パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

何があったんだろう(超常現象?)

2016年07月08日 08時15分22秒 | 徒然なるままに

世の中には不思議な事がある
昨日の中日新聞の東三河版に興味深い記事が出ていた

夜になって、あの記事不思議だよね
と同居人に問いかけると、何のこと?と言った風情
どうやら見過ごしていたようだ

自分が関心ある記事と、同居人の関心ある記事は全然違う
ま、人それぞれだから仕方ないけど

ところで、これって一体何だったんだろう
自分としては霊みたいな話より、UFOぽい話のほうが好みだが、、

一人だけでなく、数人が同じ体験をしてる
世の中にはまだまだわからないことが多い

※急に高橋克彦のSF伝奇小説「龍の棺」を思い出した、、あれは面白かったな

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ご苦労さまです

2016年07月07日 07時46分21秒 | 徒然なるままに

月曜日と木曜日はゴミの収集日
ゴミ出しの係の自分はだいたい7時半ころに出かける

この時間は小学生の登校時間で
ゴミの収集場所付近が集合場所になっている
そこでいつも見かける女性がいる

その人はもう少し遠いところからやってくる
暑い日も寒い日も雨の日も
子どもたちと楽しそうに話しながら 
連れ添って小学校に向かう

どうやら自分の子供のためだけではなさそうな雰囲気
今日も見かけた
「毎日、ご苦労さまです」
「ありがとうございます」 

子どもたちはあまりにも当たり前になっているので
ありがたいなんて感じないだろうな 
でも、こういうことを平然とできる人は本当に尊敬すべき人だと思う

そういえばずっと前、若干歳とった男性も見かけたことがあった
「ご苦労さまです。近所の方ですか」
「いや、校長ですが、、、」

みんな、ご苦労さまです
(自分も何かしなければ!) 

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実感と数字

2016年07月06日 10時21分42秒 | あれこれ考えること

本来は実感として感じたことの裏付けとして存在するのが数字
実感を補佐するのがその役割のはずだが、最近実感と数字が
合っていないと思うことが少なくない

景気はいいのか、悪いのか
臭いはするのか、しないのか

数字は自説を通すためにだけ使われて
実感を反映するような使い方をされていないようだ 
新城市でも国でも数字は独り歩きしている、、、みたい 

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格差は争いを生む

2016年07月05日 20時22分40秒 | あれこれ考えること

最近でこそ、偉そうに政治的な発言やコメントを残しているが
正直なところ自分はあの学生運動が吹き荒れていた時代さえも
ノンポリだった

だから、今まで真剣に政治的な問題に取り組んできた人とは
前提となる知識量や情報量が違う(きっと真剣さも違う)
その知識の中に、今問題となっている「憲法」がある 

いい歳をして、なんとなく触れずにいた憲法
この憲法についてある視点からの映画が7月3日
新城まちなみ情報館で上映された
タイトルは「不思議なクニの憲法」

その内容の一つ一つを取り上げる気はない
ただ見終わって「不思議なクニの」とタイトルにした気持ちが分かった
確かに、不思議なクニ だ この国は

映画の最後に日本国憲法が、肝心な部分が文字と音声で紹介された
この様に真面目に見ることがなかったが、改めて読んでいくと(眺めていくと)
いろいろ突っ込みどころが(理解の仕方の違いが)ありそうな気がした
主語やら、用語の定義やら、、、
それに確かに日本語としてギクシャクしている、確かに翻訳文の様な印象

解釈と言う言葉が出てくる必然性も、なんとなくわかった気がしたが
ところが、申し訳ないがこの映画の中で一番記憶に残ったのは憲法のことではなく
ほんの僅かにエピソードとして挿入された事柄
「格差をなくすことが、一番の防衛力になる」ということ

武力の均衡・バランスが危うい抑制力を形作っているが
争いの大きな原因に「格差」「不公平」が存在する
この格差をなくすためにお金を使ったほうが、大きな視点からは
争いを防げるのではないか  と言う訴え

多少理想主義的な感じはするが、こういう考え方のほうが自分は
好きだな
ピケティがあの様に格差を取り上げるのは、格差を放置すると
結局は争いを産んでしまう
だからこそ、格差をなくすようにしなければならないと訴えている

以前も取り上げたことがあるが、興味深い例を再度紹介すると
あるパーティーで出席者は次じゃんけんをした 
じゃんけんに勝った方はそこで提供される食べ物・飲み物を胃袋に入れることができるが
負けた方は、我慢しなければならない
これは短時間なら、負けた方も「運が悪かった」で済ますことができるのだが
たまたま、長い時間にわたってこれを行った時、負けた人の中に湧き上がった感情は
「勝った人への憎しみ」だった
「運が悪かった」といったのんびりしたものではなく、理不尽なコントロールしがたい
憎しみの感覚だったという

