パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

社長になった男

2008年05月17日 17時40分18秒 | Weblog
昨日、会社にファクスが届いていて
その内容に、普段あまり驚く様なことがなくなった自分も
久々にびっくりしてしまった

もっともその話は新聞にも出ていたらしいが
あいにく見過ごしてしまっていたので
初めて知ったのだが、、、

その内容とは、この地方のまあまあ有名な誰でも知っている
会社の人事異動の話
なんとその会社の社長に
昔、一緒に仕事の後ダイエット目指して
ジョギングして、そのあと美味しいビールを飲んだ彼が
就任するというニュース

確かに数年前から役員になって
いわゆる出世コースにいるらしいことは聞いていたが
それでも、単純に驚きだった

彼の役員時代は、人づてに聞いた話では
何年間で常務、専務と上手くステップアップしていかないと
ダメらしく、それなりに毎年毎年が勝負で
ストレスがあったらしい

もう何年も前のことなので彼の性格などは
正確には覚えていないが
確かに思いつきで何かする!というより
熟考タイプで育ちのよい感じが漂っていた
(そういえば慶応大学卒だった)
その時の彼の上司は
「もう少し気が利けばなあ、、、」
と酒の席で言っていたが
のんびりしたところのある彼が自分は好きだった

そういえば奥さんがエロクトーンの奏者で
ボーナスでえらく高いものを買わされた
等とぼやいていたのも懐かしい話だ

それにしても、島耕作が社長になったり
美味しんぼの親子が和解したり
世の中は確かに動いている

彼に限らず自分の周辺には
やっぱり地元では知られた雑誌社の社長に
なった男がいる
彼は昔から
「大きなビルが建てたい」
と言っていたらしく
現実に社屋として立派なビルを建てるまでになった

こんな風に、いわゆる出世した人を目の当たりにすると
正直なところ少しばかり
自分は何をしてるんだ!と
考えないでもないが
それでも先ほど、高校に入ったばかりの
元少年サッカーの教え子が
丁寧に挨拶を交わしてくれて
高校に入ってもサッカー部に入った
等と報告をしてくれたり
また今日の午前中も小学1.2年の子供たちの
まるで友達感覚の様な、
安心した気持ちでのサッカーの練習ができたことなどを思うと
自分もスケールは大きくないけれど
自分なりに何かはできているのかな!
と無理矢理(?)にも思うことにしている

それにしても、ある男が社長になったということは
その同期の仲間が社長になれなかった!
ということで、そこにはある意味シビアな
ポジション争いの競争があったこだろうと思うと
運も味方したかもしれないが
やっぱり大したものだと思わざるをえない

これからの時代に社長になるということは
右肩上がりの時代になるのとは訳が違う
ただ単に少し知っている!というだけのことだが
彼には頑張ってもらいたいものだ


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塩辛い、最近の外食の味つけ

2008年05月15日 21時34分26秒 | Weblog
昼ご飯は外食をすることがほとんどで
それはそれで楽しみになっているけれど
食べ物はどうも保守的のようで
なかなか新しい店とかメニューにはいかず
結局同じものをローテーションで食べることが多い

それにしても、最近感じるのは
味付けが塩辛過ぎないか!ということ
昨日、一昨日のラーメンも店は違うのだが
なんだか必要以上に塩っぽかった
こんなに塩をきかせなくても!
と思うのだがラーメンに限らず
そういえば弁当類も結構塩がきいている
だからフライ類も醤油もソースもかけなくても充分食べられる

だが、びっくりするのは自分が塩っぽいと思う料理に
更に塩や醤油をかける人がいること
好みは人それぞれというものの、なんだかなあ、、、
本当に味覚がおかしくなっていないか?
等と心配してしまう
もっとも自分の味覚がまとも!
と根拠もなく思っているから言えることなのだが

