこには議員としての知恵はあるかもしれないが
人としてのインテリジェンスがない

と、こんな風に人格批判をしてしまったが 
自分の中に不満がたまっているのは事実

最終的な判断を間違えないためには
全人格的な素養が必要
はたしてこの人にそれがあるか?

不安!
 

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