多分、人間なんて(吉田拓郎の歌ではないが)こんなもんだ
坂口安吾の堕落論にあるように、人間なんてそういう存在だ

だからこそ、人を高邁な存在として見るだけでなく
どうしようもない存在として認めて、そのいい加減な存在でも
やっていける世界を作ることが必要と考えてしまう

ノンポリだった夢想家のちょとした思い 
やっぱり格差はダメだ
(格差は単純な努力の差だけではない) 

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とりあえず、無料のうちに乗ってみようとは思うのだが、、、

2016年07月03日 08時14分57秒 | 徒然なるままに

文句ばかり言ってるから、それじゃいかん!
ということで新城〜名古屋の直行バス(新東名経由)を
無料のうちに乗ってみるか!
と思ったが、どうも気が進まない


自分の家からバスの停留所まで近くないのが大きい
(雨が降った時傘をさしながら停留所まで歩くのは面倒だ)
もう少しきめ細かく市内に停留所があればいいのだが

それから、例えば藤が丘に着いても栄まで300円の地下鉄代がかかる
これは仕方ないとしても、帰る時また藤が丘まで戻って
きっちり決められた少ない本数の帰りのバスに乗るのは
ちょっとストレスがある

自分がやりそうなことは、とりあえずバスに乗って名古屋に行く
地下鉄で中心地に行って時間をつぶす
帰りは本数やら停留所から自分の家までの距離ことを考えると
電車を選択したくなる
( JR野駅から自宅は近い)

すると名鉄と飯田線で帰りだけで1520円かかる
バスが1000円分ただになっても
必要な交通費は少し余分な地下鉄代300円を含めると1820円

日帰りのJRを使うと平日は1960円  土日祝は1640円
しかも本数は多いし、家から駅は近いし、、、

こうなると、得したかどうかはわからない

いかんいかん、どうしても文句を言いたい視点でしか
考えられなくなっている

それにしても、一体だれが便利と感じて乗り続けるのだろうか?
旧新城市内の人はまだいいとしても旧鳳来町の人々はバス停までのことを
考えると便利かな?

まあ、いろいろあるが一度は乗ってみるか
無料期間は7日までだった
急がねば! 



 

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独断と偏見のどうでもいいこと

2016年07月02日 08時28分08秒 | 徒然なるままに

午前中の今はいいが、暑いっ!
夏は始まったばかり、どうなることやら

涼しい今のうちにどうでもいいことをちょこっと
悪口で気分を害される方がいたら申し訳ないが

村上春樹さんは、自分と相性が良くない 
1Q84を読んだ時に、これは違う!と思ったことがある
それは青豆が予備校の数学の講師をしていて 、そこで青豆の
数学に対する感覚が記述されていたが、これがとても定番すぎる

確か理路整然としていて美に通じるものがあるとか、なんとか
だが予備校の講師のレベルの問題で「美」を感じるほどの
感覚を持ちうるのだろうか
πやeやi、それに0が含まれるオイラーの等式などは
とてもシンプルなかたちに落ち着いて、そこに
不思議さと美を感じる人がいてもなんとなく分かる
でも、選別のための数学の問題を解くことを教えても
美まで感じることができるか、少し疑問

なにか定番的な決まり文句の世界に陥っていないか
そういえば、あの文学賞の話題も少しばかりわかりやすすぎて
イマイチ

もっとも、定番の決まり文句は日本の推理小説にはもっと多い
探偵さんは理系の頭で、必然的にこうなるとか、特別の頭を
持っているキャラクターが設定される
それは少しばかり食傷気味になる

イギリスのモース警部(だったかな)などは思いつき
妄想のオンパレードで、逆にそのほうがリアリティがあったりする
と言っても最近はミステリー自体も登場人物が覚えられないので
全然読んでいないが 

ということで、土曜の朝、涼しいうちに得意のどうでもいいことを
扱ってみた

ところで新城市は今晩は夜店がある
新城の子供たちがうじゃうじゃ現れるように道路が大混雑する
いつも感心するのは、それを運営していく人たち
ホントご苦労様、そして何か大人も楽しそうなのは救われる 

そして明日は設楽原決戦場まつり
ここ数年天気が悪いので今年は晴れて欲しい
晴れると暑くて大変だが、雨よりはいいかな、、 

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予想した通りの(心配した通りの)ニュースだった

2016年07月01日 18時37分42秒 | あれこれ考えること

偶然見かけたのは夕方のCBCテレビのニュース
自分が午前中に投稿し、心配した通りの流れのニュースだった

新城市の新城・名古屋の新東名を使っての直行バスのニュースのことだ
放送局に悪気はない、というよりそれ以上にどんな意味があるのか
といったところだろう

バスには30人ほど乗車したと伝えられた
しかし、それが無料だとのアナウンスはなかった

高速直行バスについてインタビューがあった
学生さんが肯定的に答えていた  憶測でモノを言うのはいけないが
この学生さん「若者議会の委員」ではなかったか?
その他の一般市民のインタビューは「市の関係者」ではなかったか