薄味は嫌いではないが何でも薄ければいいというものでもない
マヨネーズ カロリーハーフ並みの商品は
自分は全くいただけない
健康にいいかもしれないけれど
自分にとっては美味しくない
コクもなければうまみもない

マヨネーズってこんな味だったかなあ?
と思いつつ普通のマヨネーズを買ってきてもらったら
「そうそう、この味!これでなくては!」
と結論する有様

実際、食べ物は健康も大事だけれど
美味しくなければあまり意味ない様な気もするのだが、、、

もっとも自分が美味しいと感じるものが、
全ての人に美味しいと感じられるわけではないので
それほど自信を持って言えるわけではないのだが、、、


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どう?

2008年05月14日 20時48分08秒 | Weblog
久しぶりに会う人が必ずと言っていい程発する言葉
「どう?」
もちろん景気のことだが、聞かれた方が聞き返さなくても
聞いた人の状況は想像できる

「みんな一緒!よくないよ。」
本当に返す言葉はこれしかない!

政府や日銀が発表するものよりも
実際に販売や営業をしている人の感じる実体経済は
だいぶ悪化している

特に地方では中小零細企業が多く
徐々に寡占化されていく資本主義の行く末を
身を以て感じている

つくづく、政治が悪い!と思わざるをえない
特効薬的な政策はないかもしれない
だが政治家の感じる感覚が
庶民のそれと大きく離れているのは間違いない

資金が足りないからと言って
容易に増税の発想をする事自体
その前にやることがあるだろう!
という庶民の気持ちを全然汲んでいない

それにしても今一番しんどいのは
明るい未来を想像できないこと
いろんなことを知ったり経験した人々は
バラ色の未来に対して懐疑的になっている

これが単に歳とって、
それなりの経験をした人だけだったらいいのだが
無鉄砲さだけが取り柄の若者にも
蔓延した気分のようだ

これは突き抜けるのか
それとも、
全く別の方面からクリアしていくのか
いずれにしても予想されるのは容易ならざる状況だけ

そんな時、個人個人が正常に精神状態を保つのは
なかなか難しいかもしれない

いや、どっこい庶民は案外しぶといかな?
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いつか、もう一度行きたいヨーロッパ旅行

2008年05月12日 20時31分28秒 | Weblog
知り合いがヨーロッパ(フランス)にGWの後出かけ
昨日帰国したので、早速話を聞きにいった

彼はアメリカには数回行っていて
そして娘さんもヨーロッパに行っているが
いつか行きたいと言っていたのを
今回、行けるうちに行ってしまえ!と
夫婦で出かけたのだった

自分がフランスに行ったのは、もう32年前のこと
ソ連経由でアエロフロートで
パリの上空にきた時
窓から見えたパリの市街が
石ばっかりでできていて、
訳もなく凄いなあと感じたのを今でも覚えている

ただし自分が行きたかったのはドイツで
フランスは下準備と言うか勉強していかなかったので
見所などは全然知識がなく
それでもルーブルや凱旋門、シャンゼリゼぐらいは見て回り
人並みにメトロにも乗ったりして
一通りの経験はしたつもりなので
その時感じたことと、今回彼が感じたことと違いがあるのか
そんなことが気になって
話を聞いたのだった

だが年齢のせいか、関心の分野が昔の自分とは違っていたり
時代が変わってしまったせいもあって
今日は聞くだけに回ったが
なかなか興味深い事実を知らされた

サルコジさんは人気がないとか
フランス人は週35時間以上働いてはいけないとか
失業率が凄く高いが失業保険が2年間だとか
パリ市内は新たに建設はできない(?)とか
法律的に簡単に改装できないために
エアコンの普及率は全然低くて、暑くてたまらなくて
それで夕涼みに橋の上に来て気温が下がるまでそこにいたりするとか
名物のオープンカフェも実はエアコンがないので
一番涼しい場所は屋外になるので
それでこういった形が流行ることになったとか
フランスで見た黒人の方が、
アメリカの黒人の方よりもずっとインテリっぽく見えたとか
ユーロはべらぼうに高かったとか
つまり行ってみないと実感できない事柄を興味深く聞くことができた

