大河ドラマに限らず、連続ドラマは見続けるのが面倒なので見ないことが多いが
今回の「どうする家康」は地元にも関係しているので頑張って見ている
でも鳥居強右衛門と長篠・設楽原の戦いも終わったので
もう義理は果たした感じで、日曜の夜はテレビと離れた普段の
のんびりモードになるかもしれない
大河ドラマ48回の半分を超えたところで、配役からしても一つのクライマックス
と思われる「築山御前と信康」のエピソードが放送された
悲劇的な内容だけに、どのように必然性のあるストーリーにもっていくかに関心があったが
「築山御前と信康には責任を負ってもらう、、ただし、偽装して二人とも助ける」
これ悩む家康の下したドラマの上の結論だった
結果的には二人ともその作戦には乗らず死を迎えたのだが
家康の偽装の判断を受けた家臣たちは、ホッとしたかもしれないが違和感を覚えたことがあった
それは築山御前の身代わりが用意されてたことで、ドラマでは築山御前が身代わりを逃し
関係のない女性は命を失うことはなかった
何の罪もない人が誰かのかわりに死を迎えなくてはならない、、というのは
自発的に言い出したならともかく、連れてこられてその運命に準ずるとするなら
どうしても受け入れられない気分だ
これは一歩間違うと、国家という公共の利益のために多少の犠牲は仕方ない
との発想に結びついてしまいうそうだ
この身代わりについては数年前の「おんな城主直虎」のときもあった
その時は、今川氏から井伊家の小さな息子(後の直政)の処刑が命じられ
高橋一生演ずる井伊家の家老、小野政次が命令を聞いたふりをして
別の小さな子どもの亡骸を用意して井伊家は難を逃れたのだった
しかし、関係のない子供が一人亡くなっている、、という事実はとても辛い
このとき小野政次の覚悟のセリフがあったと記憶している
それは地獄に行くような事があっても、それを受け入れる
というもので、これが実は忠臣であった小野政次の処刑
という後の運命を暗示したものと想像したのだった
確かに非人間的な行為をしたと自覚した人間は
それなりの運命を受け入れなくてはならない、、
その覚悟があっただけでも、少しは救われるような気もする
それと比べて、今回の身代わりについては結果的に逃したので
心に嫌な気持ちは残らなかったが、それでも簡単に身代わりを想像する傾向は
その場しのぎで人の命を軽んじるようで違和感をおぼえるのだった
007でも今回の「どうする家康」でも戦いのシーンで
多くの人が亡くなっていくのを見るのはしんどい
同様にウクライナの戦いのニュースをみるのは辛い
勝つための戦術的な考えがニュースに取り上げられ、その力に頼った思考に
一般人が違和感を覚えなくなっていくというのは、どこか恐ろしい
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