今の世の中、ついつい一言文句が出てしまう
昔、耳にした「弱きを助け、強きを挫く」は
今は全くというほど見ることがないのではないか
むしろ「弱いものをいじめ、強いものに阿る」ほうが多い気さえする
ツイッターである人がドイツ人と日本人の違いがわかりやすく述べられていた
「ドイツでは電車がダイヤ通りに来なかろうが、宅急便や郵便物がまともに届かなかろうが、
まぁ仕方ないねという感じで暴れる人を見たことはありません。
けれど政策などに対するデモは日常的に見かけます。」
これは国によっての違いなどと呑気に構えていられない問題ではない(と思う)
弱いものをいじめるのは、そうすることによって自己満足をするためのような
フロムがいいそうな心理的な傾向があるからではないか
自らが強い立場にいると思い込もうとすることで安心感が得られる
弱いものは弱くなった責任が自己にある
とカルヴィンがこれまた言いそうな理屈が
プロテスタントが多くない日本でまかり通っているようだ
(これを現役の政治家が口にして良いのかはよく考えて欲しい)
日本は明治維新以後、西欧に追いつけ追い越せと努力してきて
アジアの中では西欧的な価値観を持つ国として進歩してきた
と認識する人が多いようだが
どうも日本人の個人の責任とか自由についての考え方は
表面的で浅いのではないか、、、と実感するような人は
昔から少なからずいたようだ
(近代の超克の対談者の中とか、岡義武とか)
自分も人と対話していてどうも根本的に違うなと感じることがある
それは、自分の判断基準を育んできたのは
若い頃読んだヘッセとかドストエフスキーとか、そういった小説類だが
そこで知らず識らずに身につけた一種の価値判断は
そういったものと無縁の人とは明らかに違うと思えてならない
でも「弱きを助け、強きを挫く」
というのは案外世界共通の感覚かもしれない
「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きていく資格がない」
レイモンド・チャンドラーの小説の中の有名なセリフだが
これなんかは、同じような意味合いだと思うが、、さて
それにしても、週刊誌の広告も弱い者いじめのオンパレードだ
何とかならないものかな