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地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

下吉田駅で保存される富士急クロ2001

2018-11-24 00:07:00 | 保存・園内・特殊車両


 富士五湖界隈を訪れる外国人観光客が激増する中、先月ちょこっと三ツ峠山に登るために河口湖駅に降り立ったところ、今年の正月にはコミュニティバス・タイプの車両で運行されていた河口湖界隈周遊バスが、何と最新鋭のエルガに置き換えられており、しかも朝9時というちょうど観光客が宿をチェックアウトしたばかりの時間ということで、駅前の長蛇の列を飲み込んだ最新鋭エルガが超!満員の状態になっているのを見てビビりました。そんなに河口湖が良いのかオイ……。まぁ、例えばチャイナでは、私が初めて訪れた1990年の頃、レストラン等の壁紙やポスターとして河口湖畔で撮影した富士山と桜の図が非常にもてはやされており、その印象を確認しに来ているのだと思えば全く納得が行くのですが、加えて西洋人やタイ人・インドネシア人・インド人……の数ももの凄く、もう何が何だかです。
 都心から、そんな河口湖へのアプローチとして一番安くてお手頃なのは、京王・富士急を総元締めとした中央高速バスであることは言うまでもありませんが、最近は高速バスも班班客満であるためか、かなりの外国人観光客が中央線〜富士急ルートを利用しており、205系の車内広告も最早日本語の出る幕はなく、英語や漢語しか記されていないものがあるかと思えば、つい先日は、205系改め6000系のHMとして「微信支付」(ウィチャット・ペイの意)と大書されたものまで現れるというカヲスが広がりつつあります。



 とはいえ、そんな外国人観光客が、たとえJAPAN RAIL PASSの特権で大月まで「かいじ」に乗ってくるとしても、重いキャリーケースを引きずって乗り換えるのは面倒なことでもあります。そこでJREは、来年3月のダイヤ改正における中央東線特急のE353系化に合わせて「かいじ」も12連で運行し、東京方3連は大月で切り離して河口湖行きとして運転するとか何とか……。E259の6連でも席が埋まり、幕張E257で極悪5連化されたホリ快も凄まじく混み合う(河口湖の時点で立ち客あり、富士吉田発車時に自由席のデッキや通路が完全パンク)以上、毎日確実に3連が数本直通するのは大きな変化であると言えそうです。もっともそれすらも、あっという間に焼け石に水になりそうなほど、さらに河口湖界隈への外国人観光客は激増しそうな勢いですが……。
 しかしそうなると、従来の富士急線内特急の立場って一体……という気もしますが、これはこれで、サロを連結した大月行きE233と連絡させれば悪い選択ではない、ということになりましょうか。
 というわけで、誠に変貌著しい富士急界隈ではありますが、先代フジサン特急を長く務めたパノラマエクスプレスアルプス165系改め2000系が走っていた頃は、とりわけ平日の乗車率が寂寥そのものであったことを思い出すにつけ、隔世の感があります……。そして今や、忠霊塔に殺到する外国人観光客が多数行き交う下吉田駅の一角に、ピカピカな状態に塗り替えられたばかりのクロが安置され、変わりゆく富士急を日々眺めています。去る10月の時点ではとても美しかったですが、今後次第に塗装が劣化するでしょうから、撮るなら今のうちです。

梅小路京都西駅発表・梅小路公園の市電

2018-07-21 00:00:00 | 保存・園内・特殊車両


 京都市内は、明治初年からの統計以来はじめて、一週間連続で最高気温38度超えという最低最悪な○ソ暑さが続いておりますが、昨日はそんな京都に出張に来まして、新幹線の駅からして凄まじい蒸し風呂になっていることに衝撃を受けました。そして用務を終えた後。宿でNHK・20時45分の京都ローカルニュースを見ていたところ、かねてから京都鉄道博物館のすぐ北に建設されていた山陰線の新駅の名称が「梅小路京都西」に決まった旨を報道していました。えぇぇ〜っ??単純明快な「梅小路」駅ではないとはこれ如何に……。違和感でますますモヤモヤ感が強まって蒸し暑さが……(^^;)。まぁ他人事ですからどうでも良いと言ってしまえばそれまでですが (笑)。



 というわけで、そんな梅小路の界隈には、鉄道博物館のSLや昭和の名車だけでなく、明治時代の京都市電の保存車N27号が現存しております。去る5月に京都に出張した際、何を今さらですが初めて撮影してみました。
 古い車両を見事にレストアのうえバッテリ駆動化し動態保存していることには敬服せずにはいられず、実際に走っているシーンを激写して「ををを……」と唸ってしまいましたが、惜しむべきは余りにも走行距離が短いことでしょうか。250m程度で、運賃300円とはトホホ……。しかも意外とスピードは出ますので (まぁ、ゆっくりと走るチャリンコ程度ですが ^^;)、走り始めるとすぐに終点に着いてしまいます。発車するまでの間、車内の雰囲気をナマで楽しむのも含めての300円ということであれば、そんなものか、という気もしなくもありませんが……(ケチ ^^;)。願わくば、さらに東へ、水族館の前を通って大通りまで走ってくれれば良いと思いますが、公園内の道を併用軌道としなければならないとすると危険だ、ということなのかも知れません。

