日本でこんなことが起きるとは思わなかった
という点は同感だが、その他の民主主義の根幹をなす選挙の云々とか
言論を暴力で封殺する暴挙みたいな表現には多少違和感がある
昨日安倍晋三氏が銃撃され、午後5時3分死去された
テレビメディアは特番でずっとその経過を追いかける
これは、少しばかり仕方ないかもしれない
だが、そこに見られる定番的な表現なり解説
彼の功績紹介には少し違和感をもった
容疑者の殺人に至るまでの理由がわからない
当初心配したのは、安倍氏と政治信条を異にする人物の
妙な正義感に囚われた暴走だが
どうやらそのところはなさそうだ(?)
メディアが当たり前のように使う民主主義への挑戦とか
民主主義の根幹をなす選挙云々は、、言葉は勇ましいが
実態とあっているかはどうなのだろう
民主主義の根幹をなす選挙
これって本当だろうか?
そもそもデモクラシーを民主主義と翻訳したのは間違いとする説がある
主義は共産主義とか資本主義とかで使われる用語で、信念とか志向を示すもので
デモクラシーは民衆の支配的な意味合いがあるらしい
容易に想像されるように民衆の支配は衆愚政治になりやすく
一時期デモクラシーの意味合いはこの否定的な意味で使われたとか
とりあえず様々な歴史を踏まえて日本の民主主義はここまできている
ところがこの制度自体は、制度疲労をしているのではないか
みんなの声を活かす理想と選挙制度には大きな乖離はないだろうか
これは実感なので、万人受けする理屈ではないが
民主主義の根幹となす選挙というのは、ちょいと違うと思う
選挙は言葉の上では言葉上の戦いのように扱われているが
現実はそれ以外の要素が影響力を持つ
その人がどのような考えを持つかよりは、
どこに所属しているかが判断基準となる
そしてその人物は有名か無名かでスタート時点で大きな差が生じる
有名無名が政治的な分野ならまだしも、全く関係のない分野の活動でも
知っている人を選んでしまう
今回のことで心配なのは「弔い選挙」の傾向が見られないかという点
昔、大平さんが亡くなったとき、自民党は弔い選挙で勝ちを収めた
大衆は何が良くて何が悪いというよりは、その時の空気に流されやすい
一人ひとりはまともなのに、いざ集団となるとわけのわからない選択とか
行動を起こすというのはありそうなことで、今回の選挙で国民が
それはそれ!と区別して考えることができるかとても不安
言論を暴力で封鎖する暴挙と勇ましい表現が紙上を賑わしているが
言論を封鎖しているのは、既に別の場面でもなかったか
北海道では安倍氏が街頭演説のときプラカードを掲げただけで北海道警察から
しつこく付きまとわれ、また声を上げた人は拘束され人が、それに対し
裁判を起こし地裁では北海道警察の負け判決が出た(警察は控訴したが)
これなどは、今回のようにわかりやすいパターンとは違うが一種の言論封殺に近い
死者に鞭打つのはみっともないとされるが
安倍さんの評価はこの悲惨な死とは無関係に客観的にされるべきだと思う
(テレビは美化しているように思えてならない〉
だが短い時間の間ではそれはなされそうにない
ならば、100年後でも良いから、キチンとなされて欲しい
人の世の中は創造的破壊でしか持続可能な世界が存在しない
大衆は、正しい、あるいは少なくとも間違えない選択をしうるのだろうか
そのところが不安で仕方ない
かといって、どのような方法が良いのかわからないので余計に不安になってしまう