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【京都幕間旅情】祇園祭二〇二四-前祭り宵宵々山,コロナ彼方に天平の天然痘と日本の疾病史と千年の首都京都

2024-07-20 07:01:41 | 日記
■疾病祓いの伝統行事
 京都の中心部でほぼ一ヶ月間にわたり執り行われるのがこの祇園祭なのです。

 祇園祭、疾病はらいの祭事という位置づけです。故にCOVID-19新型コロナウィルス感染症の世界的流行禍の際にも、ちゅうししていいものなのかという言い分は多少まっとうなのですけれども、しかし疾病予防が神事から医事、というのが現代常識だ。

 天然痘が何度も流行した中世以前の日本、奈良時代の日本では右大臣左大臣が短期間で天然痘にやられ国家機能がマヒするなど、これ、かなり国家の維持という部分にまで踏み込んだ危機的状況が過去の日本には時折、いや頻度から常態化していた訳でして。

 天平時代の天然痘では、結局、大陸から九州に伝播した天然痘の情報収集を行うために中央から官僚を派遣したことで、これが逆に感染源となってしまい首都圏に大規模感染を引き起こし、いや、交通路に沿って感染拡大する事となってしまいました。

 交通路が感染源というのはCOVID-19も、空港検疫よりは国際航路閉鎖をもう少し先に英断していれば、数百万もの人々、実際には集計に入れていない数がもっとあるのでしょうが、その人命が失われることになった、これを今後どう考えるべきか。

 日本は海洋国家なのに地域ごとの閉鎖主義といいますか、戦国時代などが典型なのですが、開放的ではなく閉塞的な文化がある、方言などもそうですし、なにより統一国家による行き過ぎた干渉を嫌う風潮もながかったわけです、ただこれも考えてみると。

 文化的に閉塞主義を取っているのは過去の天然痘による多数の犠牲者と共に文化の価値考え変容して、人の往来による良くないものの伝播が、人との交流により得られるものよりも大きいと理解された種間のだろうなあ、と、これは直感で考えてしまう。

 鎖国、と、実際には鎖国というのは国交分離や中国明王朝の海禁政策のような厳しいものではなく、江戸時代末期に官僚方便として導き出された、鎖国という名の外交が成立していた、というのが理解として一般化しつつあるようですが、しかし開国では。

 コレラ蔓延が開国と同時に広まったものですから、やはり、国の行き来を自由にしますと良くない事が起こる、という事を再認識させてしまったのではないかな、と奈良時代に続いて江戸時代の出来事を改めて考えてしまう訳です。あとCOVID-19も、か。

 京都は、何しろここが首都であった期間は千年間にも及ぶのですから、首都である以上、閉塞主義をとることはできません、すると疾病予防には何をすればよいか、という事となりまして、結局祈るほかない、という発想で始まったのがこの祭事、という。

 COVID-19を想い題しますと、イタリアでは全く治療法が確立する前の危険な状況で、バチカンが、街に出て直接祈りを届けろ、と結果艦船爆発を聖職者が加速することになってしまい本末転倒でしたが、この点日本は原点回帰をその前の段階まで戻して。

 祇園祭はじめ神事のみは非公開で行い、町衆の祭事として広まった山鉾巡行などは2020年のみ見送ることとし、若干寂しさは感じたものの一定以上の感染拡大による死者数を重ねないようにする、社会の維持にまあまあ成功したのだ、と思うのですね。

 社会の分断、結果的に犠牲者を抑えたことでCOVID-19による社会の分断は回避できたのかな、と思う、けれども社会を維持しても個人間の分断はあるのかもしれない、こう考えると昔、祭事を一緒に巡った友人の一部との疎遠を、寂しく思うことはあるのだ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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