またアメリカで銃による事件が発生した
しかもテレビの生中継をしている時に
レポーターとカメラマンが撃たれて死亡
インタビューを受けていた人も重症
銃による事件はもしかしたらアメリカでは
余りにも多すぎてもはやニュースにすらならないのかもしれない
この手のニュースを見聞きする度に多分日本人は
なぜアメリカは銃の規制をしないのか
なぜスーパーで銃を買える様になっているのか
と思うに違いない
そしてこの状態は異常と考える
それに対してアメリカライフル協会は
銃を持つのは開拓時代からの文化とか
自分のことは自分で守る文化とか主張して
政治家に多額の献金を行い、
銃規制の法律は一向に進まない
ここに多数決による民主主義のイマイチお任せできない点がある
これだけ事件が起きて、問題もあって、とっくに文化とか言ってる
場合でもないと思われるのに、政治献金のありがたさを感じている政治家の
数によって決められること
それは本当にまともな民主主義か
民主主義は数の多い少ないをもって決定する政治システムというなら
実はその判断を下す権利のある人物(政治家)の資質を問わなければならない
人にはいろんな考え方がある、といった相対性の問題ではなく
一個人として真理とはなにか、正しいこととはなにかを
突き詰めて考えぬくことをするのが政治家の最低限の条件ではないか
どう考えても、これだけ銃の犯罪について反省のない国が
自分のことは自分で守るの理屈で、過度に危機感を煽り
武器を持つことが抑止力になると言い続け
その理屈は全世界にもどの民族にも通用するはずと
ゴリ押しに進めるのは、実はおかしなことではないのか
物理学等は、何々のためには何々
その先の何々のためには何々と
理屈を逆上ったり展開していくのは当然のことだが
政治上の問題はこの論法を重ねると結果的に
とんでもない結論に陥ることがある
先ずは直感的に内容が納得できるかどうかを判断の基準にすべき
そしてその直感が間違いないようにするための
個々の判断力のレベルを上げることが肝要
えらく抽象的な、場違いなことをあれこれ考えるのには理由がある
ひとつはやはり安保関連法案に関する政治家の判断力の問題
アメリカの姿勢の問題
そして、数を頼りに在任期間中は民意を反映しない(と思われる)
新城市議会の一部の議員さんのこと
安易な民主主義の言葉で一括りされ
結局は数の世界とされれしまうのは、どうにも納得出来ない
年令を重ねいろいろわかってきたことがある
重ねなければわからないこともある
その身につけた経験は、
今の安保関連法案はとても危険だし、
新城市の市議会は(少し恥ずかしいが)
とても信頼できる状態でないことを示唆している
ホント、これじゃまずい
ということで、今まで遅まきながら市民活動をしてきたし
明日も具体的か活動をするつもり
できれば明日の天気
雨が降りませんように!