パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

つまみ食い報道

2015年08月17日 20時05分06秒 | あれこれ考えること

今まで知らなかったが、
数年前テレビでワイドショーやニュースで
常識のないひどい人と批判された騒音おばさん
実はこの人のほうが被害者の可能性があったとの
情報がネットで紹介された

隣に引っ越してきた人が 照明灯を設けて
身体の障害のある子どもを寝かしている部屋に
煌々と明かりが入るようにしたり
乗り降りがしにくい場所にわざわざ駐車したりして
邪魔しているとしか思えないような行為をしたとか

それにどの局も繰り返し流されたあの意地悪なおばさんの映像は
実は彼女にいじわるをしていたとも思われる隣の人物が映したものだとか

結局裁判所でも隣の人の行動は看過されるものではない
とまでになっている

となると今まで自分たちが知っていたことは一体何だったのか?
すっかり悪いのはあのおばさんと言ったイメージが出来上がった
その数年後に実は、、、、などと紹介されても戸惑うばかりだ

ここに報道のあり方の問題が問われている
あの情報のウラをとったのか
あそこまでの行動を行う理由は何だったのか
そうした自らの問いかけはあったのだろうか
全局が安心してみんな同じだからと
流しっぱなしにした責任はないのか

ここで思い出したのが湾岸戦争時の油まみれの水鳥の映像
フセイン大統領が製油所から油を垂れ流して
かわいそうに水鳥はベトベトとまとわりついた油で
困り果て、鳥にも環境にも悪い、手段を選ばないフセイン大統領の
行いを非難する趣旨のものだった

この映像がインパクトが有ったためにまだ覚えている人もいるだろうが
この映像は実はフセイン大統領の行動とはなんら関係のない場所で
撮影されて勝手に錯覚するように使われていたことを知っている人は
どのくらいいるだろう

この画像も無批判に全局流されている
そして多分訂正は忘れたころに(訂正したという実績をつくっただけ)
行われただけ

インターネットは嘘やデマの情報があふれていて
信用出来ないとされるが、大手のメディアでも実は同じということ
有識者に話させているが、それも横並びのトーンが多い

庶民はリテラシーを持つべきと言われる前に
メディア自身も「つまみ食い報道」の姿勢を変えないと
結局は自分で自分の首を絞めることにならないか

と、田舎の小市民が愚痴ったところで世の中は
変わるとは思わないが、それでも、最近何かと腹が立つことが多いのに
メディアはまともに報道していないように思えてならないので
一言発してみた

ところで9.11の同時多発テロ
あの飛行機の突入で倒壊したビル
倒壊したビルの数を正確に記憶している人はどのくらいいるだろう
2つのビルにそれぞれ飛行機が突入して
上層階に火災が起きた
そしてそれが元で倒壊したということになっている 

しかし倒壊したビルは突入された2棟のビルだけではなく
その近くの(もっと近いビルは平気だったが)第7ビルも
どういうわけか倒壊している

この事実を報道しているところは少ないし
何故関係ないビルが倒壊したのかを誠実に答えようとする
姿勢もあまりない

それを大げさに何か企みがあるとか
そういうことを言おうとするのではない
ただ報道というものが、ある種の方向性を持っていて
必ずしも公平・公正ではないということを
つくづく感じてしまったということ

安倍さんの報道も
新城市の市庁舎の報道も
安易に信用して良いものか、、、 




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もっくる新城について (建設費が増えた理由は何だったのか?)