リニア・鉄道館初訪問 (1) 新幹線300X

2018-04-15 22:05:00 | 保存・園内・特殊車両


 約1ヶ月前に、かねてからの願望であったJRC「リニア・鉄道館」を初めて訪問して参りました。全く以て怠け癖で、画像の整理がおざなりになってしまいましたが、これはまずい……ということで、少しずつアップして参ります。
 周知の通りリニア・鉄道館は、あおなみ線の終点に広がる港湾地帯として用地確保が容易な金城ふ頭の地に、佐久間レールパークや美濃太田で保存・放置されていた車両と東海道新幹線・リニアの記念碑的車両を集約したものです。もっとも、リニア開発の初期の作品は鉄道総研で現存することから、JRCのコレクションは基本的にJRC発足後に自社開発した車両ということになりましょう。



 入場券を購入していよいよ展示コーナーに進みますと、最初に現れる空間に、C62・300X (955系)・MLX01-1といった車両が並び、それぞれ戦後間もなく・1990年代における粘着式鉄道・1990年代におけるリニアの技術的結晶としての意味を持たされています。そして奥にある巨大ディスプレイが歴代特急・新幹線車両の映像を流しており、その関係で空間全体が暗い……(@o@)。
 そこで、C62はどうしても手持ち撮りしづらいため撮影を省略し (^^;)、中央に鎮座する300Xの撮影に集中してみました (リニアも撮りましたが)。300Xといえば1996年に、443km/hという記録を樹立したものですが、先頭形状は700系やN700系と比べて単純な部類に入ると思いますので、滋賀県内の直線という線形を活かして、とにかくガムシャラに加速しまくった結果だったのでしょう。そしてこの際、空気抵抗を減らす必要性を痛感したことから、翌年製造された700系に活かされた……ということなのでしょうか (700系は当初N300系という開発名称だったようですが、顔が大分変わったため新形式に?……ドシロートでスミマセン ^^;)。
 何はともあれ、非常に暗い中でもEOS 5D MarkⅣの高感度撮影能力に大いに助けられつつ、「をを〜っ、300Xの本物!」と唸りまくったことは言うまでもありません。そしてこの後、より一層の感動が待ち受けていたのでした……。

相鉄の元祖ツヤピカ単色車両・ED11

2018-01-03 00:08:00 | 保存・園内・特殊車両


 去る12月に創立100周年を迎えた相鉄は、その目玉として登場した東急直通対応の新車・20000系を来る2月11日にデビューさせるほか、JR直通用車両として12000系を新造する旨をこの年末年始の『神奈川新聞』にて表明しています。20000系は典型的なAトレですが、12000系はどう考えてもE235系ベースのサスティナということで、両種それぞれ何編成が新造され、果たして何処まで直通するのか、何やらとんでもないカオスが待ち構えているようでワクワクします。勿論、その裏では7000系全廃という残念な話もありますが……。



 そんな相鉄、新車導入のいっぽうで9000系を皮切りに既存車両の改装がゆっくりと進んでいますが、当初はイマイチ色が濃く冷たい印象もあったYNB塗装は、慣れてくると強烈な存在感で、当たる都度「ををっ!」と思うようになりましたし、とりわけ車内の雰囲気は満足感が大きいです。私の親などは、YNBに当たる都度「やった♡」と自慢するほどです (笑)。というわけで、超ツヤピカな阪急マルーンを強く意識して相鉄ブランド構築につなげるというYNBの意図が実を結びつつあるのかも知れません。
 そこで、相鉄の元祖ツヤピカ車両として、かしわ台にて保存されているED11とトフ400をアップしておきます。いずれも米タン輸送に従事していた当時は、結構色褪せて汚れていたのですが (笑)。

近江鉄道EL特別イベント (3) ロコ1101

2017-12-27 20:33:00 | 保存・園内・特殊車両


 近江鉄道の保存電機の中でもロコ1101は、その形式名からして阪和電鉄の超貴重な生き残りであり、装甲車のような出で立ちのED31とは対照的ですっきり端正なスタイルが魅力です。しかし、どう見ても華奢で非力な雰囲気なのは否めず、近江鉄道でも基本的には彦根での入換や小運転が主な使い道であったのでしょう。



 そんな1両きりの罐でも、他の大所帯 (?) 組と比べて邪険にされず、丁寧に検査され続けて来たのは、実に機構が単純な古典電機だからこそであり、かつ彦根工場の職人技のあらわれでもあったのでしょう。とりわけ、ミュージアムが新装オープンした当時は、このロコ1101もピカピカに塗り直されて撮影会場の主役として君臨していたこともあり、まぶしい気持ちで眺め激写したのを思い出します。嗚呼……この1両が解体されると、阪和鉄道の車両が完全にこの世から消えることを考えるにつけ、実に寂しいものがあります。時は奇しくも、鉄コレ第25弾でモタ300+クタ7000にスポットライトが当たっただけに……。阪和線を有するJRWが京都鉄道博物館に保存したりしないものでしょうか?