放送局とすれば、明るい話題(?)だから 意識的に肯定的な
声を集めたがるのは分かる
でも、自分の周辺の大半の人たちはこの計画に疑問の声を上げている
その声を放送で流さなくて、ただ市からの報道依頼どおりに(?)流すだけ
それが本当のニュースなのだろうか

今は意地悪く文句をいうモードに入っているので、ついでに追加すると
先日の中日新聞の夕刊に掲載され、市長も自慢気に取り上げていた
若者議会の話が気になる
良い試みだという報道内容ではなくて、自分が気になったのは
記事の中にある学生さんのひとこと「両親に勧められてなんとなく、、、」という
若者議会の参加のきっかけだ

これはつい正直に出てしまった一言ではないのか
この両親とはどんな人か(なんとなく関係者、、との想像が働く)

先日、新城市の若者議会のメンバーが決まったと報告された
高校生12名、大学性4名、社会人4名
随分高校生が多い
以前この若者議会を仕切る部署に、
もっと社会人の参加を求める努力が必要ではないか
と伝えたことがあったが、それはあまり改善されていないようだ
そしてもっと心配なのは応募者が定員いっぱいの20名だったということ

若者議会のメンバーは一体どのように現実的に集められたか
そこで想像されることといえば「両親に勧められて、、、」の言葉
結局のところ、これが現実ではないか

これは女性議会も同じようなもの
まちづくり集会のメンバーも、、、
一応公募という形をとっていても現実は関係者からの依頼で
参加という形になっていないか 

彼らが悪いと言うのではない
だた、たまたま人と違う経験ができている(市長と直に話せるといった)
というだけで、自分が特別な人間だと思うような錯覚はしてほしくない 

実際のところ、いろんな運営については現実的なチェックとか方法を
考えないといけないのじゃないのかな 

再び話はメディアに戻って、もし他の局でも放送されていたとして
「今日は無料だったと」 放送されていただろうか
明日の中日新聞は正確な記事が載せられるだろうか? 

 


 

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ニュースにするなら、もっと後で!(営業日初日に!)

2016年07月01日 08時14分06秒 | あれこれ考えること

新城市から新東名高速道路を使って
名古屋の長久手を往復するバスが今日からスタートする
この運営は市がお金を出して行う
(とりあえず補助金で大半はカバーされるが)

この計画については、その経済的な実行可能性や
他の交通機関との競争関係から自分は否定的な考え方をしていた
たとえ、補助金で市のお金は今は出て行かないとしても
計画自体が無理という思いが先に立って
それに結局は自分たちの税金が無駄な使われかたをされるのではないか
と思うと心が傷んだ

だが行うことになっている
ならば、いつまでもグジグジ言わないで、どうすれば有効に損しない
方法でやっていけるか考えるべきだが、残念ながら人の心は
そんなに簡単に変わることができない

今でも、やっぱり違う!と思う
仮にこの事業がうまく言ったら、自分の思い込みが間違っていたことを
潔く認めるが

ところで、今日はこの路線があるべきかどうかではなく
このことを伝えるニュースのこと(あったとしたら)
ニュース(テレビとか新聞)が伝えられるとしたら
どんなふうに伝えられるだろうか?

バスは今日からスタートすると言っても
最初の10日間(だったかな)は無料ということになっている
その後、一回1000円払うことになっているが
ニュース的にはタイミングは初日で、
なおかつ人が多く乗っている絵(映像・写真)が欲しい
ことは理解できる
しかし、それを今日の時点でやってしまったら本当の姿を伝えることになるか

自分は初日をニュースにしたいのなら、有料の運行がスタートした日を
扱うべきでないかと思う
スタート前の数日間に無料のサービス期間を設けていた事は
その時取り上げて紹介し、現実に無料の場合と有料の場合の
比較をするほうが正確なニュースになるのではないか

もっとも、これは意地悪くひねくれた考え方
みたいなところがあるのは認める
単純に地域の明るい(?)ニュースとして扱われて
素直に受け入れるべきなのかもしれない

こんな風にひねくれてしまっているのは
メディアとか報道というものは必ずしも単純に信じてはいけない
という思いがあるからだ
これは最近いろんな経験から痛いほど感じる

伝える側が自分たちの職業的なプロ意識と倫理観をもって
ものごとを正確に伝えてくれていればいいのだが
単に「発表報道」や、大本営からのリリースの垂れ流しになっていないか
最近のメディアはこの傾向がやたら強そうで、
自分たちは心してニュースに向かわないとアカンという思いが強い

 




 

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