チーズにすると少しばかり癖があって個性的なのが山羊
その山羊のことを歌った詩がある
ウンベルト・サバから(須賀敦子訳)
山羊
ぼくは山羊に話しかけた。
草地にたった一匹、つながれていた。
草を食べあきて、雨にぬれ、
めえめえと啼いていた。
あの啼き声は、ぼくの悲しみにそっくりだった。
だから、ぼくは答えてやった。まず冗談半分に、
また、哀しみは永遠だし、
ひとつめの
声、おなじ声しかないのだから。
その声が、淋しい山羊の
なかで、啼いていた。
ユダヤの顔をした、山羊のなかに
この世のすべての痛みが、すべての
人生の、争いが、聞こえた。
正直なところよくわからないが、なんとなく好きな詩だ
特に難しい言葉を使っているわけでもなくて、、、
そんなことを思っていたら立原道造の山羊のことを
書いた詩を思い出して調べてみた
午後に(優しき歌Ⅱから)
さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べている
あの緑の食物は 私らのそれにまして
どんなにか 美しい食事だろう!
私の飢えは しかし あれに
たどりつくことは出来ない
私の心は もつとさびしく ふるへている
私のおかした あやまちと いつはりのために
おだやかな獣の瞳に うつった
空の色を 見るがいい
〈私には 何が ある?
〈私には 何が ある?
ああ さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べている
全然似ていない?
それとも似ている?
似てるのは山羊を扱っているということだけ?
でもなんとなく詩の心というか、根っこのところが似てるなあ
と感じてしまう
立原道造の方はまだ歳を重ねていない分だけ
視野が自分のことだけとか青春ぽい印象があり
サバの方は人生の重みを感じるが立原道造も
もっと長生きしていたら同じような詩を書いたかもしれない
と勝手な想像をしてしまう
最近気持ちに余裕がなくなってきている
たまにこうした純度の高い作品に触れると心が洗われる