昨年読み終えて、とても刺激を受け「自分の手元にとっておくだけでは勿体ない!」
と教育の関係者に貸したのが「あなた自身の社会」スウェーデンの中学教科書だ
アマゾンはおせっかいで、この本と似たような本を薦めてくる
その誘惑に贖いきれず手にしたのが
今度は小学校の教科書だ
子どもにこんなことまで教えるのか?とか、考えさせるのか?
と驚きを覚えたが、前回の情報が頭に残っているので前回ほどのインパクトはない
この教科書は比較的多く「政治について」ページを費やしている
スウェーデンの選挙の投票率は日本と比べてずっと高いが
アンケートによれば、政治に対する若者の関心は両国とも似たようなものとの報告がある
大きく違うのは「自分たちで政治は変えられるか」の意識で
スウェーデンでは変えられる、日本では変えられない!が多数派を占めていることだ
選挙前に模擬投票でお茶を濁すような、まるで一夜漬けのようなものと違って
スウェーデンでは権利と義務、参加して意見を反映させる意識付けから
行動に至る工程までを細かく教えて、そこには「考える」という過程が
重要とされ、他者の立場に立って想像することを訓練される
前回の教科書でも感じたこと、それは子どもについての考え方の違いだ
スウェーデンは「子どもは小さな大人」という捉え方
そして教育によって、ちゃんとした大人を作り上げようとする意志を強く感じる
一方日本は「子どもは未熟な存在」として、自立を促すよりは
守るべき存在として捉えられている
子ども時代の、何かに守られているという幸せな時間
自分勝手ながらも同情や共感が共存する期間
星の王子様では「むかし子どもだった大人」は忘れてはいけない心の持ち方を
呼び起こす
子ども時代をどう考えるか?
が結局のところ大きな違いを生んでいるように思えるが
これらを読んだ後では、日本の教育は少し表面的すぎるように思えてしまう
少し面白いエピソードがある
それは文字をきれいに誤字の無いように書く訓練するのは
(子どもは大人にしょっちゅう言われそうなことだが)
書かれた文章によって自分の主張を相手に正確に伝えるためだ
と訓練の意義を説明していることだ
物事に参加するための手段としての正確な文章ときれいな文字
勉強しなさい(訓練しなさい)!ではなくて
こういうことのためにこうした方が良い!
と理屈で教えるのは「小さな大人」に対する向かい方だと思う
この本は一日で最後のページまで行き着いたが
評価はまずまずの「良」かな