2015年08月17日 18時05分06秒 | Weblog

道の駅、もっくる新城
フジテレビ(東海テレビ)の報道2001で
足湯のことが最初予定になかったと浅尾議員の話として
紹介されていたが、この足湯
実は民間会社が事前に市場調査をした結果
足湯はもう流行のピークを過ぎており
源泉ならまだしも何処かからお湯を持ってくるとなると
維持費だけで馬鹿にならないから
あまり現実的な施設ではないとの結論が一部伝えられていたようだ
でも何故かその報告は聞き入れられなかった

もう一つ、多分多くの人の知らない事実として
もっくる新城の設計は一度出されたものを棄却して
もう一度やり直している
もちろん設計を行った事業者には設計料は支払われている
(ザハさんに払われているのと被る)
その理由というのが、市は商業施設等を扱うのは慣れていないので
やはり慣れたところ、商業的な感覚のあるところ、建設にも差し障りの無いところに
お願いした方がいいとか、、、多少間違いはあるかもしれないが
だいたいこんな話だった

なんだかな
見積金額の大幅の違いと言い
こうした安易は発注の仕方と言い
問題は結構ありそうな雰囲気
こう言っては何だが緊張感のない仕事ぶり

それは職員ということではなく
最終的には予算の執行を認めた議会にも責任はありそう
(行政の長にも)

知らないところで色々決まっていく
自分たちの代表と思っていた市議が
必ずしも市民の意見を反映しているわけではなかった事実

こんなまま、お任せ民主主義で良いのか?
というのが普通の人の感覚
ホント、このままでいいのかな?

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「もっくる新城」が報道2001に採り上げられてしまった

2015年08月17日 17時05分06秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

先日(8月16日)フジテレビ(東海テレビ)でもっくる新城が少しだけ取り上げられた

国立競技場の建設計画、工事費のいい加減さ、責任体制、経過などを

取り上げる番組で、その中に似たような事案が地方にもあるという例の一つとして

残念ながら「もっくる新城」が取り上げられてしまった

 

確かに事業費の大幅な増額は、似ている

当初3億2500万円の建設費の予定が、積算漏れや物価の高騰など

その他の理由で2億3500万円の補正予算を議会に提出

そして可決

この大幅過ぎる計画のミスも結局責任体制ははっきりしないまま

今日に至っている

 

過ぎてしまったことをあれこれ言ったり、過去を詮索するのは

好ましいものではないかもしれないが、

次に活かす反省材料とするには有益なこととなる

 

ところで番組では様々な意見が飛び交ったが

今日の自分の気持ちに一番フィットしたのが

行政はわかりやすい説明をしなければならないという点

舛添都知事は分かりにくい言葉を使わないように

使うなら誰にも分かるように説明すべきと口にした

 

これを新城市に置き換えると

現在新城市は庁舎建設に関して

「プロポーザル契約」をしているという

またこれが国の「モデル事業」となっているとも説明される

(プロポーザル契約をしていると市民のどれくらいが理解しているか)

 

この「プロポーザル契約」がよくわからない

なんとなく分かった気でいるこの「プロポーザル契約」

これがあるために山下設計と鹿島建設ありきの計画になっているみたいだが

はたしてこの契約が市としてベストなのか?

そうであるなら、何故なのかを、市は再度わかりやすく説明して欲しい

プロポーザル契約の概念を説明するのではなく、

具体的に市にとってこうだから得なのだと

 

結局、いろんなところで説明不足というのは今までもあった

だからこそ、庁舎建設も住民投票をされるまでになってしまった

(市民間に合意形成が充分になされてきたらよかったのに)

 

この反省は今に生かされているかといえば、どうなのだろう

庁舎建設の見直しに関する実務協議はなされた、

しかし合意点を見つけることはできなかった

ならば少し協議を伸ばすかといえばそうではなくて

予定通り終了、あとの判断は市側がします

ということでお開きになってあとは結果待ちみたいなことになっている

 

果たしてあの実務協議が合意形成のために行われたのか

 

どうやら世の中は少しづつ変わりつつあるようだ

政治や行政の活動に関心のなかった人たちが

自分たちの問題と捉えて自らいろいろ調べ

自分の出来る範囲で行動、発信を続ける

この一つ現れが新城市では5月の住民投票でもあったが

国に目を転じれば安保関連法案に関しても大学生どころか高校生

そしてママの会も活動を始めつつある

 

今はそういう時代

この時代の変化を市議は自分のセンサー働かして

活動しないと、市民に取り残されてしまいますよ!

 

 

 

 

 

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