パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

訂正は伝わらない

2022年01月14日 09時32分04秒 | あれこれ考えること

ツイッター上では問題になっているが、ツイッターに接しない人たちには
大した問題ではなさそうなのがNHKBS1の番組「河瀬直美が見た五輪」の
「お金をもらって五輪反対デモに参加した」という字幕のいい加減さだ

NHKは慎重に慎重を期す企業のはずだが、五輪反対のデモをしている人に
インタビューをして(申し訳ないがその人は胡散臭そうな雰囲気)
「デモはお金で動員されている」と字幕で答えているシーンがあったのだが
なんとその人物は実は反対のデモに参加などしていなかった
そこでNHKは謝罪と訂正に追われた

まるでオリンピック反対のデモをしている人はみんなお金で動員されているような
印象を与えかねないような報道は、公平で中立だったのか以前に
報道は事実だったのかが問題となり、単なる謝罪で済まされることではなさそうだ

NHKの番組制作に参加したことのある人たちは、何重にもチェックする制作の
経験から今回のようなことはありえないと口にする
NHKは字幕を確認せずに入れたことを謝罪しているが
はたしてそれで解決するのだろうか

先日も取り上げたが、そこには「デモをするのは騒がしい人たち」
という印象づけの意図はなかったのか?といらぬ心配をしてしまう

ところで今日のテーマはNHKの問題ではなく、一旦広がってしまった情報はいくら訂正しても
最初の報道のインパクトが大きいために、人々の頭の中をアップデートできないということ

思い出すのは湾岸戦争の時の油まみれの水鳥のニュースだ
水鳥はフセインが製油所の油を放出したためにひどい目にあっていると報道されたが
油まみれの水鳥の映像は、全く違う場所の、しかも時期も違う映像を何故か引用されていた
これは後にその事実が明らかにされ、この件は片付いた様に思われたが
人々の記憶に有るのは「フセインが行った暴挙」の印象だ

報道とか一般的な知識は、最初のインパクトが大きいためにそれが違っていても
なかなか人々のなかに修正されにくい
特にインパクトを与えるために、大げさっだったり極端な表現が使われたりすると
その表現のパワー故に人々の心に強く蓄積される
そしてその情報は一旦終了というかたちで処理され、その知識は過去のものとなる

一旦固定化された知識とか考え方を変えるのは難しい
まずは既に終了している事柄に再度クセスして情報のアップデートをするのは
人には面倒すぎる
そして訂正(アップデート情報)は最初の刺激的な報道と違ってひっそりと
行われるので人々に気づかれにくい

結局のところ、最初のインパクトを変えることは難しく
ある意図をもってそのような報道をした場合は
「やったもん勝ち」で終わってしまいそうだ

問題は人の心のこのような傾向を熟知している人が意図的に
「やったもん勝ち」の戦術をとったらどうなるかという点だ

爆弾三勇士のエピソードも最初に報じられた勇ましい行動と
よくよく調べた結果の彼らの行動とは、随分意味合いが違う
結局、爆弾三勇士のエピソードは都合よく利用されたとも言える

ということで、無料で入ってくる情報、それらはよくよく気をつけないと
そして自発的に情報のアップデートをしないと
無意識にコントロールされることになりそう、、
と思うのは考え過ぎか





コメント
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