中国でどれほど高速鉄道や最新鋭の情報通信技術が発達し、モノとカネがあふれようとも、政治体制そのものは愚昧を繰り返した毛沢東時代のまま。せっかく知的魅力に満ちた人々がたくさんいても、様々な創意工夫で中国と世界に幸福をもたらそうとする願いがどれほどあろうとも、この誤魔化しと胡麻擂りの中共党体制が満天下を覆い尽くす中では、必ずや何らかの形でスポイルされることになります。党と国家の下っ端官僚が、プーさんの怒りを買って鉄槌を下されるのを深く恐れ、様々な政務を無事に済ませて出世の得点を稼ぐことを優先するあまり、自分の持ち場で何も起こらないのを深く望む事なかれ主義に徹し、ご機嫌取りで数字をいじることに徹した結果、ついには真実を語る人を「社会の安定を乱した」と称して罰し、解決・緩和されるべき問題に手が付けられない中で破滅的な危機が進む……。今般の武漢肺炎の蔓延は、そんな中共党体制の本質を改めて白日の下に晒したと言えましょう。
事ここに至り、誠に同情を禁じ得ないのは、武漢市民をはじめとする無辜の老百姓(庶民)の皆様です。中共党体制の弊害によって引き起こされた前代未聞の危機が、いつの間にか「党中央の英明な指導による困難の克服」という、いつもの陳腐な英雄物語に置き換えられつつある中、当の武漢市民は封鎖の中、ただでさえ下手をすると自生自滅(誰からも放置された状態)を強いられるかも知れないという不安に陥っているというのに、武漢の外側においても、武漢市民であるというだけで厄介払いのための拘束や蟄居を強いられ、あるいは宿泊や医療など様々なサービスからも排除される現象が起こりつつあります。「武漢加油」という声が中国全土で起こる一方で、武漢・湖北の人であるというだけでこの仕打ちとは一体何という矛盾でしょうか。既に中共は、新疆のイスラム教徒を「社会の安定を蝕む病原菌」扱いして迫害し、香港の抗議運動も「祖国統一の何たるかを理解しない邪魔者」として弾圧しているものですが、この期に及んで、本来であれば主流派の極みである一千万以上の武漢の漢人をも、新疆のイスラム教徒と同様に国民統合の外側に追いやりつつあるのですから何をか言わんや。これまで、「党と安定した社会があればはじめて幸せがあり、中国が世界を導く《中国夢》が実現する」と称する中共の言説を何の疑問もなく信じていた武漢の人々も、この極限状態に至り、そんな党と国家が本当に老百姓を救ってくれるのか、疑問を持ち始めることでしょう。
というわけで、今すぐ中共が消えるとは思えませんが、これは有り体に言って今から120年前の義和団事変と性格が似ているような気がします。無知蒙昧な義和拳教にすがって外国を蹴散らそうとした清朝が、結局日本軍を中心とした八ヵ国聯合軍に呆気なくしてやられ、以来多くのエリートが血相を変えて日本に留学し、政治体制の変革へと向かった挙げ句、ついには鉄道利権と清朝官僚の黒い関係に対する怒りが蔓延し、武漢で革命ののろしが上がって清朝が倒れてしまったものです。では、今後武漢だけでなく全国規模で交通網が政治的に寸断された状態を中国の人々が目の当たりにするにつれ、果たして何を思い、どう行動するのでしょうか。
そもそも、同じ中共党体制であっても、今ほど技術の発達を悪用した独裁がはびこっていなかった80年代から2010年代初頭は、批判的なメディアの存在に加えて、そもそも中共自身に金も技術もなかったため、結果的にある程度柔軟というかテキトーで「自由」な社会があったはず。それがプーさんの独裁ですっかり変わり、党と国家機構が巨大なイエスマン体制になってしまったのが致命傷だと思います。
こういう独裁の極みが引き起こした出来事を目の当たりにするにつけ思うのは、昔の中国は今よりも貧しかったかも知れないものの、それなりにユルくて楽しく良かったなぁ、ということです。中途半端な独裁とテキトーな社会ゆえに戸惑うことも多かったですが、何と言っても老百姓の皆様には「人情味」がありましたし(今もある)、何だかんだで上手く楽しく旅行できてしまう。そんな雰囲気が結構大好きで、昔は多くのバックパッカーが中国を旅したものだ、と認識しています。
いろいろあって、最近の中国からはすっかり足が遠ざかり、最新の中国鉄道画像はほとんど持ち合わせていませんが(数年前にベトナムで撮った25系客車が最後。笑)、その代わりに、中国が改革開放の登り坂で、ある意味で緩くもあり明るくもあった時代の象徴である東風4型の未アップ画像を貼っておきます。