地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

近江鉄道900系・登場HM姿で彦根の宴

2013-07-31 00:00:00 | 地方民鉄 (近畿)


 先日の近江鉄道訪問にあたって、最大のお目当てであった西武新101系改め900形は午前10時台で車庫に引っ込んでしまいましたが、禍転じて福と成すという言葉の通りに、彦根では夢のような光景が展開しました♪ 何と……正面レオマークが白一色となっているモハ226が出庫のために構内を動き、901Fと見事に並んだという……(*^^*)。



 しかもこの日はラッキーなことに、さほど間髪をおかずして701F「あかね号」との並びも見られました (^O^)v 220形にせよ「あかね号」にせよ、今後も901Fの営業運転中に並びを目にすることが出来ることは言うまでもないでしょうが、全列車の運用が事前に明らかにされるわけではない以上、遠来の者がこうして首尾良く一番撮りたい車両どうしの並びを立て続けに撮影出来るというのは奇跡としか言い様がありません☆ ドピーカンな午前中のことですので、ライティングは相当難しいものがありましたが、相当程度レタッチで補正して結構キレイな (?) 画面になるというのも、デジタル画像技術様々といった感じですね……。

第四ジャカルタ炎鉄録 (42) 都営緑帯KKW

2013-07-30 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 昨年のジャカルタ訪問記もそろそろ佳境に……都営三田線6000系です!
 都営6000系は周知の通り、三田線の南北線・東急目黒線直通に伴うホームドア対応もあって一気に大量廃車となり、そのうちの72両が日本とインドネシアの友好協力の一環として海を渡り (車両は無償供与、輸送費はODA持ちでしたっけ?)、ジャカルタにおける日本首都圏出身冷房電車の嚆矢として走り始めたわけですが、以来誠に早いもので約13年。一年365日炎天下・空中を舞うホコリやゴミ多数という過酷な環境のもとで冷房電車を安定的に走らせるための、日イ両国の技術者による血の滲むような共同作業が、今日のジャカルタにおける東京出身冷房車の一大繁栄につながっているという点で、その功績は余りにも大きいと言えましょう。しかも、数年から10年持てば上等と言われていたところ、何と何と、事故廃車・休車となった分を除けば、輸送量の変化や電化区間の延伸に対応するべく、編成替えに続く編成替えを通じてほぼフル活用されているという……。



 そんな都営6000系、登場時の三田線青帯継承姿からオレンジ帯を経て、昨年までの3~4年ほどは緑+黄帯姿が定着し、これに加えて6121Fの濃紺帯姿 (これが圧倒的にカッコ良かった……遠い目)、6217F 「Rakitan」や6227F「Lohan」の黄緑+黄帯姿、6151F「猫バス」の青帯+橙胴姿などバラエティを誇っていました。しかし最近は、入場した車両から青+黄帯のKAI所属車カラーに変更されており、早くもこの緑+黄帯&女性専用車ラッピング姿が「なつかし」の部類に入ってしまったという……。これと同じカラーリングだった東急8604Fも非常にカッコ良くお気に入りだったのですが、とくにイスラームのシンボルカラーが緑であることもあって今後永きにわたって標準色となると思われた緑+黄帯が余り長続きしなかったのは何故なのでしょうか……。やはり周囲のジャングルと同化しやすく、視認性が悪いからなのでしょうかね~。
 それはさておき、2枚目の6217F「Rakitan」画像は、正面窓に日除けとして新聞紙を貼っているあたりが何だか泣けます (汗)。常夏の国では必ずしも窓はデカくない方が良い一方、見映えを優先すれば窓がデカくなるわけで、そこらへんの矛盾にさらされる運命にあるのがジャカルタの運転士氏である、ということなのかも知れません。

富山新港をめぐる旅 (1) 地鉄射水線代替バス

2013-07-29 00:00:00 | 濃いぃ路線バス&車両


 先日の富山地鉄訪問の際には、上市にて東急8692Fがヘロヘロモーターカーによって架線下に移動する光景を激写した後、稲荷町に移動してデキ12021が動く気配がないのを目にしてかなりガックリきたものですが、さりとてこの日はどうしようもなくクソ暑いため (富山で36度!)、再び沿線に戻り撮り鉄する気にはならず、鉄板焼きのような道路上で市内電車を撮影する気にもならず……。そこで、当初この日計画していたローカル線周遊計画のうち、夕方に予定していた万葉線&富山新港渡船訪問を敢行することにしたのでした。当初計画では氷見線訪問→加越能バス→米島口→万葉線→渡船→バスで富山駅へ……という移動予定でしたが、地鉄鉄道線沿線から向かいますので、逆ルートから攻めることにしました。
 というわけで振り出しは、富山駅前3番のりばからの地鉄バス・新港東口行(14系統) ! そもそもこの移動ルートは、かつて富山新港が着工される1966年まで富山地鉄射水線~加越能鉄道高岡軌道線として一本につながっていたものであり、しかも現在の万葉線・新湊 (現・六渡寺)~越ノ潟間は射水線の一部分だったのでありました。しかし富山新港が浚渫により建設されることになった結果、射水線は堀岡~越ノ潟間で分断され、代替手段として富山県営渡船の運航が始まって今日に至っています。ところが……この分断で射水線は新湊・伏木界隈と富山市内を結ぶインターアーバン路線としての役割を失って利用客は一気に半減、やがて1980年に廃止……。アラフォーなヲッサンである私の場合、小学生の頃読んだRF誌で辛うじてリアルタイムな記憶がある程度です (汗)。そして、射水線と密接な関係にあった高岡軌道線→万葉線も……路面電車趣味はどうしても薄い私ですので (汗)、今回の訪問まで大変お恥ずかしいことに未乗 (爆汗)。そこで今回の訪問は、そんな往年のインターアーバンの夢の跡をたどり、海風に吹かれて涼みつつ、バス→渡船→路面という濃いぃ乗り継ぎを満喫した次第です。



 とはいえ、この移動における最大の難関は……富山駅と新港東口をダイレクトに結ぶ14系統、言うなれば射水線代替バスの減少ぶり! 日中は2時間来ないこともザラです……。しかしこういう場合、ネットとスマホは誠に神器の如き威力を発揮します……♪ 上市から富山に向かう電車の車内で、たちどころに15時10分発の新港東口行の存在が分かってしまうとは! もっとも、新幹線建設工事に関連した富山駅大改造のあおりで、地鉄の改札からバスのりばまでクネクネ延々と歩かされ、しかも電車も遅れていたことから、酷暑の中ヒーヒー走って何とか乗車! ポカリスエットを飲み、バスのクーラーで涼みつつ「助かった……」と思う間もなく爆睡してしまいました (^^;)。
 そして気が付いてみると、バスはいつの間にか客を減らし、かつて射水線の車庫がありデ5000系列の巣窟であった四方 (よかた) を過ぎる辺りから、射水線線路跡のサイクリングロードと並走するようになりました。バス停名は、基本的に射水線のそれを踏襲しているところが大部分の様子……。そして沿線風景は、海岸に沿ってひたすら古風な切妻の民家が建ち並ぶというもので、それなりの人口密度のようにも見受けられましたが……やはりここもクルマ社会の一部分なのでしょうか、1~2時間に1本しかないバスでありながら、海老江で学生さんが下車してしまった後は私一人の貸切状態に (滝汗)。勿論、廃線前の射水線の方が全然乗っていたと思われますが、いずれにしても同じルートを走るバスで今や日中この程度であれば、廃線になってしまったのも止むを得ないことなのでしょうか? 計画はあったという富山新港南側迂回ルートがもし本当に建設されており、その後富山港線と同様にLRT化され、新湊と富山をダイレクトに結ぶ急行電車も多数運転されていれば、射水線は今以て新鮮な生命を保っていたのかも知れないはず……。
 そんなことを考えているうちに、富山駅から40数分の道程を終えて新港東口に到着~! しかし、頭上には真新しく壮大な道路橋がかかっており、15分間隔・無料で運航されている県営渡船も超~空気輸送状態……。私が乗る際にも、越ノ潟から来た人が一人、乗ったのも私一人という惨状でした (-_-;)。それでも、万葉線の電車に完全に連絡させるべく、15分間隔で運航されていることには恐れ入るしかありません。というわけで、幕表示なエアロスターを激写したあとは海風に吹かれて港と吊り橋の景観を楽しみ、何というマニアックで優雅なプチ旅なのだろうか……と認識を新たにしたのでした♪
 ちなみにこのエアロスター・ノンステ、いろいろと検索してみたところ、どうやら最近大阪市交通局から流れて来たばかりのようです。こんな本数が少ない路線でたまたまノンステに当たり、しかも前半部分は全部ロングシート、後部もタイヤの上は荷物置き場であったりと、座席定員がやや少ないというのは少々ガッカリ。究極の快適さを誇る (と個人的に思っている) 神奈中の中古エアロスター・ワンステに当たりたかったですね……(^^;)。

富山地鉄稲荷町緊急撮影会・京阪8831

2013-07-28 00:00:00 | 地方民鉄 (中京北陸)


 富山地鉄・稲荷町緊急イベント第2弾が先週末に開催されたとのことですが、第3弾はとりあえず開催されないようですので、去る13日に開催された稲荷町緊急イベント第1弾における見聞を備忘録的に記しておきましょう~。
 当日は朝9時半から受付開始とのことですので、滝のような雨が止んだのを見計らって駅から工場内へ向かい、首都圏におけるイベントとは比較にならないほど超~~のんびり・まったりとした雰囲気の中で参加費を払い、参加証 (一日全線乗車券を兼ねる) とプログラムを受け取り受付完了~! 京阪8831が置かれた検修庫内は安全なスペースが限られているため、一定の時間ごとに30名までの定員制となっており (台帳にカタカナで氏名を記入)、余裕で10時からの初回に登録♪ 「これが驚異の改造能力を誇る稲荷町工場の内部か……」ということで、内部の様子や入庫車両を撮影しておりますと、あっという間に10時となり、いよいよヘルメットをかぶり8831と御対面!! 申し込みの時点では、「ひょっとすると屋外に展示され、形式写真撮り放題かもなぁ……」とワクワクしていたのですが、実際に稲荷町工場の中に入って見ますと、実は頻繁な出入庫車両のために大部分の線路が利用されている中では、もっぱら車両展示のために提供できる線路というのは本線上りホーム脇の側線しかなく、しかもそこには14722F・排雪モーターカー・デキ12021が並べられていますので、どうしても8831は屋根の下での展示とならざるを得ないようです。しかも、約1ヶ月後のデビューまでの間に、新台車 (TR69とのこと) に適合した台枠改造、ならびに (恐らく客の少ない時間における犯罪対策としての) 監視カメラ設置改造を済ませ、10033Fに組み込んで全線試運転を済ませなければなりませんので、一刻の余裕も無い!と言わんばかりに休日返上で改造工事が進行中でした。



 何はともあれ、こんなところに1形式1両の二階建てが運び込まれたとはスゲーな……と思いつつ、10時20分から開催された車両担当のエラい方による秘話講演会に向かったところ、これが実に面白い! 録画は不可とのことでしたので (とゆーか、ビデオを撮る趣味はゼロですが ^^;)、もっぱら記憶に従い、以下その要旨を……。

 * 半鋼製釣掛式電車で車齢40年を経過し、冷房改造を諦めた10形の代替として、当初は京阪3000ではなく阪急2800に白羽の矢。両端ドア位置大幅変更工事を含め2扉車に改造し (改造構想図面が参加者に配布)、新幹線0系から椅子を持ってくる予定であった。しかしそんな矢先、京阪で3000系が大量廃車となり、しかも2扉転クロであることから、急転直下おけいはんに決定!
 * トレーラーによる輸送に遅れが発生したものの、手取川 (石川県) の堤防上でズラリと一列に並んでいる京阪3000を眺めた瞬間感激した! (その写真が参加者に配布される)
 * 台車は当初、営団鯨のFS-336を装備したものの、試運転段階から「京阪ボディとの相性が悪く相当揺れるなぁ……」と認識。のみならず、そのまま営業運転に入れたところ、車掌が電車酔いになるという珍事態も。そこで後に全車、同じ鯨のFS-510に交換。その後さらに、現時点では2編成を除いて485系の廃車発生品であるDT32に交換済。この際、モーター出力も上がったことから形式変更すべきであるところ、そのまま上3ケタは100を名乗る。
 * 二階建て8831の譲渡は、当初富山地鉄では全く想像もしていなかった。しかし、京阪8030の引退に関連した京阪・富山地鉄・大井川三社合同キャンペーンに関連し、京阪社有の保養施設にて宴会が開催され、美酒と京料理にすっかりメロメロになった席上、京阪側から「どうです富山さん、大井川さん、ウチの8831要りません?」との話が。過酷極まりない大改造の末に誕生した8831であるだけに、京阪としても愛着あり。そこで富山地鉄の担当者氏は、京阪側の発言に「酔った席上の話だから」と半信半疑で本社に報告したところ、「即ゲット!」という展開に!
 * 譲渡にあたっての最大の紆余曲折は……デザイン面。去る5月に逝去された前社長はミトーカに心酔。そこで、8831もミトーカに……という話が出かかったものの、京阪との交渉担当者氏が「それだけは止めましょう!これほどの車両である以上、ミトーカではなくこのままのデザインで動態保存されることに大きな意味があるのです!」と前社長に直談判され (このくだりになると講演会場内は割れんばかりの大拍手!!)、その結果富山でも京阪時代の姿で走ることに!
 * では、側面の京都時代祭絵巻はどうするのか? この絵は高名な考証画家によるもので、そもそも原画集も1冊ン十万円するシロモノ。京阪が払ってきた著作権料or意匠料は、地方私鉄が中古車導入に要する費用としては破天荒な金額になりすぎてしまう。そこで、直接ご本人と交渉の結果、何とか富山地鉄として負担できる金額で妥結し目出度し目出度し……! (また大拍手!)

 とまあこんな感じで、とにかく富山地鉄と京阪の関係者による熱い想いが凝縮された8831。正式な車番は国交省への申請が通ってからの命名となるとのことですが (まぁ無難にサハ131となるのでしょうか?)、まずはファンとしても「リアル京阪特急ショーティー」な3連が麗しの越中路を快走する約1ヶ月後を楽しみにしたいと思います♪

第四ジャカルタ炎鉄録 (41) メトロ7000系

2013-07-27 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 7121F、ガンビール到着! しかし今や全電車通過……(撮りやすいのに。鬱)。



 7122F、マンガライのブカシ線ホーム (3番線) に入線!



 7123Fを後追い!



 しかしやっぱり一番カヲスで楽しいのはドゥリ! 果たして今は……。

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 非冷房エコノミーの引退の代わりにまさに全盛の時代を迎えたジャカルタの元メトロ軍団、6000系の次はメトロ7000系……ですが、正直なところ昨年夏の訪問では、メトロ7000系は何故か余り遭遇せず、したがって撮り貯めておりませんので、辛うじて撮った分を並べてみるにとどめます。まぁ実際には乗った回数はそれなりに多く、とくにデポックから先の山登りも体験しているのですが……個人的に有楽町線への思い入れは薄く、「副都心線が東横線に乗り入れて来るようになればジャンジャン撮れるようになるし (実際そうなってます ^^;)、6000系と似たようなものだから、まぁ『何が何でも来てくれ!』というものではないわな」というサバサバした気分でいると、実際その通り、カメラを構えている目の前には余り来なかった、ということです (^^;;)。あ、出来れば……狭窓の7117Fはやっぱり撮りたいのですが、昨年夏の時点では故障のため長期入場しているようでした……。現在は、メトロ6000系の不調をよそに全編成が元気で活躍中のようですので、副都心線の東横線直通で神奈川県民にとっても馴染みの存在になった (?) メトロ7000系がジャカルタでどう見えるのか、心境の変化を楽しんでみたいと思っております。