外国旅行はもう何年も行っていない
いつか行くこともあるだろうと
パスポートはとったものの
日韓ワールドカップのチケットを郵便局にもらいにいく時
自分の確認のための道具として使っただけだった

外国は一旦行ってしまえば
意外に近いと感じたり
何回も行けるや!と思ったりするのだが
機会を失っていると萩原朔太郎ではないが
本当に遠いところになってしまう

だが実際のところ行けるうちに行かないと
体力的にも行けなくなってしまうかな?

少しばかり彼に刺激を受けた一日だった

それにしても、若者が海外旅行に行くことが
少なくなったと言う
お金がないせいもあるらしいが
そんなことより、
行きたい!という気持ちの方が強くて
どうしようもなく
借金しても行くのが若者のように思えるのだが
今は違うのだろうか、、、
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流さなくてもよいニュース

2008年05月11日 19時50分23秒 | Weblog
本当にテレビ番組は、各局似通ったものが多い
今はクイズ番組がそうだが
違っていいはずのニュースまで
しかも切り口までそっくりだ

だが、いつもよせばいいのに!
と思うことがある
それは殺人事件や事故の被害者の葬儀風景とか
親族のインタビューをすること
当事者は悲しいに決まっているし
客観的に話す気分になれないでいるだろうし
視聴者だって特に見聞きしたいわけでもあるまい
仮にそうであったとしてもテレビ局はあえて
そのニュースを放映しないのが
常識的なあるべき姿のように思えるのだが

テレビ局の人が
庶民はこんなニュース、絵を欲しがっている
と仮定して流すのだろうが
その局の人の判断の品のなさはどうだろう

こんなことをしていると
(こんなことをしているから?)
テレビは見捨てられてしまうのでは?

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大衆化に寄与したが、インパクトはなかった(?)カラヤン

2008年05月10日 17時12分36秒 | Weblog
「カラヤン帝国興亡史」
 中川右介著 幻冬舎新書刊

音楽の中身には僅かにしか触れていなくて
大半がカラヤンのポジションへの意欲、野望で終始する
変った音楽の本

自分が中学生の頃にはカラヤンは既に
ヨーロッパ音楽会の帝王となっていて
一般的な評価も、また発売されるレコードも
他の指揮者のそれを大きく上まっていた

だから始めの頃手にしたのはカラヤンのものだったが
今回この本を読んで、改めてカラヤンの何がよかったのかと
レコードを聞き直そうと思ったが意外や意外
彼のものはそんなに多くなかった

ブルックナーの第9番
ブラームスの第4番
マーラーの第9番
の大曲の他は
シベリウスのフィンランディアとその他の小管弦楽曲
パッヘルベルのカノンなどのイージーリスニング曲
ワーグナーの管弦楽曲
そしてオペラ部門では
サロメ、アイーダ、フィガロの結婚、ラインの黄金などで
こうして見ると熱心な聞き手ではなかったことが再確認される

だからといってライバルのベームが多いわけではなく
むしろブラームスの1番のレコードなどは
気に入らなくて(世間の評価は高かったが)友達にあげてしまった

自分の関心を占めた指揮者はフルトヴェングラーで
そのせいでフルトヴェングラーの対抗馬としての
ワルター、クレンペラーなども聞くようになった

さてレコードで久しぶりに
ワーグナーのタンホイザー序曲を聞いてみたが
予想よりは(聞いて知っているはずで変だが)よかった
なによりもベルリンフィルが大した合奏能力を発揮して
逞しい音色だった
つまり悪い内容ではなかった
しかし、何故だろう?
こんなにカラヤンからは離れていったのは

フルトヴェングラーの音楽は
時に我を忘れる熱狂や恍惚、魂の沈潜があるが、
結局カラヤンの音楽には全身を音楽に浸ることができない
なにかを感じたのかもしれない

いつもいつも全身全霊の音楽がいいとは限らないが
それでも若いうちの
フルトヴェングラーやカール・リヒターの音楽経験は
生半可なものではなかったし
本当に良い経験だった

いわゆるクラシック音楽をレコード、CDなどのメディアを通して
大衆に広めることにカラヤンは、おおいに寄与したが
音楽自体の評価は、さて実際どうだったのだろう
いったい彼の代表盤は何だろう?

