この時期、新聞に大学入試の問題が掲載されると
トライしてみようかと思うことがある
だが老眼の目には文字が小さくてとても読めないし
わずかに挑戦した問題がとっくに忘れていることばかりで
少し見るだけで戦意喪失という状態になる
自分の(おそらく人の)一番頭の良かった時代は
頭の良いという定義を単に広範な知識とすると
大学入試の頃ではないのだろうか
入試問題を見て、あの頃はこれらが答えられるほどの
記憶とか知恵があったのだ!と驚きさえ感じてしまう
昔、面白いと感じていつか再読しようと思っていた本に、現在挑戦しつつある
その本が
左側の「不思議な数eの物語」は東京に向かう新幹線の中で読んでいた本で
興奮を覚えて時が経つのを忘れていた記憶がある
だから科学系の面白い本として「自然界における左と右」
「ゾウの時間、ネズミの時間」と同レベルの評価(推薦本)をしていた
同様に、読んでいてコンピュータの計算もこれを利用しているかもしれない
と実感したのが「図解解説 線形代数」で、これもまたどこか知的興奮を覚えた
そんな記憶があるものだから何年ぶり(何十年ぶり)再読にトライしてみた
ところが、途中から悲しい現実に直面した
書かれていることが、すんなり理解できない
大枠の流れはわかるが、具体的な方法論とか計算式の段階になると
紙に書かずに頭の中だけで理解しようとするとお手上げだ
読んで分かったような気になれても、頭に定着しないので
素通りしていくかのような気さえする
せめて昔、興奮したのが何だったのか、、を知りたいと思ったが
こうした世界から長時間離れていたせいか、
その世界のモードとか波長に合わせることができない
途中で投げ出すにも悔しいので、今は投げ出さずにいるが、、、
紙に残されたもので、理解しようとしても理解できない世界のもう一つは
音楽のスコアだ
音が無くても頭の中の音で楽しむことができるのが楽譜
モーツァルトの36番の交響曲「リンツ」もブルックナーの交響曲第2番も
大好きな曲で昔ポケットスコアを手に入れた
曲は知っているので、スコアの音は想像できる
しかし、主旋律でないところの音とか、管楽器同士の和音になると
それらは頭には音が浮かんで来ない
これも悔しい現実だが、スコアを見て気づくことは
作曲家は思った以上にいろんな工夫をしているようだ、、と感じることだ
モーツアルトの音楽は楽譜を見てもイキイキしているのが感じられるし
それは音だけ聴くよりはもっと違う秘密があるような気なったりする
ブルックナーは音楽素材を丁寧に展開、利用している気もする
科学の本も音楽の本も、残念ながらその道の人ほど理解はできない
でも少しだけは何かを感じることはできる
理解できないが感じることはできる、、、
歳を重ねて年々感受性が鈍くなっているが
それでもまだいろいろ感じることができる(勘違いとしても)のは
良しとするか(悔しいが仕方ない)
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