7月23日の朝刊の一面をある人が比較した
新聞の顔とも言える一面がこんなに違う
いつもは横並びが多い事が多いのに
(はたしてどちらが大事なニュースなのか?)
ところで、一面がこんなふうに違うことが昨年もあった
8月30日の国会前のデモを報じるニュースだ
まずは地元の中日新聞 ↑
次は、朝日新聞 ↑
毎日新聞 ↑
すべて大きめに扱っている
しかし、読売新聞は
なんの記述もない
新聞は公平・公正なんてことはないことがそれとなく分かる
新聞がこうだから実はテレビ局だって同じことがあると想像される
テレビ局の親会社〈?〉は新聞社だし
「戦争と新聞」 という本を読むと、新聞にとって「戦争報道」は
売上を伸ばす絶好の機会だったという
(不買運動、紙の供給ストップ、暴力的な妨害があって
記事が自由にかけなかったとしても、新聞が一企業の面があったことにかわりなく
結局は影響力のあるメディアは正直に書き続けられなかった)
話は飛んで、大相撲の稀勢の里に対する報道は
少し違和感を感じる
3敗になって横綱昇進の目がなくなって、優勝も自力では
なんともならなくなった時点でも、NHKのアナウンサーは
まだ日馬富士が負けて優勝すれば可能性が、、、
と希望的観測を述べている
北の富士は案外冷静に突っぱねた感じで
あまり真剣に相手にしなかったが
このいつまでも現実をみようとしない(見たくない)姿勢は
もしかしたら戦時中でもあったのではないか
と思ったりする
いや、戦時中でなくても戦前もそうだったのかもしれない
(人は贔屓の野球チームが負けた翌日の新聞は見たくなく
勝った時は何度も読み返す)
さて、この報道の仕方について気になるのは
自分には投票権がない東京都知事選のこと
最後は都民の良識に期待するだけなのだが
これまでの経過をみて、果たしてメディアは倫理観なり
使命感を持ってものごとを伝えたか
と思うと、外野から見ても少し疑問を感じる
この都知事選、実は少しばかり予想したことがあった
それが本当かどうかはわからないとしても
きっと何かをやってくるだろうと
すると、やっぱり行った(文春とか新潮のある方向性の週刊誌で)
やった方とすれば、騒いでしまえば勝ち
目的は果たした!ということになる
現在は情報はいくらでも手にすることができる
しかし、それが本当かガセなのかわからない
そしてわからないまま、その場その場で判断していかなくては
ならない
時々、解説してくれる人物も登場するが、この人物の背景は
ニュートラルなことは多分ありえない
東京の人、ホント、どのような判断をするのだろう
またまた話は飛んで、ハンナ・アーレントが残した「全体主義の起源」
膨大な資料からどのように全体主義になっていったか記述されているが
今のこの国も、そんなふうになりつつあるのではないか、、
そんな不安を打ち消すことができないでいる