案外「バラの騎士」?
どうもフルトヴェングラーの第9みたいにはすぐに浮ばない
どうやらカラヤンは多くの人に
そこそこの印象は与えることができても
強烈な印象を与えることはできなかった人のタイプのようだ
(それが悪いというわけではないが)

それにしても、せっかくだからカラヤン
もう少し真面目に聞いてみようかな?




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欲望むき出しの時代

2008年05月09日 22時03分46秒 | Weblog
「どの時代もそうだった」
と、言ってしまえばそれまでだが
現代は「欲望がむき出し」が、
おおっぴらに世間に広がっているように思えてならない

原油価格の高騰は、実際の需要から導きだされたものというより
サブプライムローンの影響で株式投資からあぶれたお金が
行き場として、原油の先物に向かった投機的な要素が高い
それは市場に任せて自然の成り行きに任せれば
調和的な平衡点に落ち着くと言った類いのものではなく
まるでギャンブルのようなマネーゲームの姿の様に見える

この原油高騰のニュースを聞く度に
人の欲望の凄まじさに畏怖を覚えずにはいられない

確かに昔も欲望はあっただろう
しかし、今の様にむき出しの形ではなかったのではないか
もう少しそれこそ自然のブレーキが踏まれていた様な気がする
(根拠はなくて感傷的に思っているだけかもしれないが)

いったいこの欲望にブレーキをかけるのはなんなんだろう?

今一番不安なのは、
人のことを思いやるとか
人の痛みを感じるといった想像力が
著しく欠如しているように思えること
(特に社会的に経済的にトップの人々の)

「人は、強くなければ生きられないが
 やさしくなければ生きる価値がない」
この様なセリフが白々しく非現実的に響く様な時代の雰囲気は、
どう考えても人間は進歩しているとは思えない
(単に変化しているだけだ)


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印象はオーケストラによって随分違う

2008年05月08日 22時17分36秒 | Weblog
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン会場の国際フォーラム
その地下部分で、当日の入場券を持っている人に
無料で楽しめるコンサートが催される

自分が聞いたのは3日の14時くらい
「未完成」が流れていた
ところが「何だこれは吹奏楽版に編曲したもの?」
と思うくらい金管の音が大きくて
しかもバランスが悪くて正直ちと辛かった

翌日、同じ場所でやはり「未完成」をやっているのを
偶然耳にしたが、今度は音がきれいにブレンドされて
刺激的でなくいい演奏だった

オーケストラは
前者がJR東北(?)管弦楽団
後者がギュンター交響楽団(?)とか

それにしてもオーケストラで随分音楽が変ってしまう
という事実をはっきりと実感できた

また本公演のフランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団
クワメ・ライアン(指揮)の音は
フレージング(というのかな)ニュアンスのつけ方が
明らかに日本のものとは違っているように思えた

日本の音、リズムとは
妙に漫画みたいにハッキリした輪郭のトーンで
小泉元首相の英語みたいな五.七.五のリズムが
自分の中のイメージだ

一方フランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団のほうは
横に流れる(つながっている)感じだった

同じ曲でも演奏者、オーケストラによって印象が違うのは
当たり前とはいえ不思議なことだ

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最近見かけるもの

2008年05月07日 21時45分53秒 | Weblog
コンビニの経営者を探す看板
シャッターが閉まった商店街
黒いTシャツを着たラーメン店
暗い照明の居酒屋

こうしたものは町を歩いたり、車で通ったり
またフリーペーパーを見れば容易に目につく
そういえばフリーペーパーも巷に百花繚乱の様だ

なんだかなあ
みんな疲れてしまったいるように感じるのは
気のせいだろうか?

今はコンピュータも顔負けの
コピーの商売の時代だ
コンビニが流行ると言えば皆で一気にコンビニに参入し
100円ショップがいいとなれば我も我もと馳せ参じる
ひところの焼肉屋も豚カツ屋も豚骨ラーメン屋もそうだ
そして今、フリーペーパーも独自色を出そうとするものの
結果的には似た様な雑誌が反乱している
そういえばテレビのクイズ番組も毎日の様にオンエアされて
番組のパターンもそっくりで
そのせいで番組で曜日を確認することができなくなっている

話は変わって中小零細の生き残る方法としては
独自の技術、ノウハウ、サービスが必要とされるが
現実的にはそれらは皆がみんなできることではないし
世の中はそんなものばっかりを要求しているわけではないように思える

つまり消耗品の様なもの
誰にでもできるものを安く、安定的に提供してくれることを
望んでいるのだろうし
現実的に普通の人間ができることと言ったらそのくらいのことだろう
だからこそここで流行もののコピー商売が発生する

しかし残念なのは流行のサイクルが短すぎること
焼き肉、トンカツ、ラーメン、回転寿司、そしてコンビニ、ドラッグストア
これらは当事者がなんと言うか知れないが
FCとしてやっているものは儲かる期間が短いと予想がつく
皆がすぐ真似してオーバーストアになってしまうからだ

普通の人が普通の努力で
持続可能な生活をすること
そして多少の憧れを持って成功者の生き様を学ぶが
一部の人を除いて楽に走って多い似る成功にはいたらない
本当はこんな状態が一番良さそうな気がするが
こんなのんびりした考えは落伍者のそれなのだろうか






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どうすればいいのだろう?

2008年05月06日 19時48分11秒 | Weblog
ある国では、過去は前にあり
未来は後ろにあるとされている
何故ならば、過去は見ることができるからで
反対に未来は見ることができないから後ろにある
としているのだそうだ

若者たちの前には洋々とした未来が、、、
と、よく使われる言葉が
今はどことなくリアリティーがなく感じられるのは
自分だけではあるまい
村上龍が「この国には希望だけがない」(だったかな?)
と公言したのは、今を生きている現役の作家の
実感に基づくものだろう

確かに希望を持とうとしても
お気楽に夢をもつことは現実離れしているようで
今の若者、少年には現実感のない話は想像しがたいだろう
だからと言って、予想される未来はどう考えても楽しそうではない

自分の未来は自分が開く!
そんな風に教育されたり育てられていればいいのだが
残念ながら多くのサラリーマンの子供たちは
耐えることはできても(限度はあるが)
自ら能動的に動くことはできない

そんなストレスが、いろんなところに蔓延しているようだ
つまり閉塞感というやつ
この時代の雰囲気を一番シビアに感じてしまうのが
弱い立場の者たちで、
彼らはどこかでガス抜きをしなければ
自分がつぶれてしまうので
ガス抜きが奇妙な形で表現されるのが犯罪
となって現れているように思えて仕方ない

今は大きな夢は、なかなか実現し難い
スポーツ選手ですら長年の訓練が許される
家庭での資金が要求されるし
学者になるにもその前段階での選抜と言う試験には
やはり金銭が物を言う(予備校、家庭教師など)社会になっている
つまり固定した階層社会になりつつある

こんな中で若者たちに夢を持て!と
言い切ってしまうのは実際のところ難しい

大人の責任!
人生の折り返し点をとっくに過ぎた自分は
いったい何ができるのだろう
ホント、難しい!
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