明治維新の研究(津田左右吉)
これを津田史観というのか!
なるほど高い志の若者の行動が、日本を文明国の仲間入りをさせたとする
薩長史観からすると怒り満載の書なんだろう
明治維新は戦国時代に逆戻りして幕府を倒す行動に過ぎなかったとしている
(世界の実情を知っていたのは幕府で、かれらは現実的な手を打とうとしただけなのに)
数年前読んだ同じ作者の「古事記および日本書紀の研究」も
ある方面からは非難轟々で一時発禁処分にされたらしい
今ならそんな捉え方もあるのだ、、
と受け入れられるひともいるだろうが、明らかに司馬遼太郎の世界観とは違う
(司馬遼太郎は相性が悪くていつも途中でやめてしまう)
だがこの本は「実際はそうなんだろうな!」
と思わせる部分がいくらでもある
明治維新は、あるべき国家感をもった人物がしゃにむになって活動したのではなく
打算とか欲望とか自説を曲げられない(どこにもいそうな)人の集まりが
決して予定調和ではない世界をとりあえず作り上げた、、と感じさせる
西郷さんも吉田松陰もここでは立派な人間の評価ではない
薩長ばかりでなく幕府側も勝海舟も徳川慶喜も欠点の多い人物として扱われている
残念ながら歴史は「歴史の終わり」(フランシス・フクヤマ)で一旦集結したような
あるべき予定調和の世界には落ち着かない
むしろ、「運」とか「偶然」に左右される部分が多く、なぜそんな理不尽なことが
続くのかと思われることがどの国でも続く
「ありそうなこと、、」
この本で一番感じたのはそのことだった
それは現在進行中の永田町の出来事と、そんなに違いないのかも知れない
(そこでもあるべき姿が優先されると言うよりは、違う面が大きな力をもつ
それがいつか良きものとなるとしても、短期的には権力闘争としか見えない)
と言っても、人間の不完全なところを過度に取り上げて落ち込んでいてもしょうがない
これらの視点から歴史を知ることは、そこで起きた失敗とかミスを繰り返さないための
参考になるかも知れない
それにしても、いつも気になるのはちょっと運の悪い人たち
皇女和宮は家茂の妻として、徳川の人間として余生を過ごしたし
松平容保は孝明天皇から信頼を受けていたが彼の会津藩はあんなことになった
勝ったものだけが英雄視されることは良くなく、敗者の視点からの記録も必要としていたのは
ハンナ・アーレントだったが、本当にその通りだと思う
その意味では、これらの本は存在意義がある