パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

誰を信じるか?(自分で決めているか?)

2022年07月08日 10時10分14秒 | あれこれ考えること

世界は民主主義国家とそうでない国があって
最近は国家のためには個人の少しばかりの不都合なところも仕方ないとか
みんなが時間をかけて決めるのは効率が悪いといって
専制主義的(緩い独裁主義的?)な国家が増えてきているらしい

日本はそのどちらかを考えると
大概の人は民主主義国家と答えると思われるが
現状は、少なくとも感じられる空気はそうではないように思われる
(日本の場合は独裁主義というより権威主義的な気がする〉

個人と国とどっちが大事か?
といったことを頭が痛くなるほど、考えた結果選択したのではなくて
なんとなく(ここが日本らしいと思うが)空気にのって
選んでいるだけのような気がしてならない

話は突然変わって、昔からスポ根的なドラマに違和感があったことがある
それは主人公の成長過程においては、自発的に成長しているのではなくて
彼(彼女)の周りには必ずと言っていいほど完璧な先生(指導者)がいることだ
ドラマは絶対的な指導者の指示に従って訓練したり、心理的な成長をする
ところが、現実世界を想像すると、そんなパーフェクトな指導者などは存在しない
彼もまた社会人でいろんな価値観と社会的関係のなかで生きていて
生活のためには判断に別の要素も入る可能性が十分ある

つまりは神様を信じるように信じられるというよりは
技術的な面でアドバイスを受けるといったくらいのほうが
自分にとっては理解しやすい

ここで話をもとに戻して、人はだれの話を聞くかを考えると
この指導者のような完璧の存在を日本人は無条件に信じてはいないだろうか
そしてその人の言うことを鵜呑みにする
このような経過が多いのではないか?

人はあるべき理想は首尾一貫することがふさわしいだろう
しかし、人はそういう存在ではない
むしろ首尾一貫しないことが常態ではないだろうか
だが、あまりにもちゃらんぽらんは困るので
肝心な時の人の行動をみて、総合的にその人を判断するしかない

ということで、投票日を間近に控えて、誰を信用したら良いかと考えるとき、
言ってることとやってることの違いが生じるのは
人であるゆえに半ば必然的な面もあるような気がする
だからこそ、選ぶ個人が独自の審美眼とか正義感とかに従って
選べばいいと思うのだが、どうもよくわからないのが組織票というもの

何故自分の意志の反映をしないのだろう
無条件でそれに従うメンタリティは、、、
頼まれたら断れない性格?

どうもここがよくわからない
もっとも、〇〇さんは変人だから、、、
との声があるのも事実だが

なんか最近ストレスが溜まって、まとまらない話!

